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全開朝ゼミ!「日々是好日」(ひびこれこうにち」 
 
 毎週月曜日、歯切れのいい深野さんの声で、「にちにちこれこうにち」と響く。毎日が日曜じゃないけれど、ノーテンキな言葉に聞こえるかもしれない。この言葉、もともとは中国唐代の雲門禅師の言葉で、弟子にこれからの心構えを訊いたが答えられなかったので、自分で答えたと云われる。「好日」とは、決して自分にとって都合のいい日なのではない。雨が降っても交通事故に遭っても、親が死んでもガンに罹っても「好日」なのである。ノーテンキどころか、とにかく今日も一日命を燃焼し、心を活発に働かせ、新たな一日として生きる決意表明だ。まずは月曜の朝だけでも心をリセットし「好週」を心がけていただきたい。

 回数 放送日時 番組テーマ  内容 
 第151回  10月3日  「鬼は外」  水曜日は疲れているかも。月曜はリフレッシュ。疲れをいやす月曜日。日中国交40周年記念式典が中止。中国は鬼を外にもっている。外交力が在る時は国に対いて信頼感がある時。タカ派的になって愛国心を煽るのはよくない。中国は異民族がしいたげられている。30億の人口で9000万人の共産党員で国を統率するのはよくない。インターネット上に面白いジョークもあるとか。ソビエトも上空を飛んでいるとか。昔の構図になっている。テーブルがダメなら畳では、、、。日中友好会議の会員になるように勧められているが、古典には興味はあるが現在の中国には興味はないですね。どうしたものか。
 第150回  9月24日  「嫌犬権」  嫌煙権は認められているが、嫌う権利が認められることは困る。感情が入るのでおさえようがない。幸せに対して国は福祉を保障する。幸福追求の程度は人の差がある。公共の福祉に反しないこと。犬も感情であるから、愛犬家への憎悪も入る。何が公共の福祉かという問題もあり、福島の場合は放射線の問題もある。嫌うことでは問題は解決しない。好き嫌いを権利で考えるものでない。人権はあっても犬権はない。嫌う人が権利を主張すると生きづらくなる。領土問題もそうではないか。
 第149回 9月17日   「お彼岸と墓」  真西に浄土があるということで観相すること。日本では1週間があてられた。南相馬のしんしょう寺には、震災亡くなった人のお骨と墓地から流れた骨が納められている。市と相談して慰霊塔と建てなければならないだろう。墓地の改装も大変な問題で復興へも大変かと思う。死んだ後どうしたいか?死後50年たったら、石の墓標が国産では賄えない、末代の供養も無理かと。墓地の有り方も考える時期にきている。
 第148回  9月10日  「これ誰のもの」 日本の領土問題が大変である。韓国の竹島、中国の尖閣。一緒には出来ないが難しい問題。日本の文書に明記されている。竹島は渡航禁止していたが、日本の閣議決定を韓国は認めていないし。李ショウバンラインも日本は認めていない。その後実行支配をしているのは韓国。50年以上支配しているので、実質は韓国の支配と認めなければいけないかも。等距離に近いところから領土権を主張している。話し合わなければいない。いろいろなものを作っている韓国が強い立場になるかも。 
 第147回  9月3日  「冷や水」 熱中症が多い。暑いので水分と塩分を摂りましょうと言っているが、お盆の前後に4名亡くなったが、熱中症で入院して亡くなった。お墓の途中に家があって道の草をむしっていたとか。年寄りの冷や水というがなかなか飲まない。子どもの頃からむやみに水を飲むな!と言われていた。筋肉が硬くなるとか。常識が変わったのがお年寄りは変わらない。10時と3時にしか水を飲まない。食事中にも飲まない。朝起きて2〜3杯は飲む。何度は分けて飲むのがいい。「冷や水」とはお腹をこわすのでそれを知って飲んでいるという頑固さを示す。年代によって違う。子どもは水筒持参で飲んでいる。年寄りの冷や水を止めて普通の水を飲みましょう。
 第146回  8月27日  「事故調と自己中」 事故調査委員会はいくつあったか?政府、国会、東電など民間もある。報告書は作成されているが、その後どうなった。復興構想会議もそうだったが、会議で提言はしたが、検証を今月する。多くの審問をしたが生かされていないのでは無駄となる。廃炉にしたが、中に浮いている。おかしい。民主主義ではなく決定しても尊重できないとはっきり言った方がいい。何十回も提言した市町村の提言が無視している。声が届いていないのかも、困ったものである。 
 第145回  8月20日  「全国の放射線量」  全国の放射線量と福島の違いがある。全国各県2カ所、お寺に線量計を置いてもらっている。詳しいことは三春町のHPで確認できる。会津より高い所は多々ある。福島を除染しようといっているが、全国の高い線量の所はどうするか。三重などに比べると高いところがあるが、内部被曝量とすれば世界平均。神経質になってストレスをためてはいけない。線量の話題が減ってきているなかで、心配で眠れないという人もいるし、精神科に通っている人もいる。福島から出ていった人にも福島の線量について教えてあげたい。
  第144回   8月13日  「盂蘭盆」  お盆の始まりは「盂蘭盆」「ウランバーナ」「倒懸」とも言う。存在そのものが不都合。普通に生きているのに殺されてしまう。普段は殺されてしまっている生き物を殺さずにいよう。福島は震災で亡くした人も多い。苦しみもある中で忘れなくてはいけないけど忘れられない。お盆の期間だけ有縁無縁の多くの命に想いを馳せたい時期。時期をどんどん遡っていけば日本中に被災者に想いを馳せる時期でもある。第2次世界大戦の記憶はまだあると思う。「仕事して笑ったり」と宮沢賢治の言葉にあるように過ごしていただきたい。
  第143回  8月6日  「取り引き」 政府と県が取り引きをしているという記事があった。企業立地資金を削除の代わりに企業立地補助金を出すということ。昔もあったかもしれないが、これほどオープンになっていなかった。世の中に取り引きがある。子どもでもある。こういう子でなければ可愛くないと思う親が多い。ミニ大人になっている。うっ屈したエネルギーを背後にかかえている。根回し、談合がないので取り引きが見える。全く別なものを秤にかけることではないし、大事なことを秤にかけるべきではない。たとえが見つからない。無常のような、、、。家庭でもありえる。 
 第142回   7月30日  「現代社会の危険」(2) 避難していた方が事故にあって4人亡くなった。20キロ圏内から出入りする人の事故が多い。夜中の家畜などとの事故は双方のダメージが多い。予測がつかない訳ではない。21世紀の危険は予測不可能。遺伝子、TPP、ダイオキシンなど。ダイオキシンは検証されていないので原因は分からないまま。時代により危険なものがある。放射能は測らないと分からない。頭の中でどんどん危険にしている。おばけのようなもの。人だけ呼んでくる。そこから人が逃げてくる。この状態でいいのだろうか。安全とも危険だとも言っていない。出ていく人もいるなかで戻るように呼んでもいる。
 第141回  7月23日  「現代社会の危険」(1) 先日今年警部さんに方達に「安心と安全」について話した。19世紀の危険と20世紀は違う。19世紀は危険が分かりやすかった。今は計器で調べたり、思いもよらぬ人がやっている。リスクとデンジャーの違いは?リスクは発生確率が低い。危険を承知で歩くように。デンジャーはリスクが高n。より高いのが原発のようにハザード。取り返しのつかないことは避けなければいけない。考えれば不安だが、解消して暮らしている。不安を解消して安心して生きるには、不安は闇をよけて光がくるのではなく、不安にならないで安心している。2者択一ではない。ゆっくり呼吸することで不安になることはない。安心と決断すること。 
 第140回  7月16日  「短い絆」 絆が流行っているが、糸へんに半ば。、和語。もともとは馬面につないでいるもの。短いと自由がきかない。親が右向けば、子も右になるときついものがある。福島キッズを今年も開催する。たまに親と離れて自由に生活もいいかも。子どもの中にはいろいろ制限があって厳しい状態にあるかも。子どもは自分で行動して考える。夏休みは綱を伸ばして。親のもとは木の上で見ていることを示す。信じることは在る種の冒険。いざというときに目覚めるのを信じてみては。 
 第139回  7月9日  「ストレス指数」  一覧表を見て驚いた。トップは配偶者の死。グリーフケアもある。試験の前日もあるが20何番目かに温泉の2泊目がある。2日目になると帰りたくなる。日曜日もそう。イタリア人はガンが少ないと直接訊いたが「知り合いの中にガンがいない」ストレスがゼロらしい。食事も歌も楽しいそう。見えない放射線に怯えている日本人は心理的なストレスがガンになる。全くないのも問題だろうが。中国語では「圧力」。ボールが弾むためにはある程度の圧力が必要。免疫の白血球が活性化するにはある程度のストレスが必要である。
 第138回  7月2日  「政治と数字」 今電話を駆け巡っているはず。政党の意味がない。議員の政党さえ分からない。自民党と区別がないので連立できる。昔は階級性。民意を集約したもの。都市部とそれ以外と区別された。共産党がはっきり違いがでている。官僚に対抗できない。方法論が全てなくなり、原発事故以後市町村長の存在がはっきりした。国会議員を市町村長がしてみては、、、。現実には難しいが偶に話し合って纏まるといいのだが。 
  第137回  6月25日  「大人と子供」 昔は違っていたはず。分からなくて当たり前が大人。最近分かりやすい。大人しいはもともと音がないが大人。子どもはややこしい。その場で反応する。大人は実現するためにいろいろ考えている。根回しをする。根回しは造園語。移植する時のための手段であった。最近は根回しをしない。党はやっていない。どうなっているのか。大人がもっと分かりやすく、話せば分かると思っていてはけない。身をもってわかることが結果を聞いて工夫をすることがない。合意を形成するための手段が下手。結論に従うべきだが、反対したから協力すべきでない、これが現在の政治になっている。 
 第136回  6月18日  「暗中模索」 イノベーション、技術革新はすごい。発電もすごい。神戸大の教授は海中発電、福島県沖で風力発電、土湯でタービンを回して発電。新しい地熱発電も開発中。コイルを地中に埋めて、一定の温度を出す。一軒で1つでまかなえる。ソーラー発電も進んでいる。出揃ってきた時に圧倒的に1つが増えるのはよくない。いろいろあっていい。町にあったもの。価格競争になりメジャーになるのが自分の首を絞めるようでよくない。
 第135回  6月11日  「除染と掃除」  除染の方法論が確率していない。町によっては除染しなくてもいいのでは?μSvの基準が出ていない。安心と安全の日本学術会議が定義している。2つの数値を提示。安心できるのと安心できないのを出していく。信頼の面で今の政府では無理かも。コミュニティの問題があるが、落ち葉をとったら線量が上がった、これが降った放射能を落ち葉が防いでいた。除染が産業化している懸念がある。方法と地域が確立されていないことに懸念がある。除染しないと安心できないとなれば、しないわけにはいかない。数字だけで安心できないとなれば、お金が懸かる。?が残る。
 第134回   6月4日  「五重塔とスカイツリー」 去年の3.11以後地震国と言われている。東大地震研によると70%と発表。地震に挑戦した国ではないかと思う。仏舎利塔で、朝鮮半島で出来たが、日本では多い。地震で倒れたという塔がない。東京タワーも倒れない。個人の持ちモノ。スカイツリーも東武の持ちモノ。地上何メートルまでの所有がない。五重塔を倣い、心柱が浮いて、免震。お寺の本堂もそう。地震に対して来るなら来い!と言う感じ。倒れたらと考えたら作らない。 
 第133回  5月28日  「自然消滅」  復興構想会議があったが、どうなったかを聞かれるが、11月9日13回目が開かれた。野田総理は1回。復興推進委員会に移行。神戸の復興会議は10年かかった。2月に平野復興相から解任の封書が届いて、自然消滅。マスコミで移行の件についてとりあげられていない。学者や市民の声を聞きたいと思っていたが、邪魔になってきたかも。桜は花びらの寿命。つばきやのうぜんかつらは花の寿命が長い。私もまだやれた。「悲惨の中の希望」の提言はよく出来ている。あれでいけば復興は出来る。復興庁にがんばって欲しい。
 第132回  5月21日  「三春駒さまへ」 昔から三春の玩具、子どもの無事を祈る。避難していたり、子どもを守るためにいろいろしている。家庭画報に掲載されたエッセイの中。仮説に住んでいる人が前向きに生きている。床屋、お店、石井食堂が量が多くておいしい。三春が葛尾の移転先。つながりがあって、愛ひめの母が相馬藩から馬を持参金ろして持ってきたことから、三春駒が出来た。葛尾村から三春に仮説にいるので毎日孫に会わせることができると喜んでいる。
 第131回 5月14日   「机上の空論」  ここ20年程仕事は机上でのことと言われている。コンピューターでの仕事は情報を分析し、予測をすること。新聞によると双葉町の20年後のことを政府を予測していた。安心のためとは言えない。「現場に出ろ」と言いたい。現場に行かないと見えない。線引きもコンピューターでしているように思う。個人情報を住基ネットで集めているように、丁寧にわかるが、所在が確認できない子供が出ている。由々しき問題。改めていただきたい。市民の家を訪ねるくらいのことをしてもいいのでは。
 第130回 5月7日     先日のバス事故。値下げが多く安過ぎる。お墓も3、5カ月分で出来る。中国で廉く生産されたものを組み立てている。日本の職人が育たない。妥当な価格というものがあるはず。高くても国内産しか置かない店がアメリカにはある。日本でも出来ないかと。福島産は苦戦しているが日本産をもっと重視して欲しい。京都では京都産のものを値下げせずに売っている。値段だけで競争していることは自分で自分の首を絞めることである。
       
 第128回  4月23日  「再稼働」 原発が動かなくても何とかなっている。このままでいいのではないか。この冬は石油ストーブ2台で過ごした。地震も怖いし再稼働はどうも。電力消費量がGDPに比例していくのはどうも納得できない。市町村の判断ではいかんともしがたい。知事にがんばっていただきたい。電化製品があまりにも多くなりすぎている。電気がなくなったら動かなくなるようにしないで欲しい。値上げで消費者として意識も上がったし、料金の不透明さを改めて感じている。
 第127回  4月16日  「サクラサクラ」 桜の語源は「さくうらら」が縮った。「さ」は農業の神。それが宿るところ。去年と違ってみているかと。土地が汚染されているので心配である。桜を見ると様々を思い出す。石巻は亡くなった方の数の桜を植えるとか。咲くは「わらう」という。花が咲くというのは笑うことに近い。今年は桜は笑っているんだと思って我々も笑っていたいですね。
 第126回  4月9日  「戻るきっかけ」 3.11以降町を離れたが、三春の場合は戻りつつあるが、入学式・進学は戻るきっかけになる。各省庁により低線量の基準が違う。新しい環境でのストレスが戻るきっかけになるのではないか?全国に福島の避難者がいる。今戻る踏ん切りをつけないと、そこに住み続けることになる恐れががる。福島全体が怖いと思っている。福島に残っている人はそう思っていない。ここが怖いことである。
 第125回  4月2日  「新基準」  年度が変わって極端に基準が変わった。500ベクレルの計算式は以前言った。水が10ベクレルはうなずけない。美味しい水は飲めなくなる。行き過ぎと言わざるを得ない。安心の基準に仕方はないが、危険と言われる領域が増え、自然放射線量がある地域はやりずらくなる。身体にいいと確信して食べると滋養になるはず。
 第124回  3月26日  「坊主と袈裟」 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」。原発と放射能を喩えたい。原発は止めた方がいいし、新たな電力を見つけるべき。放射能は医療にも使われていたことを忘れて憎らしい存在になっている。それぞれ別なものとしてみて欲しい。「インフォームド・コンセント」がストレスをもたらす可能性がある。御用学者危険なものとしてる人がもてはやされる。万が一のことがあった時どうするか?裁判に負けないということが基本にある。放射能そのものの影響よりストレスを甘くみてはいけない。
 第123回  3月19日  「アララの原則」  ICRPは原子力の機関。可能なかぎり低くおさえる。これが忘れられている。今採っている方向がお金をかけてやるだけの価値があるか。限られたどこにお金を有効に使うかが、問題。やっただけでいいということでは済まない。日常生活の中での被曝を考えると、冷静になるべき。年間1ミリについて再度考えて欲しい。被曝量は累積すると考えている寿命を100年として年間で割っているだけ、意味はないと思う。ALARA(アララ) As Low As Reasonably Achievable
 第122回  3月12日  「あれから1年」 他の土地で感じることはどこの県も避難している人がいる。その人たちが福島を危険と思っているのは分断が起こっているのは淋しいことである。避難している先が放射能が高いこともある。目に見えない、感じない、頭だけの問題に現代人は弱い。天皇家は恐らく「測ってどうするの?」とおっしゃっているのでは。測定値によって判断が分かれるのであれば、測らない方がいいのかも。年間20ミリシーベルトが高いからと1ミリシーベルトにたことが夢の話で呪縛である。若者が住まない町がコミュニテがなりたたない。基準値を見直す必要がある。 
 第121回  3月5日  「一周忌」 1年経つと喪失感が強くなる。ここで区切りをつけるのを日本人はしている。「こんにちは」という挨拶は、「は」という副助詞が大事。昨日までは昨日までのこととして、新たな1歩を踏み出す。頭を下げるのは仏教的には「寂滅現前」と言える。たちきろうとしてたちきれないのが「もののあわれ」である。人の情があるからこそたちきれないけども、これを期に頭を下げて歩き始める。まさに日日是好日である。
 第120回  2月27日  「病は気から」 プラシーボ効果で30%以上良くなったと言われるし、漆でジンマシンが出るなど。心が作用する。放射能についても同様で、結果が見えない状態であるから両極端であってはいけないが、心配し過ぎは良くない。避難している人は放射能を危ないとしているし、福島県内の分裂が国内に広まっている気がする。怖がる人も多いが、怖がらない人も多いのが現状。分からないことは決めないで置くと言うことも大事なことである。
 第119回  2月20日  「大穴牟遅神」 日本は八百万の神、状況によってやる仕事は変わると名前が変わる。大穴牟遅神は大仙で噴火をおこして穴が空いたが、それを埋めてき復興したと言われる。出雲では大国主命、阿蘇でも大穴牟遅神は地震をおこす。世界の1割が起こる地震列島であることを再認識した。 88年前の関東大震災とは状況が違う。寺田虎彦にとると「正当に怖がることはなかなか難しい」と言っている。地震にどう対応していっていいか分からない。東日本は人口が割と少ないし、第一次産業地帯で地域の繋がりもあったが、都市では様子も違うだろう。今年は辰年。地震、手編をつけると振れるです。地震には気をつけたい。
 第118回  2月13日  「沖縄と福島」 琉球大学の招聘でホスピスの話をした。除染元年と言われるが、仮置き場、中間貯蔵施設も決まっていない。30年以内に最終処分地に持っていくと言っているが、沖縄の基地問題と似ている。最終処分場を募ったが高知県の東陽町が名乗りを上げたがすぐ取り下げた。福島が中間貯蔵地としてりうが、最終処分地になる可能性が大。井戸川町長が人権を説いたが、成田空港のように大義の為に人権が踏みにじられている。人権を守ることを政府が放棄している状態では国に頑張っていただくしかない。 
 第117回  2月6日  「桃太郎」 鬼は邪気を払うと言われる。鬼が島に行った3人に共通点はない。犬は行動力、猿は智慧、雉は情報力。仲は良くないが力を合わせてやる。桃太郎はリーダー論である。鬼はその度に変わるが、放射能も各行政で足並みが揃わない。総理の元に力を合わせなければならないのに横並びになり命令が1本化してないのが現状。政党政治もある階層を代表していたはずが皆同じようになっている。政党政治が成り立っていない。分割しすぎている。 
 第116回  1月30日  「宮沢賢治と二宮尊徳」 宮沢賢治は震災に縁があった。噴火の際の最小の粒子が落ちてくるのに1万円かかると言われている。噴火の影響が無い生活を書いた「グスコーブドリの伝記」がある。その中で潮力発電所の話も 書いている。一円融合の思想の二宮。世の全ての物質が平等であり、人間の和が必要と説く。理想の田園生活が相馬で行なわれたという。この2人の思想が大切。私自身学んでみたい。
 第115回  1月23日  「無主物の除染」 「無主物」とは11月の伊達市のカントリークラブが東電を除染と客が減ったことを裁判所に訴えた。その判決に風評被害を退けた。放射能は無主物であると東電は主張した。出物はれものという扱いをした。非常に不愉快である。理屈で責任の逃れをしている。あらゆるところを除染しなければならないとしたら大変ではあるが、、、。被災された人たちを雇用して除染にあたるのは報酬があるにせよ問題があることである。
 第114回  1月16日  「興す」 三春のだるま市で書いた言葉。1回目が「発」、2回目が「根」今回が「興」。いろんな動きが集まっていく必要がある。福島県民は全国に分散している。纏まることが大事。1つの船、宝船の七福神のように。皆が違っているが、互いの違いを認め仲良く笑っている。昨年の福島会議であったように様々な意見があるが同じ目標に向かっていけば、方向性が見えてくるはず。達磨は七転八起、ばんばりましょう。
 第113回  1月9日  「収束」 昨年12月に野田総理が原発事故の収束宣言をしたが、県議会が撤回を求めた。「しゅうそく」には「収束」と「終息」があるが、どちらにしても原発は目視できないので状況が分からない。温度にしても推測である。
現実はさておき、約束を守るための発言と思わざるを得ない。福島県民にあっては面子のために振り回されている感がある。お米の安全宣言、内閣府の低線量被曝値、文科省の給食のベクレルの変更、環境庁は除染の新聞広告の掲載まで。被災者に寄り添うといいながらも寄り添っていない。
 第112回  1月2日  「登り竜」  不幸に染まっていてはいけないので気分を切り替えるためにも「あけましておめでとう」。自分をかりたてることが必要。龍は自然現象だが、3.11以降龍にやられた。ブータン国王は「あなたの心の中の龍を育てよ」とおっっしゃた。未知なる心の中のエネルギーを信じて生きる。誰にでも火事場の馬鹿力で力が出せる。龍は天候の変化を表す。虫へんは龍の仕業と考えた。西洋はコントロールできないものをドラゴンとしたが、別のものだ。
 第111回 12月26日   「放射性カリウム」  安い線量計で放射線を測定すると、自然界のもの入って測定されてしまう。果物やこんぶにもカリウムは含まれているので、恐れている現状に不安がある。カリウムを放射性のものとそうでないものを区別して測定することは不可能。私たちの体は放射性のものに慣れているかも?むやみに怖がってストレスにならないように。
  第110回  12月19日  「川から海へ」 粘土粒子が放射性物質を吸い寄せ、低くなってきたこともあるが、雨が降って川に流れる。阿武隈川には500億ベクレルの放射性物質が流れている。いいことなのだが、一方海の魚にセシウムが集積している。かもんかすべ、しろまぐろ、ひらめなどは海の底にいることと、肉食なのでセシウムが高い。粘土粒子に結びついたものは身体に入っても吸収されない。漁業関係者にはなんとかふんばっていただきたい。 
 第109回  12月12日  「食物連鎖」 放射性物質が拡散して濃縮している。今心配なのはいのしし。10月末にセシウムが濃縮されている可能性がある。 猟友会会員が減り、山が草むらになり、4〜5年後にはいのししが異常発生する可能性がある。農家は放射能やいのししの被害n悩まされている。昆虫では蜘蛛が強い。放射性ギンが蓄積されている可能性がある。放射性ギンはかなりの毒性をもったカドミウムに変化する。困ったことである。
 第108回  12月5日  「町の存続」  第13回復興会議でばらばらになった町の人達をどうするかを提言した。別の所に町をつくるのが必要ではないか?チュルノブイリでも町はつくったが、行政単位での町づくりが必要なのだが、政府には明確な返答がない。戻るならこの場所として指定した方がいい。国会でまた別の会議を発足させるとのこと、そのまま移行しないことに納得いかない。
 第107回  11月28日  「仮設の冬」  仮設は寒さの対策が心配。車の運転も。いわきの人はノーマルタイヤで雪道を走行するのでアブノーマル。子供は雪を愉しみにしている。買物が不便、地元のお店も販売に行って欲しい。往診など訪問看護を充実して欲しい。雪かきも大変。お寺はいけないけど個人訪問して欲しい。冬のボランティアも是非行っていただきたい。
 第106回  11月21日  「秋の実り」  お寺はいただきものが多い、栽培している栗や山で採れたきのこなどが届く。微量のベクレルが入っているのはいただく、問題はお米である。福島県産は美味しい。安全であることの温床を受けている。JAも卸値を昨年並にし、小売りも同じ値段で仕入れている。福島県産を進んで買ってくれる人もいるが、嫌だという人もいる。いま日本の民度が問われている。温情ではなく普通に福島県産を食べていただきたい。
 第105回 11月14日   「恐ろしきTPP」  TPPはこの国の形が崩れるとんでもないもの。世界同基準で出来るはずがない。文化は受け入れられない。平成の大開国と言われるが、オバマ大統領の雇用問題がある。あらゆる人たちがなだれ込んでくる。日本はアメリカの植民地になる。最後の1線だけは越えて欲しくない。ぐずぐずすることが日本の取るべき手。世界から飽きられても守るべきものは守る姿勢が大切。
 第104回 11月7日   「ふくしま会議」 11月11日〜13日まで開催。震災の後いろいろな活動をしている人を繋げようと。1つの結論は出ないかもしれないが、話合える場を作り、世界からも集まって世界に発信していきたい。13日は福島の各地で開催したのを連携してやる予定。正統に怖がることが難しいがどうなるのかは分からないが、同じ体験を共有しているので何かの方向性は見えるのではないか。dancyu
 第103回  10月31日  「賠償とお布施」  精神的ダメージの補償がある。9月から補償が半額になるのは理解できない。苦痛に対してはかることはできない。値段がつけられないのはお布施と同じ。誠意と志を勝手に決めることではない。被害が多方面にわたっている。地震津波と原発事故をはっきり分けることは不可能。被災者の気持ちをどこまでくみ取れるかそこが問題である。申請書はあまりにも難しい。口頭で聞いて書くべきではないかと思う。
 第102回  10月24日  「海の幸・山の幸」 春の山菜採りは駄目で、きのこも駄目。放射能を集めている感じがある。きのこは植物か動物かの論争もあるほど。胞子は無数の長い菌子を伸ばしているので地中の放射能を集めているかも。さんま、鰹も今年は不安が付きまとった。米も有機農法に拘った農家ほどセシウムをすってはいない。農家の方の努力が放射能を防御する形になった。 
 第101回  10月17日  「たまきはる福島基金 「たまきはる」は命の枕詞。10月13日発足した基金。地震・津波・原発事故で様々な援助はあるが、行政の行き届かない部分で若者の支援も含めいろいろな面で支援したい。資金では大規模ではないが、市民の目線で大事なところで資金を援助したい。したくても援助の方法が分からない方にご協力をいただきたい。国や東電がすべきではあるが、どうしても行き届かないところがあるはずである。 
 第100回  10月10日  「体育の日」  
 第99回  10月3日  「どじょうと土壌」 どじょう内閣に期待するのは除染です。二本松の民家を例に上げ、取り除いた土の中間処理施設の場所も最終処理地も決まらない状態の中で、どこに置くかが問題である。泥まみれになりながら内閣には処理して欲しい。菅さんは県内処理を申し出たが、 県外処理は難しい。細野さんはある場所を考えていたようだが、無理でしょう。
 第98回  9月26日  「数字病」 3・11以降今まで見ない数字が多くなった。放射能そのものよりも不安の方が体に影響をもたらしているのではないか。数字で左右されるのは良くない。気にしながら除染はすべきだが、安心している方がいい。ベクレルからマイクロシーベルトに変換することを覚えて欲しい。詳細へ 
 第97回  9月19日  「追善供養」 春彼岸はほとんど出来なかったので今年初めての彼岸かも。観相して浄土を想う。生前に出来なかったことをしてあげるのが追善。お彼岸は自然の流れの節目。一陽来福、自然の中に死者は還っていく。遺体は見つかっていなくとも自然の中にかえっていったと思うべきではないか。死者は胸の中で一緒に生きていく存在。おもかげという日本人独特の感性。いろんな時間を含み込んで今を生きている。それを感じるのがお彼岸である。崖 
 第96回  9月12日  「幻滅期対策」 災害心理学によると英雄期・密月期・幻滅期に分かれる。幻滅期に入ると個人の働きではどうしようもない。行政が入らなければ何ともならない。会議は増えるが内閣内のつながりがない。歯車が旨く噛み合っていない。非常時に全体的な働きがなかった。そのあたりをきっちりやっていただきたい。非常時である意識はもって、組織を単純化することが重要。テンションを高めて乗り切ってまっすぐ行なっていただきたい。 
 第95回  9月5日  「置き土産」  
 第94回   8月29日  「自然な暮らし」 節電で自然な暮らしの在り方を知ったのでは。普通の生活を送ること。自然エネルギー、再生エネルギーが進められようとしているが、危うさ脆さもあることを覚悟すべき。自然という言葉に弱くなっておりない、素直に信じてよいものではない。
 第93回   8月22日  「平成の大疎開」 福島の子どもたちはこの夏休み各地に避難している。疎開とは戻ることを前提にしていることで、何時か分からない場合は移住になるのではないか。放射能への怯えは分かるが家族一緒が望ましい。まずは除染をして今後のことを考えて欲しい。研究をする子どもも増えてくるだろうし、まずは安全く暮らせる地域が大切。経済負担も企業の協力が欲しいもの。 
 第92回   8月15日  「有縁と無縁」  お盆の中心になるのが「有縁無縁三界萬霊」。今年程このことが身にしみることはないと思う。ご自身の亡くなられた祖先と震災でなくなった方とは繋がっていると思う。お盆は知らない人の供養をする。復興にも繋がりがあって支えて耐えていくこと。こんなに皆が繋がっているということで盆踊りは元気に踊って欲しい。繋がるということで避難所に皆が集まる場所を作って欲しい。
 第91回   8月8日  「科学と技術」 今回の原発事故から政治と密着している。工学部は学者を育てる。お金が出る方向に技術が進む。地震学者の意見が取り入れらない。科学ではない。ひもつきは学問ではない。ひもつき学者と反対の学者がいて中間の学者がいない。お金と関係のない学者が育って欲しい。お金で動いていく強引策ではいけない。大学は孤高であるべき、企業にアピールする学者が多すぎる。技術は先に進めたいという意識が強い。至上主義にならず歯止めをかけることが必要。 
 第90回  8月1日  「まだ隠していませんか」  一関の稲わらから放射性セシウムが発見されたという発表はもっと怒っていい。NHKのETV特集で3月21日に水素爆発があったということが分かった。今まで流された情報だけでは理解できない。東電が隠している。プラントを造った会社ではない会社が入るべき。不利益になることは発表しない。同時多発的に起こってはいるが、復興庁をこちら(現場)にもってきて欲しい。憤懣やるかたない。民間の調査のモニタリングではわかってはいたが、これ以上幻滅させないで欲しい。
 第89回  7月25日  「実生プロジェクト」  種から育てたものは根づき易く育つとされ、桜を種から育てている人がいりのでそこから名づけた。千年後の子どもを守ること。線量計を子どもさんに持ってもらい東北大の協力を得てデータを集積すると共に個人にも提供する。福島全県にいずれは広めていきたい。三春は合併しなかったので纏まる機能がある。ご興味のある方は三春町に問い合わせてください。
 第88回  7月18日  「チェンジ」 大震災がおこって東北地方の苦悩に耐える姿を称讃したけど、効率。市場経済から比べるとゆったりした生活を過ごしていた。我々が先頭に立たなければいけない。福島に落ち着いてやっていかなければならないリゾート立国、エネルギーの問題も。いろいろな面で変わってくる。のんびりした生活の中で福島なりの在り方になる。発電量、種類も日本一かも。温泉に入りながら東洋医療、最先端医療ができるといい。山がセシウムの問題で心配ではあるが。研究を最先端までいって欲しい。 
 第87回  7月11日  「踏み絵」 キリスト教の踏み絵ですが、福島の畜産農家は一種の踏み絵をさせられている。殺処分はいったいどういうことか?ペットはよくて牛や豚は草を食べて内部被曝しているかもということ。人間もそうかもしれない。福島県民全員に広まってしまう可能性がある。これを撤回してもらわないと困る。まだ2,000頭くらいいるらしい。家畜と特別な関係を結んできた県民である。内部被曝を調べるためにも生き残って欲しい。牧場で飼って今後を調べて欲しい。前例がないことなので研究所を作って類例のない結果を出して欲しい。 
 第86回  7月4日  「復興への提言」 「悲惨の中の希望」が副タイトルです。12人に意見ですが、うまく纏まったと思う。繋がりがテーマ。人と人、県と県、地域と地域、未来への繋がりであって欲しい。原発抜きになるということで梅原さんは怒りを露わにした。全体として「福島県に住んでいてよかった、人もうらやむ県になって欲しい。リゾート構想はけずられてしまったが、そこまでもっていって欲しい」この街に住んでいてよかったというところまでもっていって欲しい。 
 第85回  6月27日  「防災と減災」  阪神大震災の時に減災という言葉が出来た。今回程思い知ったことはない。日本の中で87メートル、1958年にはアラスカに500メートルの津波が来た。防潮提はせいぜい20メートル止まりでしょう。これがあるから安心という意識が被害を大きくすると思う。退路を考えた方が安全である。決定的な方法は逃げること、丘をつくる方がいい。家や鎮魂の場所をつくる方がいい。スカイツリーは五重塔で免震構造。先人の知恵を基にした方がいいと思う。
 第84回  6月20日  「警察と自衛隊」  今回の震災ほど警察と自衛隊のみなさんにありがたいと思ったことはない。水素爆発を発見したのも警察だった。警察本部が県庁から福島市に移動で連絡がつかない。避難指示をして回ったのも警察だった。瓦礫の中での遺体の捜索を全国の警察官の方がしていた。自衛隊もn毎日浜に通っていた。指示系統が日常からはっきりしていた。政府とは違う。分かり難い。「はい」って言って言うことを聞いてくれる組織はすごい。敬礼して亡くなった方をおくる姿に遺族はほっとされたそうです。
 第83回  6月13日  「犠牲」  犠牲はどちらも牛篇である。昔から牛などはいけにえになっていた。動物も人間も同じ命。キリスト教圏とは違う。飼い主の了解をえて安楽死を決定したが、納得する人が少ない。家畜を放射性廃棄物とみている。石灰をまいてブルーシートで覆うのはバッドシーンではないか。他の福島県で預かってはくれないか?研究手段として残すことは出来ないか。餓死している動物もいるが、人間に役に立つのは保護しているのは納得いかない。悉皆成仏ですから。飼っている人の気持ちを理解していないのでは。
  第82回  6月6日 「どうせまた」  原発の情報が見えてこない。 2ヵ月前にメルトダウンしていたということにどうしたらいいのでしょうか。5号機が温度があっがったという新聞記事があっても「どうせまた」となっている。情報の流さ方で感心が薄くなっている。再臨界がおきて水素爆発がおきた時そう知られてくれるのか不安である。そうだったらしいと夜になってから知らされても動きようがない。情報の在り方を考えるべき。腹立ちを通りこして原発について感心がもてる情報を流して欲しい。文章を読んで発表しているのは誰が書いているのか?吉田所長ががんばっているようですのでその情報を伝えて欲しい。
 第81回  5月30日  「余震と予震」  与震の言葉があるかどうかわからないが、3.11の本当の余震かどうか分からない。マグニチュード9.0以上のものがこないとは限らない。2010年までに学者によると2回あるといわれている。静岡と四国の2ヶ所。富士山も爆発するという。今度の地震はもっと大きなものがくるという予震かもしれない。原発もこれ以上の地震が来たら対応する準備を始めているが、もっと大きなものがきたらどうするか?津波は32メートルだったから50メートルに対応しなければいけない。節電の意識は高まっている。冬にいちごはいらない。ナスはいらないといっていい。旬のものを食べるのでいい。24時間やる必要はない。自然な暮らしでいい。不自然な暮らしをする必要はないのでは。
 第80回  5月23日  「責任と権利」  今回の原発事故で各国から支援、義援金をいただいている。高濃度の汚染水を海に放出したことで、各国語でお詫びをすべき、国の責任である。官僚との連携がとれていない。すでに?東電だけの問題ではなくなっている。国としての対応が必要である。国を追われている人々に補償金は当然の権利である。奪われた人生、生活である。いくら払っても払い過ぎることはなお。戻らない。正当な権利と思っていい。少しでも前の生活に近いように戻ってほしい。
 第79回  5月16日  「放射能とのつきあい方」 寺田寅彦氏によると「正しく怖がるのは難しい」と言っている。気にしすぎると身体に良くない。放射能がどう悪いかを認識すべき。活性酸素により修復能力が低下すると発かん力が上がる。ものすごく怒るとノロアドレナリンが二重螺旋を壊す。子供の場合は問題であるが、大人の場合は腹を立てる方がよくない。あるものとどうつきあうかが問題である。宇宙の方が放射能が強いが、病気になったという話は聞かない。東電は早く収束して欲しい。嫌な奴だが上手につきあうしかない。穏やかに暮らしていただきたい。
 第78回  5月9日  「新しいコミュニティ」  避難所の人が21%が仮設住宅には移らないと返答した。プライバシーのない不自由な生活だが、生活そのものを奪われている中で収入がないのではなりたたないし同じ境遇の人で気持ちが分かりあえるので仮設住宅は行かないという選択している。三春は温泉もあるのでお風呂はなくてもいい。その予算で集会場などコミュニティの場を作って欲しい。都市部とは違う仮設住宅を作って欲しい。今までのコミュニティも併せ新たなコミュニティが出来ている、それを大事にして欲しい。
 第77回  5月2日  「ひまわりプロジェクト」 テレビ、復興構想会議で話したが、ひまわりを使ったのはスリ―マイル島、菜の花はチェルノブイリである。セシウム137は20年経過して20センチ以下に沈んだもの、福島の場合は2センチで2センチはぎ取るのがいい。固めてあるのはよくない。外部被曝が強くなる。金属の塀で放射線を遮って欲しい。砂ほこりが外部被曝になる。ブルーシートで覆うのは当然である。測定をしてどのくらいなら子供が近づいてもいいかやって欲しい。耕してはいけないのが1番。行政がいろいろ考えている。カリウムもいい。種の周りに放射能はたまる。(時間の為終了) 県民、国、世界全てで叡智を集め、放射能汚染を防ぐことを考えて欲しい。
 第76回  4月18日  「道の原点に立つ」 避難所生活をされている方はいつ戻れるかわからない状態。様々な経験をして言葉を失う。どうでもよくなっている状態。全てがなくなって骨だけになる。死にがいと云えば、残ったものがどのように生きるかが問題になる。一から始まるけどマイナスから始まっている。原発が収束しないと何とも言えない。原点が見えたからこそ、物の本質、何が必要かかいろいろなものが見える。
 第75回  4月18日  「救済と供養」  未曾有の災害で多くの方が亡くなり、ご遺体も搬送されない状態が続いている。普通ないお葬式が続いている。相馬の方々が会津、郡山、福島で火葬が行われているが、和尚さんばボランティアでお経をあげている。めちゃくちゃ忙しい状態で救済と供養をしている、自衛隊の人がすごく力になっている。自衛隊の人が全員で敬礼して供養してくれる。様式美は供養になる。供養が出来ない状態でも儀式は尊ばれている。後のち何らかの供養をしなければならないだろう。東北には信心が残っている。一人ひとりの埋葬準備は経済原理に反している。ここはきちんとして供養して欲しい。
  第74回  4月11日  「有縁社会」 無縁社会がNHKの番組で有名になりましたが、東北ではそういうことはない。復興にあたっても行政が中心になって地縁、血縁で復興に向けてがんばっている。20キロ30キロの単純な割り振りでやって為の問題が生じている。逃げるスピードが違う。若い人は早くお年寄りは遅い。居場所がわかっている人が2500人という町もある。町全体、行政単位での動きが取りにくい。自分の家がどの位の距離がどの位かはわかり難い。ボランティアに行きたいけど外出しない方がいい地域ではボランティアも難しい。そんな中でお医者さんががんばっている、頭が下がりますね。 
 第73回  4月4日  「大丈夫と危ない」 地震の為に中断していた放送が本日から再開されました。
地震の時は知りあいのフレハブ小屋に居たがあまりの揺れに飛びだした。道路が揺れ、停車している車同士がぶつかりあう程。とんでもないことが起こっていると思った。福島は地震、津波、原子力発電と複合的災害になっている。政府は「健康に害を及ぼす程度ではない」という発表があった後福島県産の野菜gふぁ出荷停止になったことは納得がいかない。おしなべて1つのデータの開示である。会津が調べられていないし、郡山も天栄村も数値を出していない。大丈夫だと言い続けた上での出荷停止が分からない。後に問題はないレベルと解除している。十束ひとからげである。土壌の検査をしっかりした上でデータを開示し、農業国福島として復活して欲しい。 
 第72回  3月7日  「便利すぎる」 京都大学の入試問題について、もっと人の知識を上手く使うべきではなかったか?便利すぎることでいろいろと問題が生じている。便利になることで人間の中に機心が生じるので便利なものは持つべきではないと荘子は云っている。ほどほどの便利さがよいのでは、、、、。
 第71回  2月28日  「うるう年とうるう月」 太陽と月を基準にしているのは日本独特のものである。月の影響により潮の満ち引きがある。引力は海だけではなく人にも及ばすものである。日本人のよい文化であると云える。
 第70回  2月21日  「太鼓」 乾燥している時の太鼓の響きはいいものです。大きな太鼓の皮が牛の雄と雌を表裏に貼り、鼓は馬、三味線は犬です。太鼓はリズム楽器。お腹の中にいる時から心臓の音を聞いて育っているので心地よくリズムは響きます。耳は聞きたいものだけを聞いている。自音響反射だとイギリスの学者は言ってます。いろいろな状況で聞かれているとは思いますが、この話もきちんと通じているといいのですが、、、。 
 第69回  2月14日  「記念日」 いろいろな記念日があるが、商売を促進する目的があるような感がある。こだわりすぎると記念日鬱病になるとか。 特別な日にするためにプレッシャーになるから。何年に1回だといいのですが、、、。毎日違うことより毎日同じペースで少し違うくらいが丁度いい。
いただいたバレンタインのチョコはありがたく頂くが、最近は数が減っている。いただいたチョコのお返しはしていません。この場をお借りして「すみません」
 第68回  2月7日  「繋がり」 人間は見えないところで繋がっている。ダーウィンが研究した蘭を例に上げて説明。矛盾を抱えたまま生きる、ふと思い出すなどの偶然性が必要になるのでは。
 第67回  1月31日  「立春」 つぼみが張る、膨らむ、立つにしても縁起がいいこと。日本の暦は複雑。旧暦と新暦が相交わっている。7世紀以前は新月を基準としていたので1月15日が小正月、旧暦の7月15日はお盆になっている。
 第66回  1月24日  「冬の花」 冬に咲く花は白が多い。冬花はとうかと呼び、山茶花。冬から春につないでいる咲く期間の長い貴重な花。季節が変わると心機一転となる。冬は赤い実が多い。雪の中できれい。季節で花の色が選ばれているような。雨の中に咲く花の色もいいですが。 
 第65回  1月17日  「天変地異」 普通が分からなくなってきている。自然が人間にコントロールされてたまるかっていう感じ。コントロールできないものは明るく諦める。天変地異は振りかえってもとに戻ることの必要性。和辻哲郎が日本人はモンスーン型の民族と云っている。コツコツ努力はするが諦めが早い。計画病をなくして明るい諦めでいく。無心で力を出すことでしょう。 
 第64回  1月10日  「保守と革新」 守るべき伝統があるところで革新が生まれる。辛卯の年、本当の革新が生まれる年です。保守すべきものが見えないのが現状ではないか。今はリ・グローバリエーション(フランスの学者が提唱)、排除して守るということが言われている。日本的であるとは何なのかを考えるべき。保守をぶち壊したが、何を守るかがはっきりしないのが今の政権。維持していくのは難しいのでは 
  第63回  1月3日
(2011年)
 「お屠蘇と雑煮」  最近はあまりお屠蘇は飲まなくなった。古くは屠蘇散という薬草からきている高価なものものであった。お雑煮は江戸時代末期の始まったと言われ保臓の意味をもつ。いろいろなものが入っていることから雑煮に変わっていった。関東と関西の分かれ目は丁度関ヶ原のあたりです。
 第62回  12月27日  「除夜の鐘」 日本で始まったとされる除夜の鐘についての言われを話しました。鐘の音がボンノーと聞こえるから煩悩と関係しているのかもしれませんね。 
 第61回  12月21日  「すす払い」 天井の掃除は年末。シーズン毎にお寺は動いている。よごれているからするのではなく、ある行為を時間がきたら始め、終わるのである。外を掃くのは日本くらい。掃くのは禅宗ではなく神道の考えである。気になるものは払っておこう。これをしないと歳徳神が来ないと思ってすす払いを。よいお正月を迎えるための行為ですね。
 第60回   12月13日  「就職難」  未曾有の就職難の時代。やりたいことがはっきいりしていると耐えられるかもしれないが、ほとんどの学生はうつ状態になっているのでは。人を育てない企業側にも問題がある。点数至上主義はよくない。家族の団結力を低下させ、個をもちすぎてコミュニケーションが不足がもとになり面と向かい合って話てしあえる人間関係が無くなっている。
 第59回  12月6日  「喪中はがき」 喪中はがきは13カ月の期間がある。お正月には喪中のきちんとした決まりはない。 はがきの扱い方について話ました。
 第58回  11月29日  「北枕」 お釈迦さまが古里に帰る前に亡くなり、古里に頭を向けたのいが始まりで、お釈迦さまへの遠慮から北枕はよくないと言い伝えられている。言い伝えの根拠を探ると以外がことが分かってくるはず。私は磁気に逆らわずに北枕で寝ている。その効果は?(私を)ご覧になれば分かるはず。 
 第57回  11月22日  「お茶の花」 お茶と言えば禅寺を思う人は今はいないだろう。栄西禅師が中国から持ってきたと言えれているが、空海も最澄も育てていた。平安時代は外来のものとして排除したが、鎌倉時代に再び入ってきた。武士の士気を高める効果があったが、今はリラックス効果や制ガン効果があると言われている。政治的圧力でイギリスでは悪い影響があるとされた過去もある。お茶が同じ葉をいかに発酵させて多くの種類が出来ているが全て同じ葉から作っているのだからすごいことである。
  第56回  11月15日  「七五三」 成長における通過儀礼の1つです。中国の陰陽暦からきており、奇数が陽。儀式においては奇数であることが多い。お寺も神社にもお守り、お札があるのは道教に由来している。七五三も三三九度も道教の影響です。 
 第55回  11月8日  「火」 家庭では電化が進んで、火を使わなくなったが、火にはなつかしい気持ちがあり、気分が落ち着いたりと好きですね。(火は)お祭りにもかかせないもの。昔は村に1つ火を守っていることろがあって家に火が切れるとそこにもらいにいく。その守人が火男、ひよっとこである。大きな仕事を与えられていて、火を吹いていたためにあのような顔になったと言われる。奥さんがおかめさん。お寺でも朝一番にすることは火を熾すこと。住職をへりくだって言う時、火番と言う。夏下冬上で炭を焚いている。昔は火があるところに人は集まって来た。卓袱台がそう。(火を使わなくなった)今は何の周りに集まればいいんでしょうかねェ。
 第54回   11月1日  「情報」 情報は生のものがいい。文書とかメディアを媒介しているものは判断する相手の考えが入ってくるものである。コントロールされた情報も怖いが、ありふれた情報に惑う。コンピューターに向かうことが仕事になりつつあることに危惧を感じる。 
 第53回  10月25日  「死なない国」 万葉集、古事記には「死ぬ」という言葉はなく、「去る」という言葉が出てくる。出来事が重なりながらだんだんと感じなくなっていき、きっぱりと転換していく訳ではないのである。生まれくるものをどう手入れしていくのかが問題なのである。頭を剃ることはキリがないことを知るためにしてしることかもしれない。キリのないものはどうしようもなく、抜本的解釈を求めるのではなく、庭木のように手入れをしていくこと。状況が変われば問題はなくなっていくものである。 
 第52回  10月18日  「矛盾好き」 日本人は矛盾好きだと思う。『菊と刀』、秦の始皇帝が高く評価した韓非子などを例にあげる。矛盾の意味とは、、、。解決されない矛盾をかかえていると、生き生きとして長生きできるような気がする。 
 第51回  10月11日  「アブラクサスの祭」 主人公の淨念に自分の悩みを投影して生きるヒントを得ていただければと思う。 
 第50回  10月4日  「アブラクサスの祭」 「アブラクサス」の意味は古代ゾロアスター教の神様、原始キリスト教。善悪はたいしたものでない。自分の中の嫌な免を出せる場所が今はないのが現代の悩みでもある。自分を求めるロックの坊さんの話がテーマ。 
 第49回  9月27日  「丸いのに月」 言葉より音がものを運んで行く場所がある。日本語の月はどうしても尖った感じを受けないだろうか?言葉のイメージを日本人は良く使う。音と言葉の持つ意味に関して思うことを話す。
ちなみに名前からも人のイメージがもたらされるが「宗久」はもてはしないが、頼りになる名前だとか……。
 第48回  9月20日  「老いる愉しみ」 年をとっているだけで尊敬されない風潮のようである。能力を一面的に見ることには疑問を感じている。『荘子』の一説に「老いは楽しみ、死は憩い」とある。細かいことにとらわれないぼんやりした状態、脳科学者によると年をとってくると結晶性知能が栄え俯瞰してくるので総合的な判断力が出来るようになるとのこと。老眼は中国では「花眼」といい、全体がうすらぼんやり見えることをいう。うすらぼんやりは余計なものが見えなくていい。お年寄りを仰ぐ社会。最終的には年が上は上である社会がいいのでは。
 第47回  9月13日  「ケイタイ」 あまり便利すぎるものは恥ずかしいもの。そこまで必要がない気がする。生活の中にどこまでも入ってくるケイタイの在り方は失礼ではないかと思う。入り込まれたら嫌な時間もあるので、持たないという選択をしている。 面と向かって話さない今の若者は一度脳に変換してから付き合うという状況かも。
 第46回   9月6日  「自然の復権」 暮らしやすい四季のある日本に住んでいるが、自然が凄いというのがこの夏。自然は制御できないものと痛感する上でこの暑さはいいかもしれない。自然とどうつきあうかが大切。自然体であるのが信条である。
訓練は実際に起こった場合にその記憶が邪魔をする。自然の怖さをじかに感じることである。想定はことが起こった際に邪魔になる。想定外を楽しむくらいの気持ちがあった方がいい。 
 第45回  8月30日  「締め切り」 締め切りがないとやらないもので、やるためには締め切りが必要である。私は締め切りを破ったことはなく、イメージがふくらまない仕事は受けていない。人にとっての一番大きな締め切りは「死」。いつだかわからないから一所懸命生きる。あとどのくらい生きたいかの質問に、年齢に関係なく、人はあと5年と答える傾向にある。日常の思考の外にあるのが5年かもしれない。「今日できることは明日に伸ばさない。明日できることは、今日するな」このことが一大事に対応していく生き方だと思う。い 
 第44回  8月23日  「台風と日本人」 和辻哲郎さんの『風土』にとると日本人はモンスーン型の気質で、台風が来る地方特有性格をもつ。コツコツと努力はするが諦めが早い。この頃は不可抗力を諦めない風にある。これは国の方針が変わらせつつあることかもしれない。 
 第43回  8月16日  「渋滞の先頭」 先頭はないをしているかと腹立たしくなる。自分が渋滞しているという自覚はないのではなしか。お盆の渋滞はお寺としては好ましいことであるが、、、。渋滞は嫌なものである。イライラを解消する方法として渋滞した時は自分は生まれた時から渋滞していると思うこと。中村天風さんによるとそうすることで、耐える・我慢するということを越えるらしい。発想を変えるのが大事。怒ることのメリットはない。怒るkとなく慈非深くハンドルを握って欲しい。
人生の中でその期間を選択できるという条件で運転出来る期間を定めてはどうか。 
 第42回  89日  「先祖は誰」 普通は父方をたどって先祖とするが、仏教では双方合わせて先祖と捉える。それぞれの遺伝子を受け継いでいるのだから可能性があり、何があっても可笑しくはない。十代前まで遡ると先祖は1024人で、一億人の先祖となると十億人になってしまう。昔の日本の人口はそんなにないのであるから、ほとんどの人が繋がっていると考えていい。 
       
  第40回  726日  「鰻」 土用の丑の日。夏に活発に動いたエネルギーを補給しようというところ。鰻も好き。三春にも美味しいうなぎやさんがある。うなぎと梅干の食べ合わせがよくない根拠はない。ドルが蔓延しているよくない状況で外国産が入ってくる。国内のものを守る、近所とか知り合いの人のは少し高くても買ってみては。国内の産業を守って欲しい。せめて日本に戻ってきた鰻を食べたいものだ。 
 第39回  719日  「鰹」 鰹の文化は江戸時代にもあり、鰹縞という柄もあった。もっとも消費しているのが高知市、第2位が郡山市。沢山消費するところには、必然的に美味しいものがはいってくる。「女房を質に入れても食べる」とされた江戸時代はからしで食べていた。私はおろしにんにくがいい。薬味が毒気を無くすのでしょう。江戸時代に鰹は鮪よりも珍重され高価だった。鰹の柄は海のもっている勢いを感じさる。今年も鰹で粋に乗り越えますよ!  
 第38回  712日  「国民の義務」 納税・教育・勤労の三つがあげられるが、この頃は働く場を失ったりと義務が危うくなりつつある。選挙はお彼岸とかお盆の日曜日が多く、坊さんとしては、なかなか選挙をするのも大変である。国民の義務なのであるからいっそ休日にしてはいかがだろう。健康管理義務も近年言われているが、健康の定義事態安易に規定できるものではない。
 第37回 75日  「七夕とお盆」  旧暦でするところもある。七夕の一週間後がお盆。七夕は星祭りとして中国からきたが、竹を立てる習慣は中国にはない。お盆を迎える印として高灯篭を立てる地域もある。そこから竹との関係が生じる。昔から願は星ではなくご先祖さまにするものであった。お盆というのは夏の満月に帰ってくるご先祖さまを迎えるもの。極楽浄土は遥か彼方ではなく月とみなしてした。月は死者の世界。月から戻って月に帰るのがお盆である。
 第36回  628日  「六曜」 六曜とも六用とも書く。太陰歴から一月を六つに分ける。唐の時代に始まり、日本には鎌倉時代か室町時代に入ってきて、江戸時代後半に盛んになり、明治に入ると爆発的人気を得る。行動の基準の目安としやすい。よすがを求めるのに合う存在。本来なら逆らえる位の意気込みがあった方がいいのであるが、まぁ、都合のよいことは従った方がいいかも。 
 第35回  621日  「夏至」 陰陽の考え方からきており、陽が極まったのが夏至で、陰が極まったのが陰である。陽が極まったといえば後は下がるしかないので大吉とも云える。サイクルの中の季節を生きていくわけであるから夏至とはいえ一喜一憂するkじょとではない。バランスをとることが重要。陽は動き回ること。季節の変わり目に苦いものを食べるのは身体がそれぞれの季節への準備。立春になる前の18日を土用であるが、それぞれの季節の準備期間としている。その季節をかたどったのが四畳半である。 
 第34回   6月14日  「ジャパン」 日本らしさとは?外国と比較しないことが日本らしさ。水と自然の豊かさ、序列なく次々と生まれてくるヒエラルキーをつくらない、いろいろと選べながらも横並びにしていることがいいことだろう。 寛容に認めあっていると思う。順番をつけてスッキリしたいというのが本能ではあるが、それを絡めることなく愉しんでいただければありがたい。
 第34回  6月7日  「結納」 離婚率と結納をしないという比率は対比している。家同志の結びつき。面倒なことでもした方がよい。結納は明るい記憶として残っている。よい思いでを踏まえて結婚に向かった方がいい。「結納」とは誓い。止めないということを誓う、続けることを誓う。一時的な感情に流されない為にも生き方の誓いにもなるのではないか。 
 第34回  5月31日  「青山」 独特の意味をもつ。江戸時代の僧の言葉。「男児志を立て郷関を出ず 学もし成らずんば、また還らず 埋骨、いずくんぞ墳墓の地を期せん 人間到る処青山あり」に由来し、この世の中どこで死んでもよいことを示している。 この会社に骨を埋めていいという人が無くなっている。人の関係が薄れている。一蓮托生がなくなっているのかもしれない。日本本来のシステムから離れたからかも、新しいシステムを生み出さないといけないかもしれない。
 第33回  5月24日  「柳は緑 花は紅」 有名な禅語。比べようもないものを比べるのが人間社会である。学校の成績では判断できない。便宜上物差しでみているのが成績で、あくまでも便宜であることを忘れてはならない。
皆がすばらしいものをもっており、それを測る物差しはないと考えるべきである。まずは、人そのものを見る眼が必要なのである。 
 第32回  5月17日  「約束」  基本的には守った方がいいが、約束を破ったことがないというのは突発的なことに対応していないということであるから怖い。約束した時の気持ちが尊重されればいいのではないかと思う。
今回の沖縄の問題は、沖縄にだけ負担をかけていたということに気づき、皆でもう一度考えなおす機会になったことで意味があることだと思う。マスコミの論じ方にもいかがなものかとは思う。政治は未来をある程度策定することだから約束は仕方がないこと。個人レベルとすれば、遠くの星を見つめ、後はごく近くのことに目を向けていけばいいのではないか。
  第31回   5月10日  「子どもらしさ」 うちのお寺の鯉幟は支柱が高さ16メートルで揚がっている。何故子どもが「鯉」なのかと云えば逆流を上る生命力からきている。どの宗派も反対しない宗派は?「らしゆう」(おやじギャグ)このところ子どもらしさが失われている。大人予備軍として位置づけられているようにしか思えない。また、おとしよりもおとしよりさが失われている。 「らしさ」を大事にして欲しいと思う。
 第31回  5月3日  「憲法とルール」 今日は憲法記念日ということで。九条が話題になることが多いが、どういう経緯で作られたものであるにせよ、理想であるから理想の法である。
孔子は人々の心の中の恥を信じることが出来れば、きまりや罰は無くていいと言っている。恥じる心が信じられるのがいいのである。
仏教では四句誓願の中で無理なことを説いているが、無理だから永遠の誓いになる訳である。信じなければいけないというのは、こうしなければならないという思い込み。そのままで生きるということを信じなければ、、、。 
 第30回  4月26日  「黄金週間」 活字では見なくなった言葉。余暇がなっかった民族にやってきた大型連休。江戸時代の奉行は半月が休みであったものだが、キリスト教社会にならっている。イスラム教では安息日は出かけてはいけない日、経済活動をしない、2文字以上は書かない神に近づく日であった。どこかで神様に出会ういいことが在る日であるといいですが、、、。お伊勢参りなど、旅の文化は昔からありました。青い鳥が見つかるといいですね。 
 第29回  4月19日  「桜咲く、桜散る」 桜は農業の神が降り立つ所とされる。祭りの特徴で神様の元で平等になる。社会的立場を離れるのが祭りである。忙しさ、疲れから離れる。桜が好きな日本人ははかなさを愛でるのもかもしれない。祭りは無礼講であるが、礼儀は虚礼になってはいけない。心を込めなければいけない。
 第28回  4月12日   「花より団子」 大阪のいろはかるたの1句。花見は地域との繋がりでやるものであるが、この頃はその繋がりは希薄になってきている。コミュニケーションは近くの人を大切にするものいわゆるスモールワールドであったが、携帯。ネットの進歩で繋がりが遠くまで及ぶようになってきた。脳の働きはニューロンにより情報の伝達を行なっている。隣の人との関係を深めるのがいいのでは、、、、、。 
 第27回 4月5日   「子ども手当て」 一律ではなく、きめ細かい方がいいだろう。親、地域を頭ごなしにした法案の気がするし、携わっている方々の意欲をもたらすものではないだろう。 いろいろな時期があっていいし、後になってみないとわからないことが多い。
 第26回  3月29日  「心の区切り」 区切りをつけて目標を立てている。善は急げ、急がば回れと相反することが云われるが、両面性があるという味方が必要だと思う。床の間は目標を掲げ今日という日に区切りをつける空間として江戸時代にはあった。上手が区切りをつけることが必要ではないか。参考文献としては日本人論『菊と刀』。 
 第25回  3月22日  「陰と陽」 お彼岸にちなんで。身体が開いて悪いものもいいものも入りやすい時期で、来福する時は瞑想をして過ごすのがよいと中国で云われてきたことに由来する。日本では時期が1週間に伸びてご先祖さまをお参りするようになりました。 ご先祖さまは私たちの中に眠っている可能性を見つめさせてくて、瞑想は自分自身を解ける行為である。春と秋の彼岸の違いと云えば、これから春に向かって気分的にも明るくなってくることかも、いいものを取り入れていただきたい。
 第24回  3月15日  「案じてうまない」 少子化問題に関して。先のことをあれこれ案じることであるが、教育の中で持ち込まれた計画性により成り行きに任せる生き方が難しくさせているのではないか。後悔しすぎるというのもよくはないが、今という状況で現在を観ることが大切である。結果が分からないからこそ楽しみが生じる。分からないままを、ひとごとのように自分のことを愉しみましょう。 
 第23回 3月8日   「あがる」 日本人はあがりやすいと云われている。あがらない方法の1つに意識の置き方として「丹田に置け」と云われている。意識が頭あるいはそれより上にいくからあがるのである。柳田国男によると「にらめっこ」は、はにかみ屋の日本人が人前であがらない方法を得るための日本人に文化であるとした。あがるの反対語は自然体である。自然体とはなかなか難しいもの。少しあがり気味の方が人には好感をもってみられるのかもしれない。 
 第22回 3月1日   「桃太郎」 桃の文化は禅と深いかかわりがある。鬼が邪気で、邪気を払うのが無邪気とされる。禅語に「瞋拳不打笑面」ともある。道教のアイテムであるお札が始めは東に延びた桃の枝でつくったこと、また大晦日のおおつごもりが節分いわれとされる。天龍寺の鬼瓦は鬼ではなく、桃を焼いたものが屋根瓦として使われているが、疑いをもって勝負をしないこれが人間関係の基本かもしれない。
 第21回  2月22日  「努力と運」 受験生に向けて:努力すれば努力するだけのことがあるとは云われているが、兼ね合いを考えるこのも必要である。「人事を尽くして天命を待つ」とあるように、後は全てを任せるという気持ちの有り様がよいのではないか。巡り合わせ、運、ご縁などが運んで人生が変わると考え、自分の中にある秘めた力を信じてみるとをおすすめする。
 第20回  2月15日  「涼しかりけり」 道元禅師の言葉。寒い時に寒いと云うと余計寒さを感じてしまうので、冬をめで、寒さを味わう心情を歌ったものである。得意泰然失意泰然であること。極端な受けとめ方をしないこと。想像はやがて現実味をおびてくるものであるから、イマジネーションを上手く使わないといけません。 
 第19回  2月8日  「記念日」  この日はこうあるべきだと考えるのが「記念日」である。日常にめりはりをつけるのは人間の智恵であるが、かえってそれが自分を縛りつけ苦しめるものとなる。その時に戻ろうとしても無理である。お互いその時の状況からは変化していることを考えなければならない。まずは、毎朝を昨日をリセットし、新たに始める記念日とするのも宜しいかも。
 第18回 2月1日   「鬼」 節分が過ぎると本格的な春になります。鬼は本来理解出来ない世界、それを排除していいのでしょうか。自分が理解出来ない世界、自分を違う世界にいる存在を認め尊重する考えが必要でしょう。意見の一致はいじめを生み、一致しないこともある種の安らぎでもあります。必ずしも一致するのではなく、一致しないことに一人でも誰かが認めてくれるという安心に繋がると思います。終わりのなく、完成のないものが道。鬼は終わらないエネルギーを与えてくれるものだと考えてみてはいかがでしょうか。
 第17回  1月25日  「育てる」 近頃の世の中は、人を育てるという意識が薄れているのではないか。企業の経費削減、グローバル化による競争主義が、人と共に日本の技術 が受け継がれなくなっていることに危惧している。
 第16回   1月18日  「達磨」 禅寺がお正月に掛ける掛け軸が「達磨」です。初祖菩提達磨を表し、初心に返るという意味があります。三春のだるま市で入れた一文字は今年への祈り込めて「發」としました。「發」は新しいから素晴らしいのではなく、そこに何かをするという意志が必要になってきます。始める、起こす。目標をあまりもたず、初心を忘れていないかを自分に問いかけつつ、その日その日を生きるのが宜しいのではないでしょうか。ちなみにだるまさんの赤はインドの僧侶の衣の色です。
 第15回  1月11日  「しあわせ」  『しあわせる力』の刊行にちなみ、「しあわせ」という言葉の成り立ちやそれぞれの時代における意味を話しました。しあわせになりたいというきりがないものを追いかける気持ちが自分を苦しめているのが現代の有り様です。しあわせも幸いも人間関係の中でこそ現れてくるものです。
 第14回  1月4日
(2010年)
 「干支の意味するもの」 干支は自然の変化を60種類に分けたものです。今年は「庚寅」。干支は兄弟を意味し、「庚」は受け継ぐ、更新するということです。去年新しくなったものを償いながら受け継がなければならない年です。また「寅」は勤しむ、慎んで進むという意味があり、寅が大地の氣を吸い込むようにしたしたと歩く年でもあります。1つ1つの干支には、意味があります。その意味を考えながらこの1年を過ごすのもいいかと思います。 
 第13回  12月28日  「春が来た」 先取りの感覚で言っている言葉。待ち望む声がそう言っているのであるが、物事が底をうった一番酷く辛い時期からよい方向への移り変わりを期待とともに愉しむことで言う。よいことがここから始まるとも云える。茶道、易からも例にあげ話ました。 
 第12回  12月21日  「壊れる正月」 このところ非日常のお正月がどんどん日常化されている。やはり お正月という伝統行事を守っていただきたいものである。参考エッセイ
 第11回  12月14日  「なりきる」  「なる」という言葉は状況に応じて変化する。「アブラクサスの祭」の撮影でのエピソードそして役者の方が成り切って演じていることを例に話す。なりきりすぎるのは考えものかもしれないがその場に沿ってなりきりというのは必要なことかもしれない。
 第10回  12月7日  「師走」 元来、用事が済んだものを「がらんどうにする」空の状態を作ってきた。忙しい日々にあってせめて師走だけでも、一年の淀んだ心を空にして修生の月である正月を心よく神々と共に迎える為にも綺麗にしたいものである。 
 第9回  11月30日  「風邪をひく」 あるイメージをもつとそのい現象を引き寄せると云われている。そんな気がすると思ってはいけない。「疲れた」という言葉はいけないですね。「身体に悪いと思ってすると悪いです 」は今日の1言です。
 第8回 11月23日   「裁くこと」 裁くことは、自分を律してこそ出来るものである。棚上げされた感のある裁判員制度には一貫性がなく疑問点が多い気がしている。
 第7回 11月16日   「裁くこと」 裁判員制度には当初から反対をしている。御免町という土地のい云われ、百姓一揆などを例にあげ、世間とおかみの見方を1つに纏めることへの疑問と、短期間で解決を求めることでのマスコミの影響、市場原理が働き重罰化の傾向及び検察側が有利になるのではないかという不安がある。
 第6回  11月9日  「マニフェスト」  約束をしてしまったことで自分を縛るのではなく、分からない未来を分からないままで愉しむことも必要なのではないか。予期せぬ出来事とは、何故か嬉しいものです。
 第5回  11月2日  「山の色」 山が色味を帯び、紅葉の季節を禅では「山色清浄身」と云い、人生の中での実りの時とであるととらえる。「煩悩即菩提」あっさりとしみじみ愉しむのも一考かと。
 第4回 10月26日  「名前」 日本語は漢字からかなへ書き換えにおいて、意味を変えることよりも言霊と云われているように言葉の響きを大切にしている。名前も画数に拘る傾向にあるが、音を大事にすると立派な子に育つかもしれない。 
 第3回 10月19日   「ことば」 日本語は相手に伝わり難いものであり、その言葉じりには人の感情も表れ易いもの。心して遣わなければいけないものである。
 第2回  10月12日  「阿修羅」 新刊『阿修羅』の発売に併せて、「阿修羅」の仏教的な捉え方等、興福寺の阿修羅像への想いについても話す。
 第1回  10月 5日
(2009年)
 「日々是好日」 初回ということで 「日々是好日」タイトルにまつわる話。つい、きのうの出来事、1週間のことを溜め込んで今を見ているけど、それをすべて洗い流して今をみる。毎日が佳い日なのです。
 
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