「消費は美徳」の社会の見直しを
  気持ちが込められていれば物は捨てられない

 ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさん(ケニア副環境相)が国際語にしようと呼び掛けるる「もったいない」。「もったい(勿体、物体)」とは本来あるべき姿のことで、「もったいない」はそれを失うことを惜しむ言葉だという。米国流の消費社会に浸っている今の日本人にその心が残っているのか疑問を呈する、三春町在住の僧侶で作家の玄侑宗久さんに話を聞いた。
【上田泰嗣】



もったいない運動が県内で始まりました。
 マータイさんが「もったいない」という言葉に感激し、紹介してくれて世界に発信しようというわけだが、本家の状態は大丈夫なのか。運動を充実させてからでないと、言葉だけではかえって恥ずかしい。「消費は美徳」という社会を見直さないと始まらない。
 製品のモデルチェンジが、モデルチェンジのためだけのモデルチェンジになっているでしょう。半年もすれば古くなる。モデルチェンジする労力こそがもったいない。


物を大切にする気持ちが失われた?
 物に気持ちが込められていれば捨てられない。仏像でも毎日拝まれるのと押入れに仕舞われているのでは人相が違う。物が発散する力は人から受け止めた力であり、物に愛情がしみ込み愛着になる。人形でも針でも、供養するのはそういう物だからです。


県は目指すべき循環型社会のベースに「自然」を置いています。
 自然は変わり続けるもので、定義するのは難しい。高度成長時代に大量の自然破壊があったが、それが必要な時期だったとも言える。そこまでやらないと分からない生き物が人間ということ。墓石や部屋を造るのに石や木がいるが、今は外国から切り出すなど犠牲を強いている。外国に対してもったいないことをしている。


核燃料サイクルはプルトニウムのリサイクルで意義があるという考え方もありますが。
 自然に出来ることのないプルトニウムは自然の「もったい」ではないのだから、「せっかく造ったのだから再利用しよう」というのは当てはまらない。


どんなものがもったいないですか。
 人間はもっと笑い、何でも愛する生き物なのに、社会が笑わないことや好き嫌いを教え、自己をねつ造させる。「自分」とは自然の分身で、変化するもの。自己という硬い殻を破らないと、もったいない。
 個性重視の教育と言われるが、求められている個性はパーソナリティー=ペルソナ、つまり仮面でしょう。看板として固定してしまえば社会生活を送るには便利だが、自然ではない。「人は変われる」のに、「かわらぬ個性」を教育するのはもったいない。


毎日新聞(福島版) 2005年4月30日号 身近な話題 地域のニュース

※毎日新聞データベース課転載承諾記事(2005年5月6日)