其の弐拾八  
     
   最近、久しぶりに『奥の細道』を読んだ。ご存じ松尾芭蕉の晩年の紀行文である。
 芭蕉は臨済宗の仏頂和尚に参禅したとも言われ、いわば禅のお仲間である。しかも近江に住んでいた頃の庵は幻住庵、これはうちのお寺の開山禅師が修行した中国の天目山に、師匠の高峰原妙禅師が構えた庵の名前から来ている。『奥の細道』にも「妙禅師」としてその名が登場するから、完全に同じ流れの幻住派の禅を継承しているようだ。
 それはともかく、読んでいくとどうしても福島県に着いた頃から興味が深まる。「白河の関にかかりて旅心定まりぬ」と芭蕉も言うけれど、やはりそこまで来ると引き返せない陸奥(道の奥)という感じがしたのだろう。多くの古歌を思い起こし、そこで歌われている卯の花や茨の花の白さを昔日に変わらぬものと愛でている。
 「とかくして越えゆくまえに、阿武隈川を渡る。左に会津根(磐梯山)高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひ(境)て山連なる」。曇天のなか、芭蕉は西、東、南へと県境まで見晴らし、そして須賀川に四、五日投宿することになる。
 そこで白河の関で詠んだ句が等窮という地元の俳人に紹介される。

 風流の初めや奥の田植え歌

 今回の旅に出て初めて感じた風流だが、白河界隈で聞いた田植え歌だったというのである。
 その後、芭蕉は須賀川あたりで、世を厭い、大きな栗の木陰に暮らす僧侶を訪ねる。その暮らしぶりを見て芭蕉は橡の実を拾って暮らした西行を偲び、こんな句を詠む。

 世の人の見付けぬ花や軒の栗

 芭蕉の句には、思えばこうした些細な発見が多く見いだされる。「よく見れば薺花咲く垣根かな」、これも「世の人の見付けぬ」ものをよく見た結果だし、有名な「古池や蛙飛び込む水の音」にしても、突然の命の躍動が、静寂の余韻のなかで発見され、愛でられている。
 禅の世界は、管見だが、喪失後の世界である。人は加齢と共にさまざまなものを失うが、禅の道場ではこれが若いうちから無理矢理奪われていく。情報、交友、便利な道具、などなど。そして失ったあとでも通用する新たな価値観に目覚めていくのである。
 梅雨の潤いのなかで、栗の花がしずかに咲いている。仮設住宅の暮らしが長びくなかで、県内ではそれに気づく人も多いことだろう。喪失したからこそ、やがて人は「よく見る」ようになる。まもなく「夏草や」の季節だが、喪失したものを「夢の跡」と見れば、ぼうぼうに伸びた夏草も狂おしいまでの命の躍動に見えるはずである。

 
 
東京新聞 2014年7月5日/中日新聞 2014年7月19日【生活面】 
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