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芥川賞作家でもある異色の僧侶、玄侑宗久氏。
近著の『禅的生活』(ちくま新書)では、これまで敷居の高かった仏教や禅を我々の身近に引き寄せてくれた。
そんな玄侑氏は、近年の世知辛い企業社会や経済活動をどう見ているのか。
晩秋の福島県三春町・福聚寺で話を聞いた。 |
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――「心の時代」が叫ばれ、西洋的合理主義一辺倒を見直す気運が出てきました。が、一方で世の中の切迫感や閉塞感は増すばかりです。中小企業経営者の「心」もすさみがちで、それを象徴するように自殺者も増え続けています。 |
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経営という言葉は、もともとは「我が身を経営する」と使うんですね。「経」は縦糸のこと。お経の「経」も同じです。縦糸、つまりはベースとなる論理(言葉)をまずしっかりとさせることで、我が身(会社)を営んでいくという意味合いになります。いまはこの縦糸が、ややきつすぎるのではないでしょうか。「こうでなければ許せない」といったようなね。
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――つまり、言葉や論理に囚われ過ぎていると。 |
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『禅的生活』(ちくま新書)にも詳しく書きましたが、人間の脳は、は虫類型の脳の上に旧ほ乳類型の脳が被さり、その上を新ほ乳類型の大脳皮質が包む三層構造になっています。言語を扱うのは大脳皮質ですが、言語をあまりにも奉り過ぎると、下部にある二つの旧い脳を抑圧してしまい、心のバランスを失ってしまう。ちなみに坐禅は、大脳皮質の働きを抑え、そのバランスを取り戻す試みでもあるんですね。
経営を行うには、何によらず言葉に置き換えていくことが必要なのは事実です。けれど、人間は常に変化し、揺らいでいくものだと考えれば、言葉というのは常に過去のものなんです。ところが大脳皮質による概念や論理のねつ造は、その過去の言葉に現在を必要以上に縛り付けてしまう。結果、我が身を追い込み、ゆえない苦しみを呼び込んでしまっているのではないでしょうか。
たとえばよく「男に二言はない」と言いますよね。でも、こんなバカな言葉はない。なぜなら気持ちは常に変化するものだからです。この言葉は「変化した現在を犠牲にしてでも過去を重視する」という意味合いですから、全うするには大変な苦しみが伴います。無闇に使うべき言葉ではないし、使えば自分を追い込むことになる。
ちなみにこれは私の独断ですが、言葉に囚われて余計な苦しみを抱え込むのは男性に多いと思いますね。小学生なんかだと、皆勤賞を目指したり絶対遅刻しない…などと律儀に意気込むのは圧倒的に男の子に多いそうです。女の子はその辺は良い意味でいい加減ですが、逆に大学生あたりになると非常に勤勉になる。現実的な将来を見据え始めるからです。ところが男は、その頃になると過去の言葉に逃避し怠惰になりがちで、現実を見ようとしない。つまり、女性の方が現実に応じて変化する能力が高いといえるのではないでしょうか。
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――そんな現実への変化に対応できない「男性的」な中小企業がいま苦しんでいるということでしょうか。 |
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過去の言葉というのは企業でいえば計画ですよね。その計画が細か過ぎ、またそれを重視し過ぎるから現実に対応できなくなるんだと思いますよ。たとえば、1ヵ月、1年の出来高目標が達成されずに落ち込む。自分で決めて自分で落ち込んでいるわけです。でも、よく考えればその目標は過去の言葉に過ぎない。その時点ではほとんど残骸なのです。
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――でも、普通の人はなかなかそんな風に考えることはできないですよね。 |
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小さな商店を思い浮かべれば分かりますが、お客さんというのは基本的に「偶然」の産物です。
たとえば、朝、店の前を箒で掃除していたら、たまたま通りかかった人に道を聞かれる。その人は、店主が親切丁寧に教えてくれたことに感激し、以来熱心なお得意先になる……というような出来事は「偶然のご縁」としか説明しようがない。とくに中小企業はこのご縁で成り立っている。ところが、厳密な計画を立て、それを信奉するようになると、偶然性を排除する方向に進みます。アポイントのない人に会うなんてとんでもない……という態度になったりする。あるいは突然前触れもなく起こる本来喜ぶべき出来事を受け入れられなくなる。つまり、もともとご縁で成り立っていたビジネスが、ご縁を切り捨てる方向に行ってしまっている。これは本末転倒です。 |
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――厳密な計画は立てるべきではないということですか。
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いえいえ。計画は大事ですよ。論理や言葉による一貫性がなければ経営はできない。問題なのはそこに囚われ過ぎることです。ほんの少し論理のくびきを緩め、偶然性の入る余地を残さないといけない。言い換えれば、「勘」をもっと尊重すべきだということ。「お客様は神様です」というフレーズがありますが、たくさん買ってくれるから神様なのではなく、論理的には予測がつかないから神様なんですよ。商売の根本にある「偶然に宿る神様」を尊重すれば、随分気持ちも楽になるのではないでしょうか。
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――とはいえ、経営者には家族をはじめ社員や取引先もいます。その重荷を背負い込み、責任感から追い込まれる例がほとんどだと思います。これらの人たちは「偶然の尊重」だけでは救われないのでは……。 |
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普通、人は概念だけでは死にません。でも、その概念が元になり、連鎖的に悪いことが重なる(ように妄想する)ことで、自殺にまで追い込まれるのだと思います。要は、大脳皮質でねつ造された概念が、下部脳にまで達し、以降の出来事を「悪いこと」に見せてしまうということ。つまり先入観ですね。でもそれも結局は大脳皮質の思いこみから始まったことを忘れてはいけません。
自殺しようと水に飛び込んだ人は、その落ちた水のなかで必死に手足をバタバタさせるそうです。大脳皮質の「自殺せざるを得ない」という概念が着水と同時に外れ、それ以外の体全体の「生きよう」とする意思が表に出てきた状態ですね。要は、その人のなかで自殺を志していたのは、大脳皮質の薄皮一枚のねつ造された概念だけだということ。 |
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――理屈では分かるのですが……。 |
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(笑)具体的にいうと、禅の世界では、ある単発の出来事には本来意味がないと考えます。たとえば、私がここで1万円を見つけます。ラッキーですよね。でも、それを取ろうと手を延ばしたときに頭をぶつけ入院したとすると、この1万円のせいで大変な災難を背負い込んだことになる。ところが、入院した病院で美人の看護婦さんと知り合い、結婚したとしたらどうでしょうか。あるいは結婚してみたらとんでもない女性で苦労の連続の人生になってしまう可能性だってある。要は、1万円を見つけたことは良いことなのか悪いことなのかという判断は少なくとも当分の間はできないということになります。もしかしたら死ぬまでできないかもしれない。
つまり、何か出来事が起こったときに、良いことか悪いことかの判断をしばらく保留する勇気を持つこと。それが大事なんです。 |
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――非常に難しいことですね。 |
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たとえば会社が倒産した。あるいは奥さんがガンに罹ってしまった。これだけでは意味は分からない。とことんまでそう思えるかどうかです。「いままでせっかく順風満帆に来たのに…」などと思ってしまうと、道で躓いたり雨が降ったりしただけで「どうしようもなくついてない」となります。そうなると、もう悪いことを探す目になっているから次々に悪いことが連鎖的に起こり八方ふさがりになる。落ち込んだり自殺にまで至る人たちは、そういう構造を自らつくり出しているんです。
けれどそんな世界は、大脳皮質の思いこみさえ排除してあげれば、あっというまに一変します。下部脳を活用し、現状を直観的に把握し味わうことができるようになれば、自殺にまで追い込まれることはまずあり得ません。 |
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――そのためにはどうすればよいのでしょう。 |
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瞑想(坐禅)の習慣をつければ変わると思いますよ。瞑想というのは、前述したように大脳皮質の機能を抑える行為ですからね。お寺の坐禅会に参加したり、あるいは家でやるのもいいでしょう。ちなみに九月に発刊した『実践!「元気禅」のすすめ』(宝島社)には、具体的な坐禅や瞑想の実践法が記してありますから参考にしてみてはいかがでしょうか。 |
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――さて、近年の日本の企業社会は、アメリカナイズされて効率一辺倒の様相を示しはじめています。これも我々の心を荒廃させる一因なのでは? |
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実力主義や成果主義とは、個別の企業にとってプラスになる人材を企業自身が量って優遇していくわけですよね。だとすれば、そのプラスを生み出すべくまず教育から手を付けるべきでしょう。「人は変わる」と考えることができれば実力主義という言葉はあまり意味を成さなくなる。企業側が教育を放棄した結果として実力主義を言い出したのではないかと勘ぐってしまいますね。少なくとも、日本の企業に、若者の向上心ややる気に応えていく「男気」のようなものがなくなりつつあるのは確かのような気がします。
それから、学校教育現場などでも盛んに言われている「個性重視」も、その文脈で説明できる芳しくない現象だと思います。 |
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――というのは? |
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仏教の教えでは、良い人も悪い人も存在しません。人はただ習慣的に思考し行動すると考えています。だから、基本的には状況さえ整えば誰でも人殺しもするし観音様のようにやさしくもなる。個性なんて認めていません。個性を認めることは、人は変わりようがないと言っていることと同じ。つまり、人を追い込む考え方なんですよ。 |
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――個性を認めてしまうから深刻に悩んだり、自殺にまで追い込まれてしまうということですか。 |
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ええ。自分ってそういう個性なのかなと思いこんでしまうんですね。でも、人はとことん変わるんだと思っていれば落ち込む必要はない。ちなみに個性を英訳するとパーソナリティですよね。パーソナリティとはペルソナ(仮面)が語源です。人は日常生活のなかで会社の仮面、家のなかの仮面、近所の人とおしゃべりする時の仮面、PTAでの仮面など、様々な個性を使い分けている。この仮面を禅的に表現すれば「役」ということになります。つまり、個性とは西洋的な「唯一の本当の自分」などとは無関係な「役」である……と考えた方がいい。そのような「方便」が生き方を楽にするのです。 |
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――唯一の自分、あるいは唯一正しいものが存在する、などという西洋的な宗教観や倫理観は、人の心への負荷も大きいと……。 |
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誤解を恐れずにいえば、自由や平等、あるいは権利や義務というものも、全部大脳皮質の妄想の産物なんです。たとえば現在のアメリカを見てください。ブッシュ大統領は自由や平等、正義を声高に叫んでいますが、よく目を凝らして観察してみると、自由を叫ぶために自由でない現実をほじくり返し、平等を叫ぶために平等でない人々を想定し、正義を叫ぶために邪悪なものを創り出してはいないでしょうか。これらはすべて大脳皮質に備わっている二項対立判断機能の産物です。 |
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――二項対立……ですか。 |
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脳の機能のなかには、複雑に入り組んだ世界を一対の概念に分解して理解する働きがあるんです。ある面では、この機能は人間が効率的に活動するために必要なものですが、場合によっては比較できない本質を隠してしまう妄想になる危険性が高い。 |
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――具体的には? |
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たとえばアメリカでは、黒人差別や女性差別が一段落したと思ったら、肥満の人とスモーカーを必要以上に非難するようになりましたよね。これは「正しい国民」を主張するために「正しくない国民」をねつ造する必要があるからだと考えることもできます。それからもちろんブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言もそう。正義を旗印にするには、その正義に刃向かう悪者がどうしても必要だった。そのようなねつ造された妄想で動けば、世界中が激しい憎しみや悲しみ、悩みなど、仏教でいういわゆる「煩悩」の巣窟になってしまうのはある意味で当然です。イラクをはじめ、いまの中東の情勢を見てください。大脳皮質に支配されまくってしまって、旧脳の機能がまったく生かされてない状態の典型だと思います。
禅的世界では、善も悪も存在しません。大脳皮質で生み出される妄想を徹底的にバカにしています。でも、だからといって言葉や論理がなければ社会生活は営めないのも事実。大事なのはバランスです。大脳皮質による妄想を取り去った無垢の自分を認識した上で、言葉や論理を使う。これができれば個人的にも生き方が楽になるし、ひいては世界も良い方向に転換していくと思いますけどね。 |
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(インタビュー・構成/本誌・高根文隆) |
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「経営戦略者」 2005年1月号
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