さすらいの佛教語 目次
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さすらいの佛教語:第39回 【老婆心】
さすらいの佛教語:第38回 【一大事】
さすらいの佛教語:第37回 【自由】
さすらいの佛教語:第36回 【出世】
さすらいの佛教語:第35回 【ご馳走】
さすらいの佛教語:第34回 【ゴタゴタ】
さすらいの佛教語:第33回 【藪と野暮】
さすらいの佛教語:第32回 【利益】
さすらいの佛教語:第31回 【袈裟】
さすらいの佛教語:第30回 【説教】
さすらいの佛教語:第29回 【おっくう】
さすらいの佛教語:第28回 【けげん】
さすらいの佛教語:第27回 【あまのじゃく】
さすらいの佛教語:第26回 【爪弾き】
さすらいの佛教語:第25回 【つっけんどん】
さすらいの佛教語:第24回 【台無し】
さすらいの佛教語:第23回 【砂糖】
さすらいの佛教語:第22回 【お陀仏】
さすらいの佛教語:第21回 【女郎】
さすらいの佛教語:第20回 【三千大千世界】
さすらいの佛教語:第19回 【祗園】
さすらいの佛教語:第18回 【ご開帳】
さすらいの佛教語:第17回 【ふしだら】
さすらいの佛教語:第16回 【めっぽう】
さすらいの佛教語:第15回 【がたぴし】
さすらいの佛教語:第14回 【工夫】
さすらいの佛教語:第13回 【ないしょ】
さすらいの佛教語:第12回 【うろうろ】
さすらいの佛教語:第11回 【油断】
さすらいの佛教語:第10回 【阿弥陀クジ】
さすらいの佛教語:第 9回 【素性】
さすらいの佛教語:第 8回 【餓鬼】
さすらいの佛教語:第 7回 【分別】
さすらいの佛教語:第 6回 【大丈夫】
さすらいの佛教語:第 5回 【退屈】
さすらいの佛教語:第 4回 【娑婆】
さすらいの佛教語:第 3回 【観念】
さすらいの佛教語:第 2回 【貧者の一燈】
さすらいの佛教語:第 1回 【皮肉】
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よく、氏素性
(うじすじょう)
などと云う。それがわからないことを、馬の骨に喩えたりもするが、じつは馬ほど素性の明らかな生き物はいない。現在のサラブレッドは、すべて四頭の先祖からの流れで辿れるらしい。馬にはいわゆる血統書があるから、我々よりよっぽど素性が明確である。まぁ骨になってしまえばわからないということかもしれないが、それなら別に馬である必要はない。どこのネズミの骨かわからない、というほうがよほどわからなさそうだ。
人間に血統書はない。しかしそれに近い発想で人間を区別したのがカースト制度である。そこでは種と姓という先天的な要素で人を区別し、それらを合わせてサンスクリットでゴートラ(
gotra
)と云った。それが「種姓」であり、本来はこれを「すじょう」と読んだ。カーストのような制度のない国に言葉が移入されたため、いつのまにか人が元々(素)もっている性
(さが)
という意味で「素性」と書くようになったようだ。
しかし仏教では、素性はみな同じ仏性だと思っている。心の底に潜む無明のさらに奥に、同じ光明があると考えるのである。これを「光明蔵」と云う。
このことは、人類のDNAが九九・九九%まで同じだという事実によって裏付けられたかに見えた。
しかし最近では、人の違いを識別するためにもDNAが利用され、DNA鑑定なども行われている。つまり、どこの馬の骨かも、今なら特定されるのである。
「今は昔、天竺に一人の人有り、種姓高けれども身貧しくして世を過
(すご)
す力無し」(『今昔物語集』巻第四)などと昔は書かれたわけだが、今やこの素性の根拠を、遺伝子に求める時代なのだろうか。遺伝子の研究そのものは今後も進んでいくのだろうが、その二次利用がひどく気にかかる。デザイン・ベイビーやES(胚性幹)細胞使用という発想に、すでに優生学復活の芽が潜んでいそうな気がする。
釈尊は、人を区別するのは唯一行ないに依ると考えた。彼があれほど「種姓」に拘らなかったのは、たぶん人間の「素性」を信じたからだろう。仏教的には「種姓」と「素性」はかくも違う。この意味が近づくことは、怖いことではなかろうか。