「道」は時に「自然」と同じ意味で使われ、けっして捕まえられないものとされる。『老子』冒頭には、「道」と名づけた途端それは道でなくなるとされるが、要するに合理的にはけっして理解できないということだろう。
 キリスト教では、たとえば大洪水が起こってノア夫婦だけが助かったとき、なぜ神はノアたちだけを助けたのか、とことん考えようとした。そしてノアの信心の在り方を、神に讃えられたものとして讃えたのである。
 しかし大きな災害をそんなふうに捉えることは、東洋的ではない。絶対者としての神を認めない立場からは、そこに特定の意図があるとは考えないのである。
『老子』第五章には「天地に仁なし」とあるが、これはそういう意味だ。残った人々の何かが優れていて救われたわけでもないし、逆に亡くなった人々に落ち度があったわけでもない。ただ何のはからいもなく、自然にそうなったということだ。自然とは、恐ろしいもの、というのが第一義だと考えるべきだろう。
 今回の東日本大震災では、じつに多くの人々が亡くなったわけだが、このことの解釈に、生き残った人々は苦しんでいるように思える。
 解釈するから自然が自然でなくなるのだが、そうせずにはいられないというのも、人間の自然なのだろう。
 生き残ってよかった。まずはそう思うのが普通だろうか。しかしまもなく人は、どうしてあの人が死んで私が生き残ったのか、あの人のほうが生き残るべきではなかったか、などと悩みだす。
 しかしあくまでも天は、そんなふうに人を見てはいない。どちらが役に立つか、どちらが信心深いか、どちらが美しいか、とも考えない。天から見れば、すべてが(ひと)しく、釣り合っているのだ。
 そういった考え方が、『荘子』では「斉物論(せいぶつろん)」と名づけられ、「天鈞」と表現される。天から見れば、すべて斉しく、釣(均)り合っているというのだが、むろん我々人間に、この見方がそう簡単に呑み込めるはずもない。
 是非や美醜、損得というなら、まだ理解しやすい。見方が変われば価値が逆転することは、現実でもよくあることだ。しかし生死となると、どうなのだろう。死んでしまうより、生き残るほうが、少なくとも「嬉しい」はずだし、意味もあるような気がするのだが……。
 ならば一旦、自分が死んでしまった時空を想像していただこう。すでに東日本大震災から百年ちかく経過し、自分も四十年ほどまえに、長寿を全うして心筋梗塞で死んだとしよう。その時点から、今回の震災による死者と、寿命を全うした自分の死を比較してみるのである。同じようにお墓に納骨され、お参りされる立場と思っていただきたい。
 まずあらかたの人には、どう比較していいのか判らない、というのが実情ではないだろうか。自分のお墓がリアルに想像できる人など、ほとんどいないはずである。
 そう。天の見方というのは、茫洋として計り知れない。要するに我々みたいに比較しないのだ。今申し上げたように未来から眺めるようでもあり、また遥か月の世界から眺めるようでもある。
 自然に生き残ったことに、価値がないと申し上げたいのではない。それは有り難いご縁だし、天年を終えるまで生きればいい。
 しかし、それがいったいどうしたのか、ということなのだ。若死にした人々が痛ましいという感情は、理解できる。しかしそれなら、九十歳だったら痛ましくないのか。生後間もなければ最も痛ましいのか……。
 人間は、どう足掻いても天のように平等な物差しは持てない。
 ただ命という自然のままに、解釈せず粛々と暮らすしかあるまい。お茶の交会とは、そのような天鈞への道の途中の、喜びに満ちた出逢いのはずである。

 
 
「なごみ」2011年7月号 
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