さすらいの佛教語 目次
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さすらいの佛教語:第39回 【老婆心】
さすらいの佛教語:第38回 【一大事】
さすらいの佛教語:第37回 【自由】
さすらいの佛教語:第36回 【出世】
さすらいの佛教語:第35回 【ご馳走】
さすらいの佛教語:第34回 【ゴタゴタ】
さすらいの佛教語:第33回 【藪と野暮】
さすらいの佛教語:第32回 【利益】
さすらいの佛教語:第31回 【袈裟】
さすらいの佛教語:第30回 【説教】
さすらいの佛教語:第29回 【おっくう】
さすらいの佛教語:第28回 【けげん】
さすらいの佛教語:第27回 【あまのじゃく】
さすらいの佛教語:第26回 【爪弾き】
さすらいの佛教語:第25回 【つっけんどん】
さすらいの佛教語:第24回 【台無し】
さすらいの佛教語:第23回 【砂糖】
さすらいの佛教語:第22回 【お陀仏】
さすらいの佛教語:第21回 【女郎】
さすらいの佛教語:第20回 【三千大千世界】
さすらいの佛教語:第18回 【祗園】
さすらいの佛教語:第18回 【ご開帳】
さすらいの佛教語:第17回 【ふしだら】
さすらいの佛教語:第16回 【めっぽう】
さすらいの佛教語:第15回 【がたぴし】
さすらいの佛教語:第14回 【工夫】
さすらいの佛教語:第13回 【ないしょ】
さすらいの佛教語:第12回 【うろうろ】
さすらいの佛教語:第11回 【油断】
さすらいの佛教語:第10回 【阿弥陀クジ】
さすらいの佛教語:第 9回 【素性】
さすらいの佛教語:第 8回 【餓鬼】
さすらいの佛教語:第 7回 【分別】
さすらいの佛教語:第 6回 【大丈夫】
さすらいの佛教語:第 5回 【退屈】
さすらいの佛教語:第 4回 【娑婆】
さすらいの佛教語:第 3回 【観念】
さすらいの佛教語:第 2回 【貧者の一燈】
さすらいの佛教語:第 1回 【皮肉】
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なにゆえクジなどに、阿弥陀さまの名前が付いているのか、不思議に思う方もいるだろう。クジの結果は阿弥陀さまのお導きだから、恨みっこなし、という解釈も成り立つ。
しかし、どうもそれは後付けの解釈で、もともとこのクジが、阿弥陀さまの光背を模して作られたから、ということのようだ。
寺には本来、治外法権があった。というより、武士たちがその地を統率するまえから寺はあったから、武家の法とはまた別な基準をもっていたわけだ。大名が罰する人間が、必ずしも悪人とは考えなかったということだろう。武家の法はやがて天下統一によって王法となるが、仏法とは微妙に食い違うのである。
たとえば農民一揆のリーダーなど、王法にとってはこの上なく厄介だから、市中引き回しのうえ斬首、というのが一般的な判断になる。しかし仏法から見ると、社会を憂える有為な青年であり、出家して修行すればよい僧侶になるだろうと判断する。
明恵上人は「窮鳥懐に入れば」匿うのが寺だと考えていた。その習慣が、じつは織田信長の「駆け入り禁止令」までは一般的だった。
寺という場所は、だから反体制的で有為な青年などが集う場所でもあった。自由民権運動の非合法な会議などにも、多くの寺は場所を提供している。
しかしこうした有志ばかりでなく、寺には博打をする無頼の徒まで集まったのだろう。寺によっては、寺銭という会場費さえ払えば何にでも提供したのかもしれない。
むろん阿弥陀クジは、博打の手段ばかりでなく、たとえば仕事や物品の割り振りなどにも非常に有効な方法だった。最初に述べたように、まったくの運次第だから、結果も阿弥陀さまの思し召しと納得できたのだろう。
方法は阿弥陀クジとは限らないが、江戸時代の多くの寺では富クジも行われている。じつはうちのお寺にも籤箱
(
くじばこ
)
が残っている。これは今で云う宝クジの原型で、少額ずつ出し合った檀家さんに、夢のような高額が当たり、しかも寺は維持管理費を捻出できた。今は国が主催しているが、もともとはお寺の発案なのである。