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禅の「いろは」
玄侑宗久   

 2008年5月号 第20回 聞いて極楽見て地獄/油断大敵 川口澄子:画
『文蔵』2008年5月号







聞いて極楽見て地獄


 取り札にはどうやら遊女らしい女性が描かれている。どうもこの「歌留多」には、子供への教育的なメッセージが感じられる。つまり、ちょっと見聞きしただけでは綺麗で優しそうに見える女性も、じつは……、ということなのだろう。そういう先入観を子供に植えつける効果があったに違いない。
 しかし少し考えてみればこの諺の真意は、そういった先入観そのものの間違いを正そうとすることだと分かる。聞くと見るでは大違い。百聞は一見に如かず、とも云うが、要するに噂を鵜呑みにしたらあまりの現実に驚くはずだというのである。
 

……続きは『文蔵2008.05』で。

 2008年4月号 第19回 頭隠して尻隠さず/三べんまわって煙草にしょ 川口澄子:画
『文蔵』2008年4月号







三べんまわって煙草にしょ


 煙草のイメージは時代と共に変化するから、今は解りにくいかもしれないが、ここで「煙草にしょ」というのは飽くまで「休息しよう」という意味である。大抵の絵札では夜回りが煙管で一服する姿が描かれるが、夜回りという勤めを、念には念を入れて三べん廻り、やるべきことをきちんとやってから休息しようというのである。
 今なら「一服しょ」とか「お茶しょ」と云うのだろうが、江戸時代にすでに休息時の煙草が一般化していたということだろう。
 

……続きは『文蔵2008.04』で。

 2008年3月号 第18回 えてに帆をあげる/亭主のすきな赤烏帽子 川口澄子:画
『文蔵』2008年3月号







えてに帆をあげる


 「エテ公」といえば猿のことだが、猿は「去る」に通じて遊里では忌み嫌われ、「得手公」と呼ばれたらしい。しかし事情を知らないで「エテ公」と云うと、なんだか「猿」と呼ぶより莫迦にしているようにも聞こえる。一度猿にはちゃんと言って聞かせなくてはなるまい。
 器用になんでも手で掴み動く猿を「得手」と名づけたように、「えて」は「得手」で利き腕だとするものが多いが、なかには「順風」と書いて「えて」と訓じた『世界格言大全』などもあり、その場合は「愛袁登古(えをとこ)」「愛袁登売(えをとめ)」(『古事記』)の「え」と、それから疾風(はやて)の「て」と考えているようだ。つまり「よい風(=順風)に帆をあげるのである。
 いずれにしても、意味としては、得意なことを発揮できるチャンスに恵まれ、喜び勇んでいる状態のことだろう。
 

……続きは『文蔵2008.03』で。

 2008年2月号 第17回 文はやりたし書く手はもたぬ/子は三界の首っかせ 川口澄子:画








子は三界の首っかせ


 手かせ足かせよりも、首かせは辛い。中国の文化大革命ではよくこの首かせと手かせを兼ね合わせた道具で文民を苛めていたが、これほど自尊心を傷つける拘束具も珍しいだろう。
 可愛い子供は、その首かせのように人を不自由にする、というのがこの諺の趣旨である。語呂がいため「首っかせ」と粘っこく音便で云う。
 三界というのは欲界・色界・無色界のことだが、要するにどこへ行こうと状況がどう変わろうと、という簡潔な表現と読んでおけばいいだろう。え? 詳しく言って欲しい?
 それじゃ申し上げよう。
 

……続きは『文蔵2008.02』で。

 2008年1月号 第16回 負けるは勝ち/芸は身を助ける 川口澄子:画








負けるは勝ち


 私には「負ける(´)勝ち」のほうが馴染み深い。こっちのほうが、より積極的に負けようという気持ちが感じられるが、結局いずれにしても最後は勝ちたいのだから大差はない。
 昔の絵札には前漢の高祖を助けた勇将、韓信が描かれていた。世に「韓信の股くぐり」と云われるが、不良少年に囲まれてナンクセをつけられ、「大望のまえの小瑕」とばかり、そのチンピラどもの股下を甘んじてくぐった勇気が讃えられる。しかしどうもこの話、後に韓信が高祖の下で大将として活躍したから映えてくる。股くぐりのあとであえなく殺されてしまえば「踏んだり蹴ったり」、あるいは「泣きっ面に蜂」で、伝説にもならなかっただろう。
 

……続きは『文蔵2008.01』で。

 2007年12月号 第15回 くさいものに蓋/安物買いの銭失い 川口澄子:画









安物買いの銭失い


 (やす)いとつい買おうかと思い、要らないものでも買ってしまったりする。主婦の買い物ではよくあることだが、一個しか要らないのにバーゲンセールで十個なら三割引だと云われると、ついつい十個も二十個も買ってしまうのだ。
 しかしこの諺の云うように、廉いものは廉いだけのことはある。すぐに壊れてしまったり、初めから不良品であったりする。
 ところでこの諺は、もともとはなんと女郎買いの場面での言葉だった。

  安ものの売れる晩だと遣り手いひ

 『柳多留(やなぎだる)』にそんな句があるが、これはきっと吉原あたりの遣り手婆の様子を詠んだものだろう。どういう加減か大門を潜る客が少ないときがあり、そんなとき遣り手が「大方安もの(夜鷹)でも買ってるんだろうよ」と嘯いたのである。
 当時花魁ともなれば何両もかかった。しかも一見(いちげん)では叶わず、裏を返し、三度目のときに初めて肌を触れあうことが可能だったらしい。それからすると、夜鷹の値段は二十四文。二八そばが十六文だから、三杯食べる分で夜鷹が二人抱けた。いやむしろ、客のいない夜鷹がそばを食べに来たりした。

  客二ツつぶして夜鷹三ツ食ひ

 三杯で四十八文の支出だが、客を二人とっていれば同じ四十八文の収入になるはずだった。
 たしかに廉いわけだが、廉かろう悪かろうで、この夜鷹には病気もちが多かったらしい。「かったいのかさ恨み」のまさに「かさ」で、こうなると治療にも長くかかるし費用おバカにならない。買い物は廉かったがその後酷い目に遭う。伝統的な絵柄では、安もの買いで「かさ」になった若い衆が、鏡を見ながら我が身をかこっているような姿が描かれた。
 そんなふうに、初めは女郎買いついて云われた言葉だったが、その後どんどん使用範囲が一般の買い物にまで広がった。
 

……続きは『文蔵2007.12』で。

 2007年11月号 第14回 喉元すぎれば熱さ忘れる/鬼に金棒 川口澄子:画








鬼に金棒

 『世間話(せわづくし)には「鬼に鉄棒(かなぼう)」』とある。なるほど昔はステンレスなどなかったし、あのトゲトゲのついた棒は鉄製だったに違いない。まぁ金棒と書いても、まさかゴールド製の巨大な延べ棒だとは、誰も思わないだろうが……。
 富士には月見草がよく似合うと云われる。鬼には金棒、医者には聴診器、そして坊さんには袈裟が似合う。いや、似合うというより、それあってこその鬼であり、医者や僧侶なのだろう。
 しかしこの諺、そのような必要条件や装飾品のことを述べているわけではない。それを持つことで最強の鬼、鬼のなかの鬼になるわけだから、たとえば医者で云えば手術がうまく、問診も上手だし優しくて品格もある、という具合に完璧なのだ。スーパーなのである。
 ちなみに『浮世床』初編上巻には「鬼に金棒」の芸者の在り方が書いてある。それによると、座敷が上手で芸も冴えており、面がまぶい、つまり美人でもあるのだから鬼に金棒、仏に蓮華だと云う。
 要するに、望みうる最高の状態を「鬼に金棒」、「仏に蓮華」と表現したのであり、面白いことに鬼という言葉がありながら「鬼に金棒」は常に誉め言葉として使われてきたらしい。
 しかし禅的に見ると、仏に蓮華など要らんやろ、鬼だって素手で行ったらんかい、思わず関西言葉になってしまう。金棒を持って喜んでいるうちは鬼もまだまだではないか。禅は「無」のまま、徒手空拳、無一物でありながら千変万化し、「無一物中無尽蔵」とまで云うのだから当然のことだろう。
 だいたい、あんな重たそうな鉄棒など、敵に向かうときこそ必要かもしれないが、コトが片づいたら邪魔でしかない。きっと使用済みの鉄棒を置き忘れる鬼だっていたに違いない。
 ところが一般人がこれを拾っても、まともに持てない。いきおい鉄棒は地面を曳きずって運ばれることになる。
 「鉄棒曳き」という言葉をご存じだろうか。これは人に聞いた噂話を鉄棒を曳くがごとくにあちこちに吹聴して廻る人物のことだが、もともとは鬼の鉄棒ではなく、夜回りのために鉄棒を曳いて廻った習慣からの命名らしい。数人で鬼の鉄棒を曳けば、ガラガラガラガラ吹聴効果も絶大であるに違いない。
 もしかすると鬼が人間を襲うのは、置き忘れた鉄棒をお前知らないかと、焦って取りすがるためではないか……。
 そんな大事なものならいつも持っていれば良さそうなものだが、使わないときは邪魔すぎる。だからこそ、特定の時だけ「鬼に金棒」という状態になる。そのことに、注目すべきだろう。時と場合によって金棒を使う鬼は、だからこそ「鬼に金棒」なのである。 
 

……続きは『文蔵2007.11』で。

 2007年10月号 第13回 嘘から出た誠/芋の煮えたもご存じない 川口澄子:画








嘘から出た誠

 「嘘も方便」と云いまた「嘘は泥棒のはじまり」とも云う。肯定したり、否定したり落ち着かないが、いったいどうしたのだろう。標題の諺は、結果として誠が出るのだからよさそうにも思えるが、そうやって嘘全体をまとめて論じることはなんとなく大人気ない。要はいろんな嘘があるということなのだろう。
 たとえば女性がある男につけまわされて困っており、たまたま顔見知りの堅物の男に頼む。「あの男が来たら、どうかこの女は俺の女だとおっしゃってくだださい」。男は人助けだと思って了承し、そのとおりにするのだが、それが機縁でほんとにその女に惚れてしまう。
 これは『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』という江戸時代の脚本に出てくる話だが、そのまま今でもありそうではないか。これこそまさに「嘘から出た誠」であり、この嘘に罪はなさそうだ。
 そういえば、これとは逆に、「俺の女だ」と後で出てくるパターンが美人局だが、これはどうかご用心いただきたい。
 美人局は行き過ぎにしても、昔から水商売の女性はある意味で嘘が前提になっている。つまりむさ苦しい男に対しても「あら、とってもむさ苦しいわね」とは云わず、「おや、いい男じゃないの」と云うからこそ商売が成り立つ。客の男も、嘘は承知でその嘘を楽しむのが粋というものだろう。「惚れた」なんて云われても、本気にするのは野暮なのである。
 「嘘つかぬ傾城買いて淋しがり」(『誹風 柳多留拾遺(はいふう やなぎだるしゆうい)』)という句も、頷けるだろう。しかし嘘と知りつつもドキッとしてしまうのは、「あなたの夢を見ました」などという科白である。「夢に見んしたと真っ赤なうそをつき」という句も同書に載っている。
 もともと恋に関するかぎり、嘘と誠の境界は極めてはっきりしない。気に入らないのに「好きです」とは云わないにしても、どこか褒める場所を探してみると案外見つかり、「味のあるまぶたですね」なんて云ったら、男はまぶたに特別な思いがあって舞い上がり、その反応を女性も気に入り、そうこうするうちにだんだん親しみが湧いてきて話も弾み、お互いに魅力的に見えてきたりする。そんな成り行きは、一目惚れよりむしろ多いのではないだろうか。
 思えば『心中天の網島』の治兵衛と小春の出逢いも、初めは治兵衛が舅である五左衛門の使い込みを自分の遊興費に見せかけようと吉原に行ったのがきっかけだった。ところが二人は本気で惚れあい、とうとう心中までしてしまうのである。動機と結果が理屈では繋がらないからこそ人生は面白い。 
 

……続きは『文蔵2007.10』で。

 2007年9月号 第12回 楽あれば苦あり/無理が通れば道理が引っ込む 川口澄子:画
『文蔵』9月号







無理が通れば道理が引っ込む

 無理は通ったからといっておめおめと引っ込むなんて、ずいぶん気の弱い道理である。そうやって道を譲りつづけていたら、無理のほうがやがて道理になってしまうではないか。しかし、『譬喩尽』にも「無理通らば道理その退け」とあるように、どうにも無理のほうが気が荒そうだ。道理のほうは無駄な争いはせずに、ひたすら雌伏して待つのかもしれない。
 とはいえ、最近は無理な話が多すぎる。
 年金名簿の不備などのように、明らかなミスと言明するならまだ可愛い。しかし無理派が多数であったり、権力者であったりするとじつに困ったことになる。
 江戸の昔、日本にやってきたペリー提督は、完全に独りで自足していた日本に対し、無理を伝えにやってきた。まずは捕鯨のための燃料補給地を提供してほしい、というのが彼らの第一の要求だった。
 今や捕鯨に強硬反対するアメリカが、捕鯨基地とはこれいかに。
 当時のアメリカは鯨を食べていたわけではなく、その全身から油を採り、燃料に使っていたのである。
 思えばアメリカは、常に燃料ほしさに無理を通してきた。彼らが捕鯨をやめたのは、単に鯨油に代わる石油という燃料が発見されたからであり、けっして動物愛護の観点からではない。
 自国の燃料の都合で無理を通してきたアムリカ、いや、アメリカは、石油だって自国で賄えないから、当然その後も無理を言い続けることになる。イラク戦争だって、石油ほしさの言いがかりだったことは誰の目にも明らかだろう。戦争の大義名分だったはずの核施設はどれほど探しても見つからなかったにもかかわらず、無理派は一向に謝る気配もない。それどころか、国内での批判を押し切ってなお増兵しようとする「薮(ブッシュ)」大統領を支えるのは、今や「勝てば官軍」という古い諺でしかないだろう。そう、「無理が通れば道理が引っ込む」という諺には、常に「勝てば官軍、負ければ賊軍」という理屈が影のようについてまわる。『俚言大辞典』に云うとおり、「無理なることもやり通さるれば道理の如くきこゆる」のである。
 ああ、なんだか昂奮してしまった。昂奮すると無理に走るから、これがいけない。
 冷静に考えれば、この諺は無理と道理が両立できないことを述べているわけだが、彼の国とうまくやっている我が国には道理などないことになるのだろうか。それともペリー提督の来たころの道理とは、また違った道理があるのだろうか。
 さすがに幸田露伴先生はその辺にも鋭く言及されている。曰く、この諺は「理もまた時ありて屈伸することを云ひて、世情の頼む可からざるを」云々とある。
 

……続きは『文蔵2007.9』で。

 2007年8月号 第11回 念には念を入れ/泣きっ面に蜂 川口澄子:画
『文蔵』8月号







泣きっ面に蜂

 泣いている顔を蜂に刺されれば、さらに激しく泣くだろう。そうすると、今度は転んで側溝に落ちるかもしれない。骨折して動けなくなったところに、大雨が降りだし、もしかするとそこに車が突っ込んでくるかもしれない。なんという不幸の連鎖なのだろう。
 しかし私も、一瞬にそんなふうに想像できてしまうのだから、怖い。
 昔から、不幸の連鎖を云った諺は多い。「切り傷に塩」の喩えは、万葉の昔から使われるが、ほかにも「弱り目に祟り目」「病み足に腫れ足」「転けた上を踏まるる」「転べば糞の上」など、キリがない。
 どうしてそうなるかと考えると、やはり前項の「念」のせいだと思ってしまう。つまり、一つ嫌なことがあると、「またあるんじゃないか」という念が芽生え、それによって人は「嫌なこと」を探すような感覚になっていく。当然、嫌なことは目につきやすくなる。一般的な言い方をすれば、起こりやすくなるのである。
 だいたい、泣きっ面に蜂にしても、泣いていたからこそ蜂だって寄ってきたのではないか。これは全くの私見だが、蜂には人間の喜怒哀楽は判らないにしても、興奮状態か平静かは感じられるに違いない。たぶん泣くという行為で発散するテンションの高い気配が蜂を刺激し、蜂も自衛本能で刺しにきたのではないだろうか。


……続きは『文蔵2007.8』で。

 2007年7月号 第10回 惣領の甚六/月夜に釜を抜く 川口澄子:画








惣領の甚六

 惣領のは総領とも書くが、ともに家督を継ぐ嫡子のこと。もともとは鎌倉時代、中央から派遣されて荘園を管理する地頭たちを総括する役職名で、けっこう大変な役だったのだが、やがて室町時代になって嫡子が代々世襲するようになると、総領の性格も変わっていったようだ。
 自分で仕事を探す必要がないからおっとりしてくる。周囲も次の継承者だと思えばいきおいオダテが入る。ちょうど落語の「若旦那」みたいなもので、人はいいが、二、三本抜けてる、ということだろうか。
 甚六は苦労せずに禄を継ぐ「順禄」の天訛だとも云うが、要するに、後継ぎの長男長女などは期待されるわりにはさほど能もなく、存外に阿呆だというのだろう。
 幸田露伴は『当世人名辞典』の「甚六」の項に、「愚にして寛洪、長者の風あるをいふ」と格好良く書いてくれたが、「転じては普通の愚人をいふ」とも付け加える。
 思えば私も、子供の頃「お前は総領の甚六なんだから」と、よく祖母に云われたものだった。
 憶いだすのは近くの神社の祭りなどに弟と行ったときのことだ。幾らだったか忘れたが、二つ違いの弟と私は、同額の小遣いを親にもらい、喜び勇んで祭に出かけたのだが、弟は私が何かゲームなどをすると「自分もしたい」とせがむ。また私が何か食べ物を買うと、「自分もほしい」とねだる。そのたびに、私は自分の限られた小遣いから弟の分も出したわけだが、当然のことながら私の小遣いのほうが早くなくなってしまう。
 そこで今度は、私が弟にねだろうとするのだが、弟は頑として出てはくれず、私は大きな鳥居の下で「ああ無情」と途方に暮れた。ごく小さい頃は、泣きながらお寺に戻ったこともあったように思う。
 迎える祖母は、笑いながら「惣領の甚六」呼ばわりしたのである。
 しかし自分の経験から云っても、この言葉、完全に貶されているという気はしないのである。世知よりも「寛洪」を尊ぶ気分が、云われるほうには勿論、たぶん云う側にもあるのではないだろうか。

……続きは『文蔵2007.7』で。

 2007年6月号 第9回 旅は道連れ/良薬口に苦し 川口澄子:画








旅は道連れ

 どうも江戸時代の旅は、現在とはずいぶん違った印象である。
 今は外国へ行くのだって気楽な物見遊山の気分だが、昔はまず自分の菩提寺に行き、「往来切手」という通行証をもらわないと旅に出られなかった。
 パスポートのようなものと思えば間違いないが、これがじつは旅先で死んだ場合の「あの世」への旅券にもなる。遺体をその地のお寺に引き取ってもらい、そのお寺から菩提寺に連絡が入る仕組だったようだ。
 連絡が入るといったって、当時江戸と京都は飛脚でも十日かかったらしいし、今のように霊柩車で運ぶわけにもいかない。阪神大震災のときなど、阪神地区の火葬場では間に合わず、東京まで運びだして火葬していたが、当時はむろん旅先の地のお寺にお世話になるしかかなった。
 いきなり遺体だの火葬だのと、妙な話なかりで恐縮だが、しかし当時の人々が旅にそのくらいの覚悟をしてうたのは確かだ。出発に際しては当然家族と「水盃」を交わした。
 現在でも禅宗の修行者は、修行に出る際に袈裟文庫と呼ばれる荷物を背負い、その中に自分の葬式代を入れておくが、私のときは確か三万円ではなかっただろうか。ちょっと廉かった気がするが、まぁ無事だったからヨシとしよう。
 新幹線や飛行機の普及した今と違い、昔の旅はもっと危険で心細いものだったはずである。その際、頼りになるのはお金よりも人情、ひいては気のあった道連れ、というのがこの諺の主旨だろう。
 江戸期以前には「旅は情け、人は心」が知られるが、江戸期になって「旅は道連れ、世は情け」にまとまる。
 『毛吹草』に「たびはみちづれ世は情け、とおき親子よりちかき隣り」とあるのを見ると、どうもこの「道連れ」は旅先で知り合った同行者のようだ。『御前義経記』では「舟に乗り合うも他生の縁」「かう打寄るも他生の縁」などと続くから、そうして旅先で知り合ったご縁をありがたく感じ、それを前世からの因縁とも思っているようだ。
 たしかに護摩の灰や追いはぎだっていた時世だし、気の合った道連れができるだけでどんなにか旅は心強くなったことだろう。
 しかし禅的にはこの言葉、もっと広く深い意味に取りたい。
 私が道場を出ることを申し出たとき、現在天龍寺国際禅堂の師家をされている安永祖堂老師にワケを訊ねられた私は「旅がしたい」と答えた。すると老師は、残念そうに「ここにいても旅はできるんだけどなぁ」と呟かれたのだった。

……続きは『文蔵2007.6』で。

 2007年5月号 第8回 かったいのかさ恨み/葦の髄から天井を見る 川口澄子:画








かったいのかさ恨み

 現代の日本人には、いったい何のことか分からないのではないだろうか。正直なところ、私も分からなかった。
 「かったい」も「かさ」も普段殆んど耳にすることはないから、すでにこの諺そのものが死後になってしまったのかもしれない。
 言葉は生き物だから、そりゃあ死ぬことだってあるだろう。むろん新しい言葉が生まれることもある。そうした栄枯盛衰は、世の中の自然な流れなのだから、致し方ない。いや、消えるには消えるだけの理由があったと云うべきかもしれない。
 「かったい」は本来「かたゐ」から来ているらしく、要するに「道の傍へに居る」人で乞食のこと。それがいつしか、当時は癩病と呼ばれたハンセン病を意味するようになったらしい。
 この病気については、小泉前政権が国のとってきた歴史的政策の過ちを全面的に詫び、いわれなき差別をしていたことを認めて懺悔した。しかし現実にはその後もホテルの現場での宿泊拒否など、そう簡単には差別的な扱いがなくなることもなさそうだ。
 まして江戸時代となれば、ハンセン病の差別はずっと酷かったし、その家族だって乞食のような暮らしに追い込まれたのだろう。「乞食=かったい=ハンセン病患者」となってしまったというのだから怖ろしい。
 一方の「かさ」は漢字で書けば「瘡」である。今でも「瘡蓋(かさぶた)」などは使われるし、「重なる」皮膚と思えば、なんとなく出来ものや皮膚病を想像することも可能ではないだろうか。
 しかしこれも、そういう病を代表して、ということなのか、いつのまにか梅毒を意味するようになったらしい。
 なんだか怖ろしいまでの意味の単純化だが、ともあれ、この諺の意味としては、だから「ハンセン病患者が梅毒患者を恨む」、となる。
 齋藤月岑(げつしん)の『てき巣慢筆※』には、子どもの頃の記憶としてではあるが、「かったいのかさうらみ」と記録されるから、「羨み」が転化して「恨み」になったのかもしれない。いずれにしても、ハンセン病患者にすればまだ梅毒のほうがマシだろうと思い、その身を羨み、そして恨みもするというのである。

……続きは『文蔵2007.5』で。


 2007年4月号 第7回 老いては子にしたがう/われ鍋にとじ蓋 川口澄子:画








老いては子にしたがう

 もともとこの諺の典拠は、『大智度論』だというから凄い。『大智度論』とはインドの大仏教学者、龍樹の著書で、『法華経』なども訳した鳩摩羅什が漢訳した。そのなかに以下のような文面があるのだ。一応、書き下しで示そう。

  一切の女身、繋属する所無ければ即ち悪名を受く。
  女人の体、幼ければ則ち父母に従い、少ければ則ち夫に従い、老いれば則ち子に従う。

 これが昔から「女の三従」と呼ばれるわけだが、前段を忘れては本来の意味を取り違えることになるので注意してほしい。
 つまり、女性が三従するのは、悪名を受けないように、どこかに繋がれて所属し、保護されていないと、何を云われるか分からないから、ということだ。なにも女性を虐げてのことではない。
 しかし実際には「女三界に家無し」などのイメージとも重なり、特に前段を読まない人々によって差別的な言葉として扱われていったのだろう。しかし江戸の成熟した市民は、なにも女にゃ限らねぇじゃないか、ということになり、この諺かたが男女色が払拭されている。
 いや、女性の場合はわりと子どもに従うから、ここでは主に男性に向かって云っているのだろうか。
 ところで男女のことはともかく、現状の老人とその子どもたちの関係はどうだろう。
 老いては熟年離婚、ということもあり、また老いて老老介護、なんてのも見かける。いずれにしても子どもの影が薄いのは、この諺の時代のように、親子が同居していないからのようで、そうなると従うも従わないも問題になりにくそうだ。

……続きは『文蔵2007.4』で。



 2007年3月号 第6回 盗人の昼寝/瑠璃も玻璃も照らせば光る 川口澄子:画








瑠璃も玻璃も照らせば光る

 これはどうも、解釈が難しいと云われる諺である。しかし最初から難しく書いては嫌がられるだろうから、まずは私なりの素直な読みを書いてみよう。
 私の理解では、瑠璃も玻璃も共に「七宝」の一種で、よく数珠にも用いられる。瑠璃は群青色であまり艶はなく、玻璃は通常水晶のことだ。
 どちらもそのままで輝くわけじゃなく、何らかの光を受けて輝く。
 だから、氏素性の違うさまざまな人も、光が当たりさえすればちゃんと本性を輝かせる。その本性こそ、我々は仏性と呼ぶのである。
 それなら照らす光は何か、というと、これは縁によって触れあった相手の仏性ということだろう。
 ずいぶん仏教寄りに解釈してしまったが、世間的にもそういう解釈は成り立つ。
 しかし一方では、古い形の諺が「瑠璃も玻璃も照らせば分かる」であることから、外見が似たような宝玉でも、光を当てればちゃんと違いが分かる、という解釈もある。この場合、瑠璃と玻璃とは紛らわしいが、決定的に違う物質だということが眼目になるのである。
 なんだか伝教大師最澄と、奈良仏教の碩学、徳一大師との論争を憶いだす。三乗一乗論争などと呼ばれるものだが、つまり修行して仏になれる人となれない人がいるという徳一大師の立場に、平安新仏教の最澄は、いやいや誰でも同じように仏になれると主張したのである。

……続きは『文蔵2007.3』で。



 2007年2月号 第5回 塵も積もれば山となる/律義者の子だくさん   川口澄子:画








塵も積もれば山となる

 日本の諺には「急がばまわれ」と「善は急げ」のように、相反する考え方が両方あることが多い。いったいどっちが正しいのかと悩むのではなく、時と場合に応じて使い分けることが肝心だろう。
 この諺の場合、小さなものの積み重ねで大きなことが叶う、というのだろうが、場合によってはそれがあまりに無力で途方もなく感じられ、「大海を手で塞くごとし」などと嘆息することもあるだろう。
 これは非常に古い考え方で、遡れば中国の『易経』にまで淵源が求められる。曰く「小、積モリテ、以テ高大ナリ」。
 インドの龍樹が著し、鳩摩羅什が訳した『大智度論』には、「微塵、積モッテ山ヲ成ス」とあるから、これが直接の起源かもしれない。やがて国産の『古今集』序文、「高き山も、麓のちりひじ(塵泥)よりなりて」のように、我が国の表現としても定着していくのである。
 考えてみれば、日本という国はイザナギとイザナミが天の浮橋に立ち、漂うような地上を天の沼矛で掻き混ぜ、その矛から滴り落ちた海水の塩が積み重なって最初の島ができたとされる(『古事記』)。あとはイザナギ・イザナミの交わりで増えていったわけだが、これが、これこそ「塵も積もれば山となる」の原型ではあるまいか。八百万も、むろん初めの一から積もっていったのである。

……続きは『文蔵2007.2』で。



 2007年1月号 第4回 屁をひって尻すぼめる/年寄の冷や水   川口澄子:画








年寄の冷や水

 年寄をどんな存在と見るかは、時代と文化によって違うだろうが、この言葉には「無茶をしてはいけない」という雰囲気が漂う。
 孔子先生は、六十歳は「耳順(じじゅん)」、つまり人生経験も積んでさほど耳驚くこともなくなり、しかも七十歳では「従心(じゅうしん)」、「心の欲するところに従って矩を喩えず」という境地に至るべきだと考えた。
 べき、というより、そうなるものだ、という認識かもしれないが、しかしみんながそうなるなら「年寄の冷や水」などという言葉は生き残ってこれないだろう。心の欲するところに従うととんでもないことになる老人や、冷や水をがぶがぶ飲んで若者を心配させる年寄りが昔から大勢いたのではないだろうか。
 似たような主旨の言葉に「老いの木登り」や「年寄の力自慢」などがある。きっとそういう元気すぎる老人がたくさんいたのだと思う。
 実際、次のような川柳もある。

  新造を冷水がきて揚げるなり

 ここでは明らかに、老人そのものが「冷水」と表現されている。まだ部屋住みでない年若い女郎を、好んで揚げたがる年寄りがいるというのだが、いつの時代でもたぶんそういう元気な老人はいて、若者たちがそれを嫌がった、いや、江戸っ子の美学に反すると考えたのではないだろうか。

……続きは『文蔵2007.1』で。



 2006年12月号 第3回 憎まれっ子世にはばかる/ほね折り損のくたびれ儲け   川口澄子:画








憎まれっ子世にはばかる

 「はばかる」とは何か。はばかる場所を「はばかり」と云うが、これは世を憚って行くからそう云うのか、それとも便器に跨る姿勢が幅を利かしているみたいだからか……。
 あんな所で幅を利かせても仕方ないが、原義は後者のほうである。独り幅を利かす場所であるだけに、人はやがてあの場所や行為を憚るようになったのだろう。
 つまりこの諺は、憎まれっ子こそ世間で幅を利かすものだというのである。古くは「憎まれ子世に出ずる」とも云った。憎まれっ子のほうが、出世するというのだ。
 では憎まれっ子とはどんな子か。どうして憎まれるのだろう。
 それはたぶん、大人に大人しく従おうとはせず、子供の本分を存分に発揮しているからだろう。
 子供のどんな部分を憎むかは人それぞれだが、この場合、憎まれてもかまわないと本人が考えているフシがある。ハナからなんの確信もなく、人に何か云われたらすぐに修正するようなら、苛められることはあっても憎まれはしない。
 ではいったい、何を確信しているのか。

……続きは『文蔵2006.12』で。



 2006年11月号 第2回 論より証拠/花より団子     川口澄子:画








論より証拠

 日本の警察は、昔から「証拠主義」だと云われる。裁判においても、動機などが理路整然と述べられるより、一つの物証がモノを云うと考えられているようだ。
 同じ心情から、たぶん「出来心」という表現も用いられる。つまりあらゆる犯罪は、その必然性が日常にあるのではなく、突発的な「出来心」で行なわれると考えられているから、その「出来心」の証拠さえあれば、罰するに値するのである。
 これはアイデンティティーが前提にされている国とは大違いだ。
 彼らはあくまでも統一的な人格を信じようとするから、ある種の特筆すべき個性を導き、それなら当然このような犯罪を犯すはずだと、論理的に責め立てる。
 しかし、犯罪は論理的にするものだろうか?
 事は犯罪だけの話ではない。例えば浮気など、論理では責めようのない事柄も多い。つまり浮気の必然性を述べ始めたら、自分がいかに魅力的でないか、結婚がいかに墓場であるかを追及しなくてはならない。あるいは男という生き物の習性として論ずるにしても、奥方とすればどう責めても自分の首を絞めることになる。女房だけでは満足できない男のサガをあばいても、何の得にもならないではないか。
 そんな場合はそっと証拠を示し、「出来心」だったことにするのが一番無難なのである。
 これは逃げなのではなく、日本人が基本的に人間の心情を無常なるものとして捉え、やほよろづ的なものとも認識しているせいだろう。我々の中には大國主命も住んでいれば、スサノオも住んでおり、時と場合に応じて、いろんな顔が出入りするのである。

……続きは『文蔵2006.11』で。



 2006年10月号 第1回 いろは」と禅/犬も歩けば棒に当たる     川口澄子:画




「禅の『いろは』」と題してはみたものの、「いろは歌留多」の解説がはたして禅に通じるものかどうか、些か不安もある。しかしこの程度の不安は、ほどなく味わいになるはずだと、一方では安心してもいる。不安を感じつつも安心しているなんて、矛盾だと感じるかもしれないが、それは人間が歩くときに起こる普通の感覚だろう。たぶん犬もそうだから、「犬も歩けば棒にあたる」と云うのである。


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