脳と魂



「小説宝石」 2005年5月号   新刊 BOOK GUIDE

 解剖学者と宗教者の非常にユニークで面白い対談集である。
 世俗の常識や西欧近代化型の思考にこだわってきた人なら、目からウロコ、あるいは目を洗われるような文言が、軽快に飛び交い、快い刺戟のなかで、分量を感じさせない楽しい読書時間が経過していくだろう。
 「瞑想というのは、基本的に、いわゆる概念を瞬時たりとも浮かべないっていうことなんです。つまり、われわれが今ここにいるっていうことも、思考をはじめた途端に過去の材料の中に入っていきますよね」(玄侑)
 「僕は宗教問題については、歴史の中に日本型の解決があったと思う。一種の宗教的相対主義だと思いますけど」(養老)
 教育問題、公と私、脳と魂等について歴史的、宗教的、哲学的に論じ、日本人の生き方に深い示唆を与えるのだ。
(そ)


「ダ・ヴィンチ」 2005年4月号 今月のこの本にひとめ惚れ

糸井さんのひとめ惚れの一冊:『脳と魂』は、今読みたいと思っていた題材だったので即買い。


週刊現代」 2005年2月26日号 現代ライブラリー「今週の本棚」

 独自の「唯脳論」で知られる養老氏と、禅僧にして芥川賞作家でもある玄侑氏の対談。書名のテーマのほか、最新流行の身体論について、日本社会論、「自分探し」、「個人の自立」を追い求める現代社会への警鐘など、知的刺激に満ちた一冊。


週刊新潮」 2005年2月17日号 十行本棚

 解剖学者と禅僧にして芥川賞作家の異色対談集。観念と身体、世間と個人など、対立構造ではなく複雑に絡み合った様相を、それぞれが解きほぐしてゆく。相手から刺激を受けながら、難しいことをやさしく、やさしいことを深く語り合う言葉は熟読に価する。


大法輪」 2005年3月号 書物の輪蔵

 超刺激的な本が出た。『脳と魂』。解剖学者の養老孟司と、臨済宗の禅僧にして作家の玄侑宗久。両氏の対談である。
 解剖学者と禅僧。一見、異種格闘技試合のような組み合わせにも思える。が、もの言わぬ死体を見つめ続け、自然の在りようをそのまま受け入れようとする養老氏の態度は、きわめて仏教的(氏自身、「仏教の考え方に親近感を持つ」と述べている)。片や玄侑氏は、仏教の「悟り」を論ずる上で現代科学のことばを援用し、死後の世界を量子論から透徹する。
 二人の「ねじれ」が、互いに越境して絡み合い、二重螺旋を描きつつ見事に共振する。新しい知の在り方を感じさせる好書だ。



北海道新聞 2005年2月6日号 ほん:今週の新刊と文庫

 解剖学者と僧侶が、現代日本人のあり様について縦横無尽に語り合う。科学者である養老氏が生命システムの神秘性について語りながら、仏教哲学へと近づいていき、宗教者の玄侑氏が量子論からの解釈を試みるところはスリリング。現代日本の精神性の揺らぎを、仏教が生きていたころの社会、思想、文化から見直している。

※北海道新聞社許諾D0507S118T0507(―‘05.07.31)



週刊ポスト」 2005年2月11日号 POST BOOK WONDER LAND  「話題の新刊はこれだ!」

 仏教的な解剖学者と、科学的な禅僧。異なる“知”が共振し合う対談。<学校の体育の時間が、要するに、速く走る、高く飛ぶばかりで、普通に歩く、座るっていうことを全く教えないじゃないですか。全部非日常的な身体の使い方です>と禅僧が問えば、解剖学者は<日本は体育の哲学がないですね。(中略)体育の先生そのものが、いわゆる体育会系っていわれて、日常生活と切れちゃてる>と答える。なるほど、だから私たちは日本の伝統に沿った身体の使い方ができないのか。時代の波を捉えられず、乗ることができないのもそのためかもしれない。都市と自然、世間と個人についても語り合う。
(籾)