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アルボムッレ・スマナサーラ長老との対談本
玄侑師にしてもスマナサーラ師にしても、いうまでもない、立派なお坊さんである。私はお二人を佛教の師と仰いでいる。私が佛教に魅かれるのは、じつは佛教は脳科学のはじまりだからである。お経はほとんど脳科学を説いていて、ただ実験なんて、ヤボなことをしないだけである。佛教という脳科学は、なかなかに深い。学ぶことが多くて、それがじつに楽しい。これからも、お二人に大いに学ばせていただきたいと思っている。 養老孟司
芥川賞作家であり、臨済宗僧侶である玄侑宗久氏と、スリランカ初期仏教の長老であるアルボムッレ・スマナサーラ氏。
二人の仏弟子による、ある意味「時空を超えた対談」が実現。
日本人の悩みから、猫の悩み、植物の気持ち、般若心経、輪廻転生、ブッダの真意まで、ときに離れ、ときに交わり、ときに歩みを共にして、ともに師であるブッダを語る。
お坊さん同士のやりとりは、じつに聞かせます。
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ISBN978-4-901679-33-6 C0015
定価788円(本体価格750円)
サンガ/サンガ新書
2007年1月24日(水) |
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【目次】
| はじめに/はだしの聖者 |
玄侑宗久 |
| 第1章 日本人の器 |
人格は立ち居振る舞いに表れる |
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型はあとから従いてくる |
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「私が何者か」が大事 |
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個性と自立の矛盾 |
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「個性」を求められたら逃げろ |
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器をなくした日本人 |
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仏教の器は柔軟性のある人格 |
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パンじゃなくてご飯をください |
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「とはいっても」の病理 |
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食べたければ、一人で食べろ |
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森の中の象のように一人歩め |
| 第2章 空即是色は間違い? |
仏教は質問と答えで成り立つ |
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概念と観念の違い |
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小説とは体験すること |
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「空」は「実体がない」 |
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サンスクリットの経本が間違っていた |
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経典が間違っているなんて言えない |
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学者なら経典だけを見てほしい |
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空即是色は間違い |
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龍樹は自分の失敗に気がついた |
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涅槃も輪廻も全部ない! |
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般若心経の真剣味 |
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法華経は小説のように構成されている |
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横着者の革命者が禅宗を開いた? |
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瞑想は概念を取っ払う手段 |
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空即是色は感情だった |
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十難無記はなぜ無記か |
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科学はじつはロマンチック |
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達磨さんはテーラワーダ? |
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ブッダは微妙に科学的 |
| 第3章 生命はみな対等 |
やむを得ず概念の世界でやっている |
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本能を概念で増幅して妄想する |
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猫のほうが概念がない? |
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植物も動物も人間も対等 |
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人間は本当は強くない |
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植物は大切なことを感じ取る |
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植物は菩薩 |
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人間の心が一番汚れている |
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生命体はみんな人間に似ている |
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草木国土悉皆成仏 |
| 第4章 もったいない!の勧め |
一神教に精神の自由はない |
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国民が納得できたら民主主義 |
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癌で入院しても心は自由 |
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権利のことを考えないのが理想 |
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親の責任は自立させること |
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任せて信じて独り立ち |
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規律は目的が大事 |
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「悪」は不幸になる行為 |
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子供に真理を教える |
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「もったいない」の素晴らしさ |
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学道の者まず貧を学ぶべし |
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知足は第一の富なり |
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「汚い」は完全なフィクション |
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アーユルヴェーダは「命の学問」 |
| 第5章 よく死ぬための生き方 |
満たされた死に方 |
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瞑想で死を体験する |
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死ぬ練習をする文化 |
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癌告知と人間の尊厳 |
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死ぬのは唯一確実なこと |
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支えられて生きてきたことに感謝する |
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物質は八つで一セット |
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全ては展開し続ける |
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輪廻転生と「生まれ変わり」 |
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生きることは捨てること |
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捨てるだけの境地 |
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私は裸でフル装備 |
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過去も将来も存在しない |
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「今ない不安はない」ということ |
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「いつやめてもいい」が本当の幸せ |
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目標は立てないほうがいい |
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海の向こうの戦争より今晩の献立 |
| おわりに/仏弟子の世間話 |
アルボムッレ・スマナサーラ |
※2005年6月に刊行された単行本『なぜ!悩む』を改題・加筆しての新書化
サンガ新書は2006年7月に創刊され、『仏弟子の世間話』はシリーズ第3弾となります。
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