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玄侑宗久/岸本葉子 著
ほぼ一年という時間をかけてじっくり相手の言葉を反芻しながらの往復書簡。
時間は言葉に化学変化を与え、発酵食物のような旨味を引き出しただけでなく、とうとう「わたし」を超えた。
僧侶でもある作家と、がんを体験したエッセイストが、般若心経、不動智神妙録、ユング心理学、量子論など幅広い分野にわたって、自在に思いを綴り合った往復書簡集。 |
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【目次】
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念入りな飛翔 はじめに |
玄侑宗久 |
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秘密への扉 |
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渾沌にかえる |
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背反する態度 |
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一瞬に止まらない |
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イメージ療法 |
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関係性の中で |
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瞑想入門 |
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「頭ごなし」の世界 |
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「思」との格闘 |
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言葉を捨てる |
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理知の抵抗 |
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陀羅尼を唱える |
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「名づけ」の功罪 |
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いのちからの声 |
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わたしの介入 |
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もうひとつの
智慧の儀式 |
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暗誦するということ |
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「不思議」を味わう |
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空の体験へ
般若心経 |
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滅法な自然 |
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奇跡と心 |
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開かれた系 |
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因果律を離れて |
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放心を具える |
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心とからだの風通し |
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霊性への目覚め |
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「わたし」を超えて おわりに |
岸本葉子 |
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大いなる余白 おわりに |
玄侑宗久 |
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大いなる余白 おわりに 玄侑宗久 |
ほぼ一年にわたる往復書簡のやりとりを終え、それを読み返してみて、私はいささか感動している。
それは以前、ドイツ人女性の参禅記を読んだときの感動にも似ている。つまりこの本は、『隻手の音なき声』というその本と同様に、言葉の届かない世界に、ウカツな言葉を慎みつつ。しかも表現から逃げることなく歩み続けた魂の旅の記録なのである。
いきなり「魂」などと云えば驚く方もいるかもしれないが、べつに特別なことではない。理知や言葉では捉えられない生命現象を、昔からそう呼んできたのである。
理知や言葉で捉えられないのなら、言葉を磨くことなどと不要と考える人々もいる。実際、禅の道場では「理屈を言うな」と叱られることが多い。しかし安易に理知をバカにしてはいけない。あくまでも「魂」とは、ギリギリまで言葉を磨き、とことん理知で追いつめた挙げ句、そこに「余白」のように立ち現れるものだからである。
二人で攻めれば「余白」も狭めやすい。まるで川底の魚を両側から追いつめるように、私たちは裸足で川に入り、その距離を縮めていった。
岸本さんは名前のとおり理知の岸辺にしっかり足場を持ち、しかもじつに精密で美しい言葉の網を持っていらっしゃった。あとは川に入ってさえくだされば、と私は願っていたのだが、意外や大胆にも、風に舞い散る一枚の葉のように、すいすいと流れに入ってきてくださった。むろんその時点では獲物が何なのかわからなかったのだから、大胆な方である。
いやしかし、おそらくは岸本さんの奥深い部分で、それを促す声が響いたのではないだろうか。
そしてきっとそのように、「魂」を感じる能力も「魂」と呼ばれるのだろう。

岸本さんは、ご存じのように多くのがんに関する本を書かれている。ご自身の体験が元になり、しかもそれを闘病記という体裁ではなく、あくまでも明るく生活に密着した文章に綴っていらっしゃる。きっと現在がんに罹っている方や再発を懼れる人々に、具体的な指針をたくさん与えていることだろう。励まされる方も多いに違いない。
今回、岸本さんと往復書簡を取り交わすことになったとき、じつのところ私はその点を危惧した。つまり岸本さんがそのような体験をもち、確乎としたお考えをおもちである以上、書簡でも話題にできないことがあるのではないか……。
隔靴掻痒に、なりはしないかと……。
しかしそれは全く杞憂であった。
岸本さんの柔らかい感性と透明な知性は、じつに的確に話の本質を捉えてくださり、私にも率直に思ったままを書くことができたし、その対話の膨らみは、けっして一人の文章では叶わないものだったと思う。また不思議なことに、私はいつしか岸本さんが「がん」を経験されていつことも忘れていたように思う。
むろん、季節が一巡りするあいだには気持ちの変遷もあった。岸本さんは途中ウツ状態も経験されて戻ってこられた。しかしだからこそ、私はこの本が「魂の旅の記録」だと申し上げたのである。
そこまで正直であってくださったことに、私はあらためて深く感謝申し上げたい。

冬に始まった書簡は、今錦秋の季節に終わろうとしている。
しかし葉が散り、また冬がくることは、岸本さんにとって今や寂しさではなくなっているに違いない。岸本さんは「あとがき」で、「無縫の天衣にくるまれて」「不則不離」の「大いなる潮の流れ」に身を任せた現在を語っていらっしゃる。きっと岸本さんは、すでに明るくも暗くもない、「大いなる余白」を感じ取られたのだ。二人で狭めてきたつもりの「余白」は、じつはいつのまにか「余白」のまま充実し、「大いなる余白」になっていたのである。どんな季節にも春があることを、発見したということかもしれない。
しかし魂と呼ばれ、またスピリチュアリティとも呼ばれるこの「大いなる余白」が、本当は余白ではないということこそが、この本の主旨である。
岸本さんが感じられた何分の一かでも、「いのちの豊かな満ち潮」を感じていただけたら望外の幸せである。

二〇〇六年 極月
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| 『隻手の音なき声』リース・グレーニング著/上田真而子翻訳(筑摩書房) |
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四六判
240ページ
定価1,470円(本体価格1,400円)
ISBN978-4-12-003802-0
C0095
中央公論新社
2007年2月10日(土) |
●岸本葉子[キシモトヨウコ]
1961年生れ、東京大学卒。会社勤めを経てエッセイストに。自身のシングルライフをテーマにした等身大のエッセイが好評。
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