|
|
 |
|
|
   |

 |
| 政府の教育再生会議第1分科会は、小中高の「道徳の時間」を正式教科にする方針を打ち出した。成績評価方法も今後の検討課題とされるが、心の問題である道徳を評価し、成績を付けていいのか? |
| 【太田阿利佐】 |
|
|
 |
 |
 |
知育、徳育、体育のうち、戦後教育が知育に偏ってきたのは確か。もっと徳育を重視しようという方針には賛成です。ただ道徳を評価対象にすること、まして数値で評価するなど論外です。評価すればそれは知育。もはや徳育ではありえません。
道徳教育とは「人の生き方を学ぶ」こと。道徳は老子の「道徳経」に基づく言葉で、「上徳は徳とせず、是(ここ)をもって徳あり。下徳は徳を失わざらんとす、是をもって徳無し」と書いてある。真に徳のある人は、徳を得ようと意識することがないところに徳があり、徳を得ようとか失うまいとする徳は初めから下の徳だ、という。「前識は道の華(か)にして愚の始めなり」は、人より余計に知っているとかいわゆる智慧者であることは、道を学ぶにあたってはあだ花のようなものであり、愚かさの始まりだ、の意味です。華は目立つこと、ほめられること。点を競う、功名を競う、華を競うことで徳から離れてしまう。
大体、人間の道徳を評価できる人間がいるんでしょうか。評価するには物差しがいる。人の生き方を一つの物差しで測ることが可能なのでしょうか。
例えば、父親が盗みをするところを見ていた子はどうすべきか。孔子なら「孝」の観点からかくまうべきだとする。しかし、そうではない、という議論も当然ある。まして「人としてどう生きるべきか」は、仏教、キリスト教、イスラム教などと無数の考え方があり、優劣もつけられない。グローバル化が進む時代だからこそ、優劣のつけられない無数の価値観を知るべきでしょう。
評価しようという背景には、そうしないと生徒がまじめに取り組まないという思いがあるのでしょう。点数や試験は脅し。それがないと授業が成立しない。そんな情けない状況で道徳が教えられますか。
日本人はこう生きるべきだ、という道徳的規範が教科書で示せるなら、ぜひ拝見したいですね。私は現在の副教材「心のノート」(文部科学省)はどろぼうの勧めだと思っています。心のノートでは多くの言葉の出典が明らかにされていないからです。
道徳を語ることは、その人が生きるにあたって宗とすること、つまり根本原理を語ることです。その中で優れたものが、多くの場合宗教として残ってきた。そこからいわば最大多数の思想を抽出し、集めて本にするなんて盗みに等しい行為です。出典不明では、どのように生きどのように死んでいった人々が語ったのか、どのような時代を生きてその生き方を見い出したかのか知りようがない。だから言葉が切実さを欠いてしまう。
徳育の必要性はもちろんあります。市場原理と金がすべてというような価値観が、あらゆるものに広がっている。そのカウンターバリューを見いださなければならない。それなのに道徳の評価とは……。日本人はまだ数値化し、評価できるものにしか価値を見いだせないということです。一つの物差しによる評価は市場原理と同じでしょう。
本当の道徳の授業では、教師が教えるのではなく自分の生き方をかけて一緒に考えるしかない、と私は思います。 |
|
 |
| 毎日新聞2007年4月16日 夕刊 「夕刊とっておき」 |
 |
|