さすらいの佛教語 目次
----------------------------------
さすらいの佛教語:第39回 【老婆心】
さすらいの佛教語:第38回 【一大事】
さすらいの佛教語:第37回 【自由】
さすらいの佛教語:第36回 【出世】
さすらいの佛教語:第35回 【ご馳走】
さすらいの佛教語:第34回 【ゴタゴタ】
さすらいの佛教語:第33回 【藪と野暮】
さすらいの佛教語:第32回 【利益】
さすらいの佛教語:第31回 【袈裟】
さすらいの佛教語:第30回 【説教】
さすらいの佛教語:第29回 【おっくう】
さすらいの佛教語:第28回 【けげん】
さすらいの佛教語:第27回 【あまのじゃく】
さすらいの佛教語:第26回 【爪弾き】
さすらいの佛教語:第25回 【つっけんどん】
さすらいの佛教語:第24回 【台無し】
さすらいの佛教語:第23回 【砂糖】
さすらいの佛教語:第22回 【お陀仏】
さすらいの佛教語:第21回 【女郎】
さすらいの佛教語:第20回 【三千大千世界】
さすらいの佛教語:第19回 【祗園】
さすらいの佛教語:第18回 【ご開帳】
さすらいの佛教語:第17回 【ふしだら】
さすらいの佛教語:第16回 【めっぽう】
さすらいの佛教語:第15回 【がたぴし】
さすらいの佛教語:第14回 【工夫】
さすらいの佛教語:第13回 【ないしょ】
さすらいの佛教語:第12回 【うろうろ】
さすらいの佛教語:第11回 【油断】
さすらいの佛教語:第10回 【阿弥陀クジ】
さすらいの佛教語:第 9回 【素性】
さすらいの佛教語:第 8回 【餓鬼】
さすらいの佛教語:第 7回 【分別】
さすらいの佛教語:第 6回 【大丈夫】
さすらいの佛教語:第 5回 【退屈】
さすらいの佛教語:第 4回 【娑婆】
さすらいの佛教語:第 3回 【観念】
さすらいの佛教語:第 2回 【貧者の一燈】
さすらいの佛教語:第 1回 【皮肉】
----------------------------------
台無しの台がなぜ大じゃないのかと、思ったことのある人もいるのではないだろうか。つまり「だいなし」と耳で聞いた場合、大いにダメというふうにも聞こえかねない。しかしそれではこの言葉のさすらいの跡が、台無しになってしまうのである。
台無しの台は、仏像が置かれた台座のことだ。どんな仏像もたいてい台座とセットで我々は拝んでいる。ほとんど一体のものとして見ているわけだが、たまたま火事などに遭うと台座や光背までは運びだせず、本体だけになってしまうことも多い。
うちのお寺でも江戸時代に火事に遭ったとき、本尊さまや観音さま本体は無事運びだしたものの、台座と光背は本堂もろとも燃えてしまった。本尊の釈迦如来座像のほうの台座はまもなく新添されたが、観音さまは台無しのまましばらく本堂の一角に安置されていたらしい。
実際にそのときのお姿は拝見していないわけだが、今でも掃除などのため台座からおろしてみるとすぐに分かる。仏像というのは、台座からおろしてしまうと、やけに子どもっぽく見えたり、とにかく迫力がなくなってしまうのである。
おそらく目線の影響が一番大きいのだと思う。どこから見上げた場合に最も威厳を具え、悠揚迫らぬ眼差しになるのかがちゃんと計算されて台座に載っているため、台無しの仏像はなんだか俯いてしまい、自閉的にさえ見えてくる。
きっと仏像を盗む場合もそうだろう。見上げて立派だと思い、台座は重すぎるから本体だけを盗んではきたものの、隠れ家に持ち帰って拝んでみるとそれほど立派にも見えない。まして翌日朝の光で眺めれば全く別な顔つきになるだろう。あれはやはり、下から
※
蝋燭の炎に照らされているお姿、眼差しにその炎の映った状態こそが素晴らしいのだ。
「なんだよ、台無しじゃねえか」
泥棒の身内だってそんな悪態をつくに違いない。
何の役に立っているのか分からない代物でも、それがなくなったら台無しになるものはいろいろありそうだ。あなたの台は、何?