十月八日に、久しぶりの長編小説『阿修羅(あしゆら)』が刊行になる。講談社が創立百周年に当たって百冊の書き下ろし本を刊行するのだが、そのうちの一冊として書いたものだ。
 依頼は二年近く前にあり、そのときから「解離」という現代の病理を扱うことも、「阿修羅」というタイトルもほぼ決めていた。今年の春から上野や福岡で興福寺の「国宝 阿修羅展」が開催されたが、そのことは知らずに決めていたことだから、自分でもこのシンクロには驚いた。小説を書くとなにかしら不思議なことが起こるものだが、今回のように誰の眼にも見える形での同期は珍しい。
 昔から、興福寺の阿修羅には強い思い入れがあった。
 たしか高校の修学旅行で初めて見たのだと思う。三面六臂(ろつぴ)という姿にも驚いたが、それぞれの表情が言葉にできないまま私の脳裡(のうり)に焼き付いてしまった。いや、言葉にできなかったからこそ忘れられなくなったのかもしれない。
 うちのお寺には十一面観音さまが(まつ)ってあり、むろん千手観音も知ってはいたが、その意味する「多様な対応」あるいは「無限の変化」といった概念で阿修羅を(くく)ることはできなかった。仏教を守護する八部衆の一人と言われても、どうしてあのような姿や表情であるのかは、とうてい理解できなかったのである。
 謎として抱え込んでいた阿修羅が、ふとしたことから私の中で現代の病理である解離性同一性障害、つまり多重人格に結びついた。そのふとしたきっかけとは、阿修羅の合掌した両手が、ほんの少しだが、明らかに中央からずれた位置で合わされていると気づいたことではなかっただろうか。私は家にある図録を何度も飽かず眺めた。
 上野の国立博物館で展示が始まったことを知り、私は早速、阿修羅像に会いに行った。薄闇に浮かぶ乾漆像の周りだけを三周して幾つかのことを確信し、数葉の絵はがきと図録を買ってすぐに戻ってきた。それから読み(あさ)っていた資料を整理し、その後三人の顔がはっきり映った絵はがきを机上に()って小説を書きだしたのである。
 それは三つに別れてしまった人格の源へと向かう、遙かな旅だった。想像力というより、自分の無意識の深みで本人も意識していなかった物語が立ち上がるようでもあった。
 書き上げた今つくづく思うのは、きっかけさえあれば私の中にも幾つもの人格が蠢きだすのだということ。そして月並みだが心というものの不可思議さである。
 今回の作品は、ある意味で「阿修羅」のお葬式だったのかとも思う。「阿修羅」とは誰にでもある競い合って傷ついた心である。

福島民報 2009年 9月27日 日曜論壇