さすらいの佛教語 目次
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さすらいの佛教語:第38回 【一大事】
さすらいの佛教語:第37回 【自由】
さすらいの佛教語:第36回 【出世】
さすらいの佛教語:第35回 【ご馳走】
さすらいの佛教語:第34回 【ゴタゴタ】
さすらいの佛教語:第33回 【藪と野暮】
さすらいの佛教語:第32回 【利益】
さすらいの佛教語:第31回 【袈裟】
さすらいの佛教語:第30回 【説教】
さすらいの佛教語:第29回 【おっくう】
さすらいの佛教語:第28回 【けげん】
さすらいの佛教語:第27回 【あまのじゃく】
さすらいの佛教語:第26回 【爪弾き】
さすらいの佛教語:第25回 【つっけんどん】
さすらいの佛教語:第24回 【台無し】
さすらいの佛教語:第23回 【砂糖】
さすらいの佛教語:第22回 【お陀仏】
さすらいの佛教語:第21回 【女郎】
さすらいの佛教語:第20回 【三千大千世界】
さすらいの佛教語:第19回 【祗園】
さすらいの佛教語:第18回 【ご開帳】
さすらいの佛教語:第17回 【ふしだら】
さすらいの佛教語:第16回 【めっぽう】
さすらいの佛教語:第15回 【がたぴし】
さすらいの佛教語:第14回 【工夫】
さすらいの佛教語:第13回 【ないしょ】
さすらいの佛教語:第12回 【うろうろ】
さすらいの佛教語:第11回 【油断】
さすらいの佛教語:第10回 【阿弥陀クジ】
さすらいの佛教語:第 9回 【素性】
さすらいの佛教語:第 8回 【餓鬼】
さすらいの佛教語:第 7回 【分別】
さすらいの佛教語:第 6回 【大丈夫】
さすらいの佛教語:第 5回 【退屈】
さすらいの佛教語:第 4回 【娑婆】
さすらいの佛教語:第 3回 【観念】
さすらいの佛教語:第 2回 【貧者の一燈】
さすらいの佛教語:第 1回 【皮肉】
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あまのじゃくは、民間説話「うりこひめ」の中にも登場する。要するに、わざと人の言葉に逆らい、片意地を張る者のことだが、これほど厄介な存在はいないような気がする。
本来は「天の邪鬼」と書く。四天王などの足下に、踏みつけられている姿を見かけた方もあるだろう。ご本尊を守るために東西南北に配されている守護神が四天王だが、その四天王が手こずっているのだから相当に厄介である。
たとえば彼のためを思い、右へ行ったほうがいいよと忠告しても、彼はそれを聞くと逆に左へ行こうとする。そんな相手にはどうすればいいのだろう。
じつは簡単である。そうしてほしいと思う逆のことを、初めから云えばいい。勉強してほしければ遊びなさいと云う。帰ってきてほしければ帰ってくるなと云う。北に行ってほしいなら南に行けと云う。
なんだか昔の頑固親父にもこの「あまのじゃく」タイプは居たように思うが、反対のことをすると分かっているのだから、最初から逆のことを云ってしまえばいいではないか。
ところがこれが難しい。我々は言葉をそう気軽に使える生き物ではないし、まして四天王は自らを正しいと思い込んでいる。性急に、正義の意識であまのじゃくを踏みつけるのである。
昔は「死んじまえ、ばかやろう」と云われて「なにくそ」と発憤し、「あんたなんか出てけ、この役立たず」と云われても飲み続ける親父が大勢いた。相手が元気に否定すると思い込んでいるからこそ、極端なことも云えたのではないだろうか。
しかし今は、こうした悪態に愛情を込めたと云っても恐らくは理解してもらえないだろう。すぐに人権擁護、などという話になる。
あまのじゃくがいるからこそ極端な云い方もできた。鬱憤を晴らすような言葉も、自然に吐けたのである。
思えばあまのじゃくこそが、日本文化に深みを与えたのではないだろうか。どんな考え方も、全員が賛成するようでは気味が悪い。あまのじゃくがいることで、我々の文化は柔軟に深まった。じつはあまのじゃくのほうも、踏みつけられてエネルギーを得ているのである。