読みながら、しきりに「盛り」ということを思った。人に盛りの時期があるように、人の家族にもそれがあることを。それを著者は「龍の珠(たま)」伝説に象徴させている。龍はもともとあごの下に持っていた珠を失ってしまい、それを取り返そうとして時々暴れるのだという。
 その珠とは、人にとっては何なのだろうか。これが本書のテーマだ。
 主人公の幹夫は「認知症」になった父親を介護するために、経営していた喫茶店をたたんで、実家に戻ってきた。母親は既に他界している。しかし幹夫には、不可解な物言いや行動をしはじめた父にどう対処していいのかがわからない。そんなある日、父と出かけた公園で介護のプロ・佳代子と出会うところから、物語がはじまる。
 佳代子のアドバイスに従って、父を思うように、やりたいようにさせて観察していると、彼は人生の時間を自在に飛び回って、ある時は仕事をしていた壮年期の自分に戻ったり、子供時代にまで戻ったりする。ただし自在に行き来するとはいっても、それは彼にとって濃密だった時間に限られていることがわかってくる。
 二人はそんな彼と辛抱強くつきあってゆく。そのためには、かつての父の部下や親の役割までもを演じなければならない。そうしているうちに、やがて彼らは自分自身の濃密な過去ともつきあうことになり、それぞれが自身の龍の珠を求める心にもつながってゆく。
 この小説の読みどころは、介護する側の意識の変化や、それに伴う自己成長の軌跡が丹念に描かれているところだ。それらが季節ごとに変化する自然の風景や花々の美しい描写を背景に、スリリングに展開されてゆく。介護といううっとうしい日常が、ささやかではあるが、だんだんと希望に満ちてくるプロセスには説得力があり、はらはらする読者を救い慰めてくれる。
 龍の珠の正体は明かさないでおくけれど、本書は社会問題化している介護のありようを、自分に引きつけて考えるよすがともなるだろう。

清水哲男・詩人

福島民友 2007年11月25日  読書
※共同通信社より加盟新聞社47NETにて配信されました。