妻を失うことを、「鼓盆(こぼん)の悲しみ」という。鼓盆とは、食べ物を載せる素焼きの器を(たた)くことだが、じつは原典の『荘子』至楽(しらく)篇を読むと、それはリズミカルな叩き方なのだとわかる。要するに荘子は、妻を亡くし、悲しむべき場面で、盆を鼓きながら歌っていたのである。
 そこにやってきた親友の論理学者、恵施(けいし)は、当然のことだが(いぶか)しむ。「長年つれそい、子どもも育て、共に年老いた仲ではないか。その妻が死んだというのに、泣かないだけならまだしも、盆を鼓いて歌うなんて、ちょっと酷すぎやしないか」
 尤もな言い分である。
 しかし荘子は、死の直後の悲しさはどうしようもないにしても、最終的に死を悲しい事態と受けとめることには同意しない。
老耼(ろうたん)死す」で始まる養生主(ようせいしゆ)篇の一節でも、その死を老人も若者も嘆き悲しむさまを眺め、荘子はつくづく老子の教育がなっていなかったことを概嘆する。これじゃまるで、天や人の道も分かっていなかったということじゃないか……。
 荘子によれば、あらゆる生命は渾沌から気が生じ、気から形が生まれることで発生する。その変化を今度は逆に辿り、形から気へ、気から渾沌へと戻るのが死ではないかというのである。
 これは自然な現象であり、いわば四季の巡りと同じである。いったいこの自然な変化のどこに情を差し挟む余地があるか、ということだろう。
「時に安んじて順に()れば、哀楽も入ること(あた)わざるなり」。
 巡り会った時を覚悟して受け容れ、与えられた運命にそのまま(したが)っていれば、喜びや哀しみの入り込む隙間はないというのである。
 そうは言っても、そうは言っても、である。
 今回の地震や津波では、八十八人の子どもたちが両親をなくして孤児になった。
 子どもはむしろ、表面上は元気に見えるかもしれない。彼らの柔軟な心は、鏡のように次々到来する新たな事態に自らを変化させるからである。
 しかし子どもを失った親たちも大勢いる。石巻の大川小学校では、百八人の子どもたちのうち七十四人が津波に呑み込まれて亡くなった。六人の遺体がまだ見つからず、母親たちは毎日のように学校周辺を探し歩き、うつろな目で地面と空を交互に睨みつけながら彷徨(さまよ)っている。毎日同じことを考え、同じ笑顔などを憶いだしつつどんどん沈んでいってしまうのである。
 通常は、嫌でも遺体を確認し、納得はできないまでもその死を承認せざえるをえない。枕経やお通夜、葬儀、お盆などを通じてその気持ちも段階的に変化していくのだろう。ちょうど形から気へ、気から渾沌へという変化を納得するように、いなくなった子どもへの理解も、深まっていくのだろう。
 荘子のように、ひとっ飛びでは無理なのだ。
 一方、儀式のもつ力が充分には発揮されない子どもの場合、にこにこ元気にしているようでもじつはいつ心の形が崩れてしまうか分からない。まだ両親の保護が必要な柔らかすぎる器だから、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が怖いのである。
 仙台の七夕や各地の盆踊り、相馬の野馬追いなど、今年は困難な状況のなかで人々が必死に祭を立ち上げている。
 これもいわば「鼓盆の悲しみ」で、もしかすると歌いながら踊りながら叫びながら、初めて思いっきり悲しめる場になるのかもしれない。
 儀式も祭もお茶席も、儀式が確固とあるからこそ、時に思いが溢れるのである。

 
 
「なごみ」2011年9月号 
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