さすらいの佛教語 目次
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さすらいの佛教語:第42回 【彼岸】
さすらいの佛教語:第41回 【おぼん】
さすらいの佛教語:第40回 【不思議】
さすらいの佛教語:第39回 【老婆心】
さすらいの佛教語:第38回 【一大事】
さすらいの佛教語:第37回 【自由】
さすらいの佛教語:第36回 【出世】
さすらいの佛教語:第35回 【ご馳走】
さすらいの佛教語:第34回 【ゴタゴタ】
さすらいの佛教語:第33回 【藪と野暮】
さすらいの佛教語:第32回 【利益】
さすらいの佛教語:第31回 【袈裟】
さすらいの佛教語:第30回 【説教】
さすらいの佛教語:第29回 【おっくう】
さすらいの佛教語:第28回 【けげん】
さすらいの佛教語:第27回 【あまのじゃく】
さすらいの佛教語:第26回 【爪弾き】
さすらいの佛教語:第25回 【つっけんどん】
さすらいの佛教語:第24回 【台無し】
さすらいの佛教語:第23回 【砂糖】
さすらいの佛教語:第22回 【お陀仏】
さすらいの佛教語:第21回 【女郎】
さすらいの佛教語:第20回 【三千大千世界】
さすらいの佛教語:第19回 【祗園】
さすらいの佛教語:第18回 【ご開帳】
さすらいの佛教語:第17回 【ふしだら】
さすらいの佛教語:第16回 【めっぽう】
さすらいの佛教語:第15回 【がたぴし】
さすらいの佛教語:第14回 【工夫】
さすらいの佛教語:第13回 【ないしょ】
さすらいの佛教語:第12回 【うろうろ】
さすらいの佛教語:第11回 【油断】
さすらいの佛教語:第10回 【阿弥陀クジ】
さすらいの佛教語:第 9回 【素性】
さすらいの佛教語:第 8回 【餓鬼】
さすらいの佛教語:第 7回 【分別】
さすらいの佛教語:第 6回 【大丈夫】
さすらいの佛教語:第 5回 【退屈】
さすらいの佛教語:第 4回 【娑婆】
さすらいの佛教語:第 3回 【観念】
さすらいの佛教語:第 2回 【貧者の一燈】
さすらいの佛教語:第 1回 【皮肉】
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最近では擬音語として、戸の建てつけが悪い状態などを「がたぴし」と云う。しかしこの言葉、本来は仏教語としての「我他彼此(がたひし)」に由来する。「我」が生ずることで「他」が生じ、「彼(かれ)」と「此(これ)」もいわば「我」の分別によって区別されるから、物事がうまく噛み合わず、そのために動きがにぶくなって騒々しくなる、そんな様子の全てが、この言葉で表されるのである。「我他彼此見(がたひしのけん)」などと云う。
仏教が説く「無我」においては、一切が平和的に融合している。
しかし我々にはいつしか「我」が生じる。「我」を生じさせる力を、インドではサンスカーラ(行)と呼んだが、これは母親の胎内で芽生えた最初の意識である「識」に、すでに宿っていると考えられた。「苦」を生みだすシステムとして考えられた十二因縁では、「識」のまえに「行」が置かれる。そのまえに「無明」が置かれるのは、つまり「我」の芽とも云える「行」が、どうして発生するのか分からない(無明)ということだ。
わけが分からないもの(無明)を相手にしてもわけが分からないから、お釈迦さまはひとまず実践目標を「行の滅尽」に置いた。これによって世界の「我他彼此」が、根本的に解消されると考えたのである。
このことに気づき、「我」の解消のために瞑想を実践して得られた状態こそが、仏教的智慧としての「般若」だと云っても過言ではない。
思えばこの言葉から、「がたがたする」とか「がたがくる」という表現も生まれた。『義経記』にもすでに「がたりぴしりとし給ふこそ見ぐるしけれ」などと書かれる。いずれも、本来一体であったものが「我見」によって対立的に見え、平安が失われた状態のことだ。
それにしても、建てつけの悪い戸は、たしかに「ガタ、ピシ」と聞こえる。仏教語がさすらって擬音語に変じたと最初に書いたが、あるいは当初から、擬音語からの連想があったのだろうか。謎である。
「そんな細かいこと、がたがたぬかすんじゃねえよ」。我の強い人ほどそんなことを云う。宝珠が盗賊の手に渡ってしまったようなものだ。