第八回




 片仮名で「ガキ」と書くとずいぶん印象が違う。昔は庭の柿などを盗んでいく子供にはよく「このガキ〜」などと罵声が飛んだものだが、むろん柿とガキは何の関係もない。ここでのガキは、子供の蔑称である。坊主といいガキといい、どうも子供は仏教的に呼ばれるようだ。
 本来「餓鬼」は、サンスクリットの「プレータ」(preta)の訳語であり、飢餓にあえぐ亡者のことだ。なるほど飢餓にあえぐのだから柿を盗んでもおかしくない。そういうわけでさすらったのだろうか。
 仏教の考え方ではないが、古来インドでは死者にお供えをあげないとプレータとして一年間さまようとされていた。一年後、盛大に祀ることで祖霊になる。このプレータが中国に渡り、中国の鬼という言葉に結びつく。鬼とは死者のことだから、餓えた死者ということで餓鬼になったのだろう。
 鬼というと、どうも日本人は虎の皮のパンツに牛の角を生やした赤鬼や青鬼を想ってしまうが、あれは日本人の創造である。死者の世界への入り口が方位的に北東つまり丑寅の鬼門と考えられていたため、勝手に牛の角を生やし、虎のパンツを穿かせたのだ。
 古来の餓鬼の絵は、むしろもっと人間的で真に迫る。私にはその絵が、実際に餓えた子供をモデルに描かれたように思えて仕方がない。空腹も程度を超すと腹部が膨満してくる。ビアフラ内戦時の子供たちの姿が憶いだされる。眼は落ちくぼみ、もうどこを見ているかも定かでなかった。それなら柿くらい、どんどん持っていけばいいと思うくらいだ。
 しかし餓鬼の世界の辛さは、柿くらいでは収まらない。いや、何を持っていこうと、口に入れようとするそばから炎になってしまうらしい。源信の『横川法語』には、「家まづしくとも餓鬼にまさるべし」と綴られる。
 インドでは供養されない餓鬼になったが、中国では物惜しみした本人がやがて餓鬼になると考えられた。最近の日本には柿を盗むようなガキはおらず、ガキは、いや、お子様たちは家のなかでピコピコとゲーム機に興じているが、柿を盗むガキと彼らと、どっちが本物の餓鬼かは不明である。


「中央公論」2006年1月号