| 序に代えて |
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拝啓 南直哉様 玄侑宗久 |
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拝復 玄侑宗久様 南直哉 |
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| 第一章 <異界> |
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恐山菩提寺にて再会 死者の異様なリアリティ 死者というリアルな存在 <異界>としての恐山 自 分のなかの<異界> <異界>を消そうとした親鸞聖人 <異界>を異常視した<近代> <異界>を仏教教義で解釈しない 「死者」が持つ<他者>性の濃密さ 絶対的<他者>としての死者 僧侶にとって「見える」は妄語 |
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| 第二章 言語 |
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修行者を支える「因果」論 仏教における言語―弘法大師・道元禅師・親鸞聖人 日本的言語感覚と仏教 禅―わからなさとしての<他者> 「閉じた言語」の問題点 欠落した<何か>を埋めるものとしての言語 自己相対化が欠如した仏教的言説の危険性 衝撃として現れる<異界>や<他者> <物語>と言語との距離 「鳥飛んで鳥の如し」 リアルなものはつねに<異化>が起こる 坐禅は自己を<初期化>する手段 「無常」「無我」を骨抜きにする言語の強さ 関係性から把握される存在者 母に身ごもられた「私」 |
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| 第三章 出家 |
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僧侶であることを疑うということ 仏教はヒューマニズムではない 自分のすべてを賭けて語る「方便」 「方便」は普遍化できない 原理と現実の狭間に見えるリアリティ 『老師と少年』をめぐって 日本仏教における<中心>と<周辺> 「苦しいから苦しい」という人に届く言葉 門のなかからは門が見えない アメリカの禅僧修行体験 日本的「和」を相対化する 「一生不離叢林」は可能か? 「坊さんならば豆腐を食え」 |
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| 第四章 慈悲 |
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宮澤賢治の「第十八願」 慈悲とは「相手が感じるもの」 人間ができる慈悲行は<許す>こと 『法華経』を生きようとした賢治の苦悩 『法華経』の絶対普遍性 『法華経』が犠牲を払ってまで説いていること 「願生」は決断のこと 『法華経』が踏み出した一歩 『般若心経』は菩薩行を説く経典 答えがある「問題」と、答えのない「問い」 |
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| 第五章 <近代> |
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村落共同体を融解させた<近代> 『サザエさん』―不可逆的家族像 檀家制度の枠を超えて 科学と宗教―「もうじき宗教は要らなくなるよ」 「酒鬼薔薇」事件に投影される自己 <問題>を共有する人々との関わり方 「相手を死なせない」 自殺願望から救ってくれた仏教 |
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| 第六章 師 |
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「この行持あらん身心、みづからも愛すべし」 師―生き延びさせてくれた人 同伴、伴走を経て独り立ちさせる 弟子を育てる「靴下の先の余裕」 師弟関係の型がつくる信頼 自分の<問い>を問い続けて 僧侶としての自己を客観視する 「壁」としての師 お寺の生まれか、出家かは問題ではない |
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| 第七章 正法 |
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「正法」は「正しい教え」か? 「正法」とは、自問自答するもの 「正しさ」を解体する<笑い> 宿命としての日本仏教 <あわい>に投げ出されて始まる「問い」 若き仏教者たちへ 良寛さんの魅力と危うさ |
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・装丁 大竹左紀斗
・写真撮影 足利孝二
・編集協力 五十嵐以和男 |
| ※この対談は、二〇〇七年八月二十八日と二十九日の両日にわたって、青森県むつ市にある恐山菩提寺において行なわれました。 |