お寺というものを考えた時、原発から30キロ圏内、これはどうしようもない状態ですね。みんなバラバラに住んでいる中で、仮設住宅に住んでいる和尚さんもいます。その人は同じ地域の人たちと仮設に住んでいますから、お寺としての機能を何とかつないでいるけれども、そうではなくなっている方も多い。
 アパートに暮らしていて、檀家さんがどこにいるか、どのくらい把握できているかはバラバラです。よそのお寺に勤めたという人もいる。
 檀家さんも「お墓が津波で流されてどうしようもないし、戻って復旧することもできないので、こちらの檀家にしてもらえませんか」と言って来る。「お寺はどうなっているんですか」と聞くと、「分からない」と言う。このまま寺檀の関係が解体していいのか。本当に悲惨な状態ですね。
 二面作戦が必要だと思いますね。つまり、戻って復興できる体制、あるいはもし戻れないのであれば、比較的近くのどこかに拠点を置いてというような。
 それは個別寺院だけではつらいので、宗門なり周りで応援して保てるようにする。仏教団体が支援するというだけではなくて、いろいろな支援が可能だと思います。それと離散した方のケア。考えようによっては、新しい宗教活動のあり方を見つける可能性がある。
 自分の寺は何とか無事だから、何とか助けなくっちゃいけないと思って活動している人たちは、例えば仮設住宅にカフェを作って毎週オープンしたり、仮設住宅にお茶とお菓子を持って訪ねていって、話を聞くなどの活動をやっています。でも、それはそのエリアの和尚たちではない。
 そのエリアから離散してしまった和尚たちは、やる気があっていろいろやっている方もいるし、忘れようとしている方もいる。ダメージから立ち直れなくてガタガタと崩れてしまっているところもあるようですね。
 宗派、宗教を超えて連携ができないか、ということも考えた方がいいですね。
 住民側に立ってみると、もちろん特定のお寺や神社や宗教団体が重要な方も多数おられるけども、そんなにこだわらない方もたくさんおられる。そういう面からも住民本位の宗教活動のあり方を新たに拡充していくとか。
 伝統的に守ってきたものを提供して受け入れてください、というのも重要ですが、それを生かすためには、住民のニーズに合わせたさまざまな活動を展開していくことが必要になってくる。
 これは若い人の方が応じやすいし、動きやすい。例えばお寺の副住職が地域を超えて、宗教的な気持ちを持っている若い人たちの活動と、地域に根を張って伝統的なものを尊んでいる活動とうまくいくようなことを考えられないかと思います。
 そういうことは原発周辺の外側では起こっているし、いろいろな活動があると思いますけれども、被災地のお寺が悲惨です。本当に荒れている。原発に賠償を求める問題として考えると恐ろしく大変な賠償だと思います。
 コミュニティーにあった核としての寺が奪われてしまっている。それに対して県からの救済も限られている。コミュニティーの中心にあった宗教法人が、このままなくなっていくのかという危機感は感じます。
 宗派を超えて、避難しているお寺に対する支援はできないのでしょうか。
 行政組織も特定宗派、特定団体だと関係を持ちにくい。私が「宗教者災害支援連絡会」をやっているのも、横のネットワークをつくれないかというのが一つの理由です。
 宮城県では「心の相談室」というのができて、一つの突破口になるかと思っているのですが、利害関係や補償などの問題が絡んでくると、なかなか難しい。
 しかし共に声を上げていくのは必要で、それは宗教団体制の利益かもしれないけど、住民側の利益でもある。つまり住民が必要としているものを提供するためには、宗教団体は横に連携する必要があると考えています。

――私たちは、人間と自然と死者とが共存する共同体の中で生活してきました。何百年もかけて築かれた地域社会が復興するためには、新しいコミュニティーをつくる大きな作業が必要となります。では復興への未来図をどう描いたらいいのか。どのようなイメージをお持ちなのかを伺いたい。
 震災以前は、宗教のあり方も大都市中心に考え過ぎていた。1年前には「無縁社会」ということが大きな話題になった。自然葬が広がったり、「葬式は、要らない」という話もあった。
 確かに大都市の人は、伝統から離れて新しいものを求める傾向がある。一方で、路上生活者の支援が重要になったり、そこに宗教界の新しい動きを見るということでした。
 しかし、東日本大震災が起こってみると、もっと伝統を引き継ぎ郷土性に根差した活動が宗教の根っこにあるということで認識した。そういうことを無視していたわけではないんですが、それだけ重いということが見えた。
 そして今後、前のめりの生き方から、過去から保たれてきたバランスを重んじる生き方へと変わっていくとすれば、伝統的な文化の中の宗教性をどう保存し、新しい時代に適応していくかを考えなくていけない。
 大都会の中で探していたものが、かえって被災地から見えてくるということにもなるだろう。仮設にいて、いつ帰れるか分からないという状態が長く続くと、大都市の中で単身者が増え、孤立する人が増え、自殺者が増えるというようなことが被災地でも起こってくる。
 しかし被災地の解決の仕方は違うだろう。つまり大都市では見えなかったようなさまざまな工夫、人間の持っている力の発揮の仕方が起こってくるのではないか。そういうものを大事にして拾い上げていきたい。
 宗教は生活に根差したものなので、大組織が目指しているもの、大事にして保持したいと思っているものになじまない。そういうことがよく見えてきた。大都市よりもむしろ地域社会の方により顕著に見える。そういうところに注目していきたいと思います。
 おっしゃる通りですけれども、国はそうは思っていないようで、地域を閉じて守るということではなくて、開くから戦えと言ってきているわけですね。TPPということで。何故この時期なのか。その一つだけ見ても「国って全然考えてくれてないんだ」と明らかにそう思います。
 世界のスタンダードなどという考え方はあり得ない。結局はどこかの強い国の価値観に合わせるしかない。閉じないと守れないというのが文化の特徴だと思います。
 これから島薗先生ががおっしゃったことをやろうと思うと、逆風の嵐の中で進まなくてはいけないんじゃないかという気がします。しかし逆風の嵐は平安末期にも吹いていた。そこから鎌倉新仏教が芽吹いてきたように、いよいよ宗教者の出番かもしれない。
 明るくないことは多いですが、2011年はアラブ革命の年でもあった。あれはアメリカに寄生するような独裁体制を保っていたものが、下から揺れ動いてもろくも崩壊した。
 下から揺れ動いたというのは、インターネットでつながり合う人たちが巨大な動きになって、山を動かした。
 アメリカでも反貧困の運動が起こっています。日本でも原発の被害の中で横の連携を保って、政府や大組織とは違う連携を探っている。それがどういう形で熟していくのかはまだ見えていないが、そういうところから見えてくるものを大事にしていくと、少なくとも希望を失わないで進んでいけるのではないかと思います。
 横に連帯が広がっていって、それを集約化するのは縦の力ですね。今大切なのは集約化させない横の広がりということですよね。
 宗教もかつては横の連帯が強かった。それが大組織と結び付いた方が都合が良かった時代があったということですが、今は違うものを求める。宗教が何か新しい形を模索しているのではないかとも考えられる。
 宗教団体はいろいろな人が関わっているから、そう簡単に方針を打ち出していくわけにはいかない。だけども、いろいろな方法で方向を示していくことはできる。それがやがてしっかりした方針につながっていく。迷いながらも今の立場を示していくと、やがては前向きの方向へいくのではないだろうかと見通しています。
 原発の問題は経済の問題であり、政治の問題であると同時に、精神文化の問題であることに強く感じている仏教会の人たちがいて、「そのことを示そうよ」という動きが出ている。そこに私は希望が持てると思います。
 日本人は、一気にやめてしまう時の対応力はすごくあると思います。徐々に徐々に減らしていきながら自然エネルギーを発達させるというようなやり方は、おそらくできない。国民性として、ものすごい困難が急に来ても結構いけちゃう。
 でも計画的に自らを変えていくことは、日本人に向かないと思いますね。
 新しいエネルギーは大規模なエネルギーではなくて、地域とか各家庭とかでエネルギー製作に関わるタイプになっていくとすると、日本はそういう準備のある国ではないか。
 節電をやってみて気付いた人は多かったと思います。ものすごく困ると思っていたら、そうでもない。気付きを得たというか、気付きが市民から広がっていく。
 国交省が来年、実験的に東京の公園でミニ発電施設を造る。公園から出るバイオなエネルギー源を燃やし、街灯などはそれでつけようということを国交省が主導してやるようです。
 そういうものにお金を使って輸出するよりずっといいと思いますよ。
 それはお寺でも使えるんですよ。剪定とか草刈りとか、位牌、搭婆も含めてバイオなエネルギー源がたくさんありますから。
――文明論的な課題を論じつつ、宗教的な問題を掘り下けることができたと思います。ありがとうございました。
 
 
 
中外日報 2012年1月7日