| 第五回へ | ||
| とうとうこんな言葉まで、と眉を顰める方もおありだと思うが、これも仏教語なのだから仕方ない。もともとは僧侶たちだけが使った隠語なのだが、いつのまにか世間に知られてしまった。ばらしたのは誰だ? 本来は梵語のマーラだから善法を妨げ修行をはばむもののこと。殺者、障害、破壊などとも訳される。「魔羅」と音写したものが、単に「魔」と略されることも多い。自分の内側から生じるものが内魔、外からやってくるものが外魔だが、内魔の代表的なものが性欲。その象徴としてアノモノを「魔羅」と呼んだのである。 ![]() そんなことは知ってたという方も少なくないだろう。ではそういう方のために、もう一つ隠語を紹介してしまおう。「因果骨」というのだが、ご存じだろうか。むろんこれもアレのこと。その心は、アレはときどき骨のように堅くなるわけだが、それがなんとも「因果だなぁ」ということだろう。なんとも身に沁みる隠語である。 それにしてもこのシリーズ、「暮らしの中の仏教語」ということだが、「魔羅」なんて知ったところで何の役にも立たない、と思われるだろうか。そんなに「邪魔」にしないでいただきたい。「邪魔」というのも、本来は修行の妨げを指す。「魔羅」は、邪魔になったりならなかったりするところがかわいいのである。 お釈迦さまの逸話にもマーラが登場する。たいてい「悪魔」と訳されているが、これも考えようでは内魔が顕在化したものと見ることもできるだろう。思い通りにならないことが悪魔の顔つきで現れるわけだが、悪魔として憎んだとて根本的な解決にはならない。マラが健康のバロメーターでもあるように、魔とは内魔のことだと割り切る立場もあるからである。 ところでわが臨済宗中興の祖とされる白隠禅師は、晩年、講座のなかで「内魔動ずるとき、外魔便りを得る」とおっしゃった。ここではおそらく、人知を超えた情報が「魔」と呼ばれている。むろん、内魔もマラのことじゃない。このマラは、そんな神秘とは関係なさそうにくつろいでいる。 |
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| 福島民報 2005年2月12日 文化面 | ||