日曜論壇 目次
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第37回 「情報」という名の幽霊
第36回 死ねる病院はどこ?
第35回 墓地共用のすすめ
第34回 花散らぬ、嵐
第33回 七転び八起き
第32回 まもなくクランク・アップ
第31回 新作『阿修羅』のこと
第30回 さまざまな立場
第29回 生物多様性と多文化共生
第28回 団子と頭痛
第27回 さまざまな正月
第26回 金風
第25回 お寺のゴミ問題
第24回 私は裁きません!
第23回 なんのための改名か!
第22回 新しい郵便局にお願い
第21回 未然防止策?
第20回 奈落の月
第19回 ちょっと待って!
第18回 若冲展に思う
第17回 嗜好品という文化
第16回 約束
第15回 母から子への手紙
第14回 無鉄砲と、鉄砲
第13回 「小学校英語」必修化に反対!
第12回 木瓜と認知症
第11回 「満」と数え年
第10回 いくつもの春
第9回 ネコとヒトの教育
第8回 電話の電話、郵便の郵便
第7回 同期の不思議
第6回 御朱印コレクション
第5回 自燈明
第4回 帰りなん、いざ!
第3回 ウォーキング・サピエンス
第2回 形而上的おぼん
第1回 タケノコ狩りと自立
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またしても、郵便局で嫌な思いをしてしまった。承知はしているのについ忘れてしまい、よく知っている職員に、自分を証明する免許証か保険証の提示を求められ、私は俄に湧き起こる不快感を抑えることができなかった。
昨年一月からそういうシステムになったことは知っているのだから、忘れずに免許証を持参すればいいのだが、歩いていったし、つい忘れてしまうのだ。あの人が、そんな莫迦なことをまた言うはずがないという思い込みがどこかにある。きっとそのせいで、何度も無防備に出かけ、何度も嫌な思いをするのだろう。
十万円以上を送金する場合、本人確認が必須だという。それならあなたは私のことを知っているでしょうと思う。窓口にいる人は私も以前からよく知っている人である。ところが現在のシステムはその人間関係を信用しようとしない。ではいったい何を信用するのか。人間ではなく、文字情報である。それは職員の記憶や認知力どころか、その人がそこに生きていることすら無視するシステムと云えるだろう。
要するに、職員も客も信用しない。あからさまにそのように主張しているのが、現在の送金システムではないだろうか。
むろん銀行の場合も同じ規制のもとにあるわけだが、支店長に許された裁量権はもっと大きい。十万円以上には自己責任さえもてないのが現在の郵便局長なのである。
どうしてこんな手続きが必要になったのかと、以前職員に訊いたことがある。すると「オレオレ詐欺」の防止のため、という答えが返ってきた。ほかに、マネーロンダリング対策、テロ資金対策のための国際的な取り組みという触れ込みで始まった制度だ。しかし私がそのとき振り込もうとした相手は、禅文化研究所だった。檀家さんに配ったカレンダーの代金を送付しようとしていたのである。三つのどれにも該当しないことは、小学生にでも分かるではないか。
しかもそのときの請求書にはお寺の名前だけが書かれていた。すると、宗教法人の登記簿謄本を持って八十余歳の住職が自分で来るか、その自筆の委任状が必要だという。むろん委任された私の免許証も必要だ。
これほど無慈悲で厄介なやり方で、誰か喜ぶ人はいるのだろうか。オレオレ詐欺にもマネーロンダリングにも、テロにも関係しない庶民が、どうしてこれほど迷惑を蒙らなくてはならないのだろう。
なにも個々の職員が憎いわけじゃないが、このシステムが続くなら、窓口に生身の人間がいる必要はない。むしろ精巧な機械でも並べ、指紋や眼の光彩で識別してもらったほうがずっと楽なはずである。
なにごとも全国一律に、というやり方は今の日本の大いなる病弊だが、こと郵便局の送金システムについては厳重な抗議を申し入れたい。
田舎に住む我々は、むろんそこが故郷であったりする事情はあるものの、顔見知りが多く、人間の距離も近い状況を肯定的に捉えつつ田舎に暮らしている。つまり、そのことの煩わしさはあるが、楽しみのほうが勝ると考えているのである。
しかし、顔見知りであることが何のメリットも生みださないばかりか、顔見知りに他人のように振る舞われる今のシステムは、人間関係を歪めるばかりか、田舎暮らしの根底を揺るがす罪深いやり方ではないか。
利用者も、職員も、まっとうな常識がある人々はみな困り果てている。家族が亡くなったときすぐに融通をつけてくれた昔の郵便局などもう望みはしないが、せめて民営化したのだから民の立場で、このシステムだけでもなんとかしていただけないものだろうか。
福島民報 2008年 2月 10日 日曜論壇