2005年
写真はロールオーバー画像となっているものもございます。

12月24日(土)、東京神田、NPO法人東京自由大学第5回アートシーン21 Part3 において講演。
午後2時から午後5時まで

演題「逆立ちと仏教と文学」

「逆立ち」「仏教」「文学」、なんとか繋がりましたでしょうか。

クリスマス・イブになんとお坊さんの話を訊くというのは、まさしく「こ縁」でしょう、というのは鎌田氏のコメントでした。
東京自由大学のメンバーの方々の年を重ねるごとに知識欲も高めるという生き方、見習いたいものです。

12月13日(火)、京都、京都精華大学主催、2005年度アセンブリーアワー講演会において講演。
午後2時40分から午後4時10分まで

演題「同期する魂」

仏教が「同時」と規定したものを、ユングは「共時性」と名づけた。それが最近は「同期」という科学用語になってきている。しかもそれは、生命体に限らない物理現象だという。命の不思議を、この「同期」という観点から考えてみた。
 

12月2日(金)、福島県郡山市のビックパレットふくしまにおいて読売新聞社主催、「新世紀を生きる―医療ルネサンス郡山フォ−ラム」、テーマは「命をつなぐ絆―患者と医師が信頼を築くために」で基調講演。
午後1時35分から午後2時40分まで。

 演題「養生を支える医療」




【パネルディスカッション】 テーマ「医療に求めること、患者に求めること」
コーディネーター 前野一雄 読売新聞東京本社医療情報部長
パネリスト 玄侑宗久
清水とよ子 医療消費者ネットワ−クMECON代表
坪井栄孝 (財)日本医療機能評価機構理事長
※午後2時50分から午後4時20分まで

読売新聞 2005年12月25日号/全国版
読売新聞 2005年12月3日号/福島版

11月28日(月)、岩手県水沢市Zホールにおいて増長寺主催「玄侑宗久さん講演会」第4回目。水沢市Zホール
午後7時から午後8時30分まで。

演題「銀椀に雪を盛る」

「銀椀裏に雪を盛る」というのは難しい言葉だが、『碧巌録』に載っている。見た目は同じでも中身は違う、という意味。また違いながらもやはり似ている、という事態をも指す。つまり「同じ」とか「違う」という概念にしてしまわず、それを放下して個物をありありと見ることが勧められているのである。

水沢での講演も今回で4回目です。4回全ての講演を訊いてくださっている方が48名いらっしゃるとか、できる限り続いていただきたいと思っております。サイン会でのこと、今日、突然来れなくなったお友達の「おみやげ」としてお写真をお願いします、とお声をかけてくださいました。いろいろな「おみやげ」ってあるんですね。

11月8日(火)、山形県村山市において山形曹洞宗青年会北村山支部主催の仏教講演会において講演。村山市民会館
午後7時10分から午後8時40分まで。

演題「愛語と哄笑の力」

仏教講演会ということもあり、お釈迦さまの教えから「愛語」を辿った。原理主義にはいかずに、お互いの個性を認め尊重することで「福」はやってくるもの。あれもこれも面白いという、やおよろず的日本の考えが「哄笑」と云える。お話のおまけとして、科学的に根拠のないものが、よくなると思うことで、なぜよくなっていくのかその意識のあり方も話した。

講演会終了後に会場にいらした方への抽選会が行なわれました。講演会でのこういった企画は初めてかもしれません。当選された方は思いがけないプレゼントにとても喜んでいらしたようです。おめでとうございました。


10月29日(土)、尋常浅間学校・第87時間目神宮寺アバロホール
午後1時30分から午後3時45分まで

授業テーマ「人は死んだら風になる?」   魂を読む― 玄侑宗久の文学の世界 
   玄侑宗久×高橋卓志

仏教とは、僧侶の仕事とは、そしてそれぞれの文学、書くということに話が及び、最終的には「人は死んだらどうなるのだろうか」ということで纏めた。お互いの言葉やりとりはまさに格闘技のような対話であった。

松本市は通常より紅葉が10日程遅れたため、今日が最高の見頃とか……。一本の大銀杏が緑・きみどり・黄色とグラデーションで葉の色が変わっていくのを始めて見た。明日あたりから葉が落ちていくとのこと。紅葉もやはり一瞬の美しさであるように思う。
 

三春交流館「まほら」10月26日(水)、三春の里めぐりと玄侑宗久講演会において講演。
午後1時30分から午後3時まで

演題「帰りなん、いざ!」

陶淵明とお釈迦さまから地理的に捉える田園とはを話した。都会での生活を経験しているがゆえに田園の生活のよさがわかるものである。では、脳における田園はいかなるものであるかを禅的に説明をした。さらに言葉が浮かばない考えない「無」とはどのようなものであるかを実際に体験していただいた。

今回で3回目の「三春の里めぐり」ですが、全て参加されている方もいらっしゃるそうです。10時からの初秋の三春の里めぐりはおかげさまでお天気に恵まれました。


10月24日(月)、会津若松市の会津若松商工会議所女性会・創立二十五周年記念講演会において講演。ブライダル ルネッサンス中の島
午後2時から午後4時まで

演題「小さな世界という思想」

紅葉にはまだちょっと時期が早かったのですが、害虫から松を守る「こも巻」の作業がすでに行なわれていました。町では早くも冬の準備が始まっているようです。どうやら冬は駆け足でやってくるのでしょうか。

10月21日(金)、郡山市のうすい百貨店10階のバンケットルームにおいて10月19日に開校した郡山自由大学の1週間連続の教養講座の1日を担当しての講演。
午後2時から午後3時まで

演題「やおよろず的」

郡山自由大学はうすい百貨店、八重洲ブックセンター郡山うすい店、市内の企業を中心とした異業種交流グループ「MBA21」が運営主体となる。京都市にある京都自由大学と連携し、文化の地域交流も目指す。現在は1週間連続の教養講座を年に4回開くのをメーンに、定期的な特設講座も検討中。

9月27日(火)、群馬県桐生市で、宝徳寺主催文化講演会において講演。
午後6時から午後7時30分まで
宝徳寺方丈
演題「共振力について」

拍手・蛍・彼岸花の開花などを例にあげ、共振ということを分かりやすく説明した。
脳は生命を維持していく上で究極のネットワークといえるのはないか。人との関係においても脳のネットワークに習い共振していく、それが世の中との繋がりであり、しいては宇宙と繋がるということである。

中国の山水画を彷彿とさせる自然に抱かれての今宵は心をも穏やかにする不思議な感じを味わいました。

9月8日(木)、鎌倉市、大本山建長寺にて講演。
午後2時から午後3時30分まで

演題「中道について」

8月24日(水)、朝日カルチャーセンター千葉主催、サマーフェスティバル2005において講演。ホテルサンガーデン千葉 平安南の間
ホテルサンガーデン千葉 平安南の間において、午後1時から午後2時30分まで

演題「心と身体の取り扱い上の注意」

ことばが心にいかに影響をし、身体に作用しているか、そして脳との関係についても話した。自分を佳い状態にもっていくにはイメージが大切になってきます。脳を賢く使うのがいいのでは……、ということで、実際に力を抜くとはどういうことかを見ていただき、さらに物事を考えずにぼんやりするということを体験していただいた。

B4位の白い紙の中央に5cm角の黄色い紙を貼ってじっと見つめてください。黄色い紙の周りにないはずの色が見えてくるそうです。ちなみに思慮深い方は見えないそうですが……、よろしかったらお試しください。
 

7月28日(木)アリオン音楽財団主催、第21回<東京の夏>音楽祭 2005 「宇宙・音楽・心」
<トーク&パフォーマンス>
玄侑宗久、宇宙と「響」を語る 〜古代インドマントラの魅力〜
養福寺にて、午後6時開演

【東京の夏】
音楽祭は毎年夏(7月)に約1ヶ月にわたって、朝日新聞社との共催で開催している国際的な音楽祭です。都内の各会場でのコンサートをはじめシンポジウム、レクチャー・コンサート等を通してその年のテーマを掘り下げ、出来るだけ低料金で幅広い層の方々に音楽に親しんでいただくことを目指しています。

7月28日(木)、(財)日本近代文学館主催の第42回 夏の文学教室 「愛」をめぐる物語において講演。
有楽町よみうりホールにおいて、午後2時10分から午後3時10分まで

演題「宮澤賢治における修羅と慈悲」よみうりホール


「春と修羅」から賢治にとって仏教というものはいかなるものだったかを話した。修羅とは自分に対する怒りであると云える。自己犠牲の慈悲喜捨は目指すものではない。しかし、実現不可能な遥か彼方を目指しことを成そうとする時、人は不思議な輝きをもちその姿は美しいものである。人を幸せにしようとするには、己のパワーが必要となる。宮澤賢治という人は本当にお釈迦さまのようになりたいと願い、そしてなろうとしていたのかもしれない。

「夏の文学教室」は2005年7月25日(月)から2005年7月30日(土)まで開催

6月10日(金)、「南無の会なごや十六周年記念講演会」において講演。
午後2時から午後3時30分まで

演題「帰りなん、いざ!」

ちょっと難しかったかもしれません。皆さんを迷宮に導いてしまったようです。帰られた後、悩んでいないかが気がかりです。

5月20日(金)、八重洲ブックセンター・郡山うすい店主催「うつくしまふくしま 連続文化講演会&サイン会」において講演。
午後2時から午後3時まで

演題「サンショウウオな生き方」うすいバンケットルーム

楽しく講演を聞いてくださる方がいらっしゃると周りの方にも伝わるのでしょうか? 笑いの絶えない、とてもイイ雰囲気でした。居眠りもせず、1時間があっという間というのも楽しかったからこそ。気分はたぶん「ふふふん」でしょうか。講演会とは話し手と聞き手のコミュニケーションが大切なんですね。
同じフロアにてふくしまの物産展が開催中でしたので、皆様、笑いながらも、そちらに気が入ってしまった。まさか、そんなことはないでしょう。

「うつくしまふくしま 連続文化講演会&サイン会」は5月18日〜5月23日まで実施

5月6日(金)、福島県立博物館・春の企画展「老い―老いをめぐる美とカタチ―」において記念講演。博物館講義室
午後2時から午後3時30分まで

演題「老いの力」

加齢とともに人の能力が衰えるというのは間違いで、年齢相応にと事は考えない方がいい。企画展の作品を見てもわかるように70歳過ぎの作品にこそ円熟を感じる。「老いの力」とは記憶に縛られないこと。「人生のピ−クは今」と考え明るく生きることではないか。その実践法として天海僧正の長生きの5つの秘訣伝授し、覚えやすく脳の活性化にもなるであろう陀羅尼をお薦めした。
要は人それぞれ、心のありようが大切なのではないでしょうか。

春の企画展は4月23日〜6月5日まで開催

4月21日(木)、八重洲ブックセンター本店の「第77回 ビジネスパーソンを応援する特別講座」において講演。
午後7時から午後8時まで

演題「サンショウウオな生き方」
八重洲ブック読書ロビー
サンショウウオが岩場にいるその姿は人には不安定に見えるかもしれないが、自分はこれでいいんだという感じで安定している。そこに禅的なものがあるのではないか。ということで本の題名にサンショウウオが登場した訳です。把不住の「ゆらり」、やるときは「てきぱき」とやる。人がどう思うとも動じないで「どっしり」と構える不動心、さらに結果を期待せずに「ふふふん」と上機嫌で生きる。そして思ってもみないことがおこるご縁というものを「ひょん」と受け入れてみる、それで一応はお分かりいただけるかと思いますが、いかがなものでしょう。「ゆらり」「てきぱき」「どっしり」「ふふふん」「ひょん」すべてを習得したら、とらえどころない人になってしまうかも……。
分からなかった時は、どうか本をお読みください。
どうもサイン会の後ゆえか、本の宣伝になってしまったような感じですが、まぁ、仕方がないでしょう。

4月9日(土)、東京都港区愛宕の萬年山青松寺観音堂において第13回 仏教ルネッサンス塾で講演。講演後は上田紀行氏と対談の二部構成
午後2時から午後6時まで

演題「山川草木の成仏について」

―コメント―
お釈迦さまは「山川草木も悉くみな成仏している」とおっしゃった。しかし我々仏教徒は、その意味をまともに考えたことがあるだろうか。山や川の成仏とはなにか。草木が成仏するとはどういうことなのか。今こそ真剣にこの問題を考えるときではないだろうか。
 植物のなした仕事の上に動物が発生でき、多くの動物の犠牲によって人間が発生できた。はたしてこの流れは、進化と呼べるのだろうか。他者を害する感情をいっさい持たない植物にこそ、我々は学ぶべきではないだろうか。そうして、植物が今なにを感じているのか、知ってみたい。

2月20日(日)、有楽町朝日ホールにおいて、NPO法人 葬送の自由をすすめる会パネリストの方々15周年記念シンポジウムにおいてパネリストとして参加
テーマ「臨終から葬送へ―現代の死の作法―」 
〜死に向かう人と看取る人がつくる新しい可能性を探る〜
午後1時から午後4時30分まで(午後2時30分から討論)

安田睦彦氏(葬送の自由をすすめる会会長)の挨拶、コーディネーター山折哲雄氏の会の主旨説明の後、村田喜代子氏(作家)、中沢新一氏(中央大教授・宗教学)、柏木哲夫氏(金城学院大学長・淀川キリスト教病院名誉ホスピス長)の順に各パネリストが基調報告を行なった。

 山折氏曰く、京都では僧侶がトップをきると全てがうまくいくというジンクスがあるそうです。という訳でトップバッターを務めました。
 パネリストの方々の発言で印象に残ったこと、村田氏「九州における食葬という風習」、柏木氏「ホスピスで人はどのように死と向き合っているかその事例の話」、中沢氏「あの世も天国も一種独特の音感ですべての人の心に存在するのではないか」。それにしても山折氏が最後にご自分の考えている「死に方」のお話をされたのには驚きました。
 「死」をちきんと考えなければ……。自分の死を素直に受け容れるためにどうすればいいのか、かなり考えるべき宿題を与えられた感じです。
 では僧侶は何を……。 もしかすると人が死を迎える時に心の不安や恐怖から解き放ち、安心を与えること、それが今、求められているのかもしれません。 

2月15日(火)、仙台市戦災復興記念館において、仙台市仏教界涅槃会「コーヒー説法記念講演」で講演
午後6時30分から午後8時まで

演題「自燈明について」
 
お釈迦さまが入滅を前に、アーナンダに言い残した言葉が「自燈明」である。「アーナンダよ、自らを燈明とし、ただ自らを拠りどころとしなさい。他を拠りどころとしてはならない。」と説いた。よく調えし我を大切に、そして佳い物語を自分の中で紡ぐこと。祈りである佳き憶いを抱き、習慣に流されず真実を見極め仏性の心で自らを依りどころとしていただきたい、と話した。

名司会のもと、東昌寺さんによる講師紹介はユーモアが溢れ会場を笑いの渦に!まさに圧巻です。もう少しお話を伺いたい気分になりました。講師への謝辞は何故かご来場の皆様のお礼となりました。(理由は秘密) 檀上にもお客さまがいらっしゃるという滅多にない講演 。盛会で何よりです。本日の会で仏教をより分かることができた上により身近に感じられたのではないでしょうか。
◆東昌寺さんのウケたコメントを一つ。玄侑さんは合唱で有名な県立安積女子高ではなく、お隣の合掌で有名な県立安積高校のご出身です。笑、笑、笑。

1月29日(土)、ビッグパレットふくしま コンベンションホールにおいて、第1回全国地域生活支援ネットワーク・ふくしまフォーラムでの記念講演 
午前10時30分から12時まで

演題「自由意志について」ビックパレットふくしま

ボランティアとは自分がしていることに正当性をもつのではなく、何を相手が求めているかが大切である。ボランティアは自由意志という気持ち、つまり行いに結果を期待しない。その時その時を楽しむことではないかと思う。禅的に言えば「因果一如」「修証一等」である。また、観音さまの気持ちで相手の求めに応じること。欧米から入ったボランティアではあるが日本には日本の独特のボランティアのあり方で、東洋的思想つまり「天鈞の思想」が宜しいのではないかと話した。

今回は手話通訳の方に付いていただいての講演です。仏教等の専門用語が多々出てきましたからなかなか大変だったのではないでしょうか? そのご苦労に感謝です。

1月26日(水)、大手町KDDIホールにてザ・シチズンズ・カレッジ第93期講座学習の旅への道標における講演。
午後6時45分から午後8時30分まで

演題「風流に生きる」
シチズンズ・カレッジ
幼児とお年寄りは、元来風流というゆらぎを持っているのではないか。人は成長するにつれ智慧がつき、志を持つようになる。しかし自分を守るために、志に縛られることにもなる。儒教的には人生を一貫するものとしての志を目指すが、流動をそのまま受けとめる老荘的「志」もあり得る。本来無指向性の心に方向性をもたせるものとして「志」は重要だが、時と場合によって志は変えていいのではないか。
しっかり人生を生きるためには、この志と、役になりきる、という禅的発想が大切である。しかしそうして確固と生きる場合でも、僅かな「ゆらぎ」は風流になる。プリコジンは散逸構造論の中で非平衡化へと向かう力を「ゆらぎ」と云った。これが西洋的にみる風流ではないかと思う。
白隠禅師の風流の底にはゆらがない「信」があったのだと思う。ゆらがないものがあってのゆらぎが風流なのである。良寛さんの大愚ぶりもまた然り。根っこが揺れないからこそ、子供の相手をしつづけられたのだろう。
基本的に風流とは、受け容れる姿勢のなかに生ずる「ゆらぎ」である。否定し、拒絶する姿勢からはおそらく生まれないのである。不如意なことが起こったときは「風流」とつぶやいて楽しく生きていただきたいものです。

TCC Web Station TWSオンライン講座において2006年4月10日〜2006年11月30日まで、有料にて動画配信

1月22日(土)、ルミネ横浜8階において、朝日カルチャーセンター横浜・開講25周年記念講座
トーク・セッション「禅を語る・絵を語る」
作家・禅宗僧侶 玄侑宗久×明治学院大学教授 山下裕二
午後3時45分から5時45分まで。
山下裕二氏とは妙な因縁がある。この度二人のトーク・セッションが企画されたことにも不思議なご縁を感じる。ともあれ、雪舟、雪村、白隠の禅画をスライドで見ながらの自由な会話は愉しかった。広がりと深まりの兼ね合いが気がかりだが、今回はこれらの3人にこれまでとは別な興味をもっていただくだけで良しとしよう。

スライドの中で山下氏は以外にも路上ウオッチャーであること。なぜか作品と同じポーズで写真を撮るのがお好きなことなどいろいろなこと、分かりました。

1月15日(土)、仏教書総目録刊行会主催・丸善仙台アエル店共催の仏教書フェア『仏教的生活』におけるフェア記念企画講演会。
アエル5階・多目的ホールにおいて、午後2時30分から午後3時45分まで。

演題「仏法は障子の引き手」

あらゆる宗教は、おそらく「全体性」への足がかりである。仏教はその全体性を「空」と表現した。人はまずそこへ向かうべきだというのだが、しかし日常生活は、そうした第一義的なことでは成り立たない。色即是空という方向で「空」に至ったあと、人はまた「色」に戻ってこなくてはならない。空即是色である。そのことを、古い道歌はうたう。「仏法は障子の引き手峰の松火打ち袋に鶯の声」。
 
仏教書フェア『仏教的生活』は昨年12月27日から1月23日まで開催