本:書評 『アミターバ ―無量光明』             

「死」を語る言葉を取り戻す試み      




田中和生  


 わたしの上顎の、右側の二本目の前歯は神経が通っていない。高校生の頃、どういう具合か歯のなかが化膿し、わたしが抜きたくないと言うと、歯科医は穴をあけてなかを洗浄し、薬を詰めてくれた。以来、それはからっぽのまま、わたしの歯茎に収まっている。つまりそれは死んでいる。けれどもその死んだ歯は、ときに鈍い圧迫感とともにその存在を主張する。他の健康な歯は、けっしてそのような主張をしない。わたしはその圧迫感に気づくたび、わたしの身体の一部がすでに死んでいること、そしてそれを感じるわたしは間違いなく生きているのだということを思い出す。
 日常というのは「死」を隠蔽することによって成り立っているのだと、大学生のときに読んだ長い哲学書に書いてあった。人間という生き物は、自分が死ぬということを知って生きている存在だとも。そうかもしれない。だからわたしたちは、いろいろなことをして「死」を忘れようとする。たとえばテレビを見たりなどして。
 《そのときはまだ、ガンと言われても死病とは思えなかった。毎日視ていた「みのもんた」の番組のせいか、治る手立てはいくらでもあるような気がした。いや、ただ漠然と、自分は長生きするという思い込みがあったせいかもしれない。婿殿が「お母さんには強靭な明るさがあるね」と小夜子に言うのを立ち聞きしたことがあったけれど、要はそういうことだったのかもしれない。
 やや深刻に現実を感じたのは、手術後十日ほどもしてからだろうか?》(玄侑宗久『アミターバ』)
 これは冒頭近くにある、この作品の入口を示す一節である。
 おそらく現代生活で、テレビほど日常に密着し、日常を象徴するものはない。一見そこでは、非日常のニュースやドラマがくり返されているように見える。けれどもそれらの映像は、本質的にはわたしたちがその非日常のなかにいないことを知らせ、日常を確認するものとして機能している。だからここで、「毎日視ていた『みのもんた』の番組」という言葉が出てくるのは偶然ではない。この作品は、こうして「私」の日常に「死」が侵入し、それを「私」が受け入れ、やがて「無量」の「光明」のなかに「死」を迎えるという過程を追ったものである。「私」は八十歳を目前に肝臓の末期ガンに冒された女性の一人称であるが、作者はその「私」の内側から「死」を描き出そうとする。だがそれは、非常に困難な作業だ。
 本来、「私」は自分の「死」を納得することができない。もちろん他人の死は見ることができるし、それを自分に当てはめて頭で理解することはできる。けれども自分が死ぬということを、「私」は死んでみて確認するというやり方ができない。だから「私」は、どこかで自分が死ぬということを納得していない。つまり「私」の「死」とは、よくわからいものなのである。そして、そのよくわからないものを書くためには、たとえば美しいものを書くのに「美しい」言葉が必要とされるように、「よくわからない」言葉をもちいなければならない。けれども「よくわからない」言葉で書かれたものは、よくわからないものを正確に書こうとしたものでなく、ただのわけのわからないものに見えてしまう可能性がある。「私」の内側から「死」を描く困難さはここにあるが、作者が「慈雲さん」という「私」の娘婿である和尚さんの口を通して「ドッペルゲンガー」や「量子力学」、あるいは「キリスト教」といった「私」にとって「よくわからない」言葉をもちいて「死」を記述していこうとするのは、その困難さのなかに道をつけ、その語りえないものに届かせようとしているからである。おそらく「慈雲さん」は、住職でもある作家の分身のような存在であるが、そこでけっして「死」を説明しようとはしない。ただ「私」が「死」について考える言葉をあたえるだけである。
 とりわけ圧巻は中盤、「慈雲さん」が存在や生命のエネルギーを物理学的な数値に置き換えていく場面である。わたしたちはそこで、その膨大な桁数の数値に変換されたわたしたちの「生」を目の当たりにして、その喪失として存在する「死」を触知しているような感覚にとらわれる。少なくとも、そうしてよくわからないものをどうにか記述しようとする作者の言葉のうねりのなかに、「死」の輪郭のようなものがとらえられているのをわたしは感じ取る。玄侑宗久の『アミターバ』は、現代の文学に「死」を語る言葉を取り戻そうとする試みであり、その達成である。
 だが、どうしてそうまでして作者は「死」を語らなければならないのか。
 おそらく現代は、「死」の権威が失墜した時代である。人間にとって当たり前のものであるはずの「死」を、わたしたちは日常で目にすることがほとんどない。「死」の近い人間は病院に隔離され、「死」もそこで迎えなければならない。そして葬式から埋葬までが流れ作業のように管理され、「死」は速やかにわたしたちの前から姿を消す。そのような環境で、わたしたちは「死」について考える言葉を失いつづけており、逆にわたしたちの日常に増えつづけているのはテレビのなかの人間のような死ぬことのない存在である。たとえば作品中に「みのもんた」ともう一つ、括弧つきで地の文に登場するのは「水戸黄門」であるが、「みのもんた」も「水戸黄門」も、テレビを通して主人公の「私」の日常に馴染み深い、ほとんど隣人のような存在である。あるいは現代の独居老人であれば、それらは親族より親しい存在であるかもしれない。けれども彼らは「死」とは無縁である。それは彼らがブラウン管のなかにしか存在できず、テレビの電源以外にはじまりも終わりももたないからである。「死」と無縁であるというのは、現代に広く行き渡った消費にかかわるあらゆる固有名詞に共通する特徴であるが、そのような固有名詞が溢れるなかで、わたしたちの「死」を語る言葉はますます遠い。だから主人公の「私」は「『みのもんた』の番組」のせいで「死」を実感できないのである。
 けれどもあらゆる「私」は「死」を迎えなければならない。そしてそれをいつか納得しなければならない。現代において、日常の言葉と「死」を語る言葉のあいだには、かつてないほどの亀裂が走っている。その亀裂は「死」に直面した「私」を容赦なく引き裂く。たぶん作者の「死」を語る言葉は、そのような「私」の傷を癒すようにして引き寄せられている。わたしたちはそこで、主人公の「私」が日常の言葉の世界から自由になり、安らかに「死」の言葉の世界に入っていくのを見て、「死」を語る言葉を一つ手に入れる。その感触は、わたしに文学は生きているのだということを思い出させてくれる。


「新潮」2003年6月号