![]() |
||
| 今年、『千の風になって』が大ヒットしました。「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません(略)千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」という歌詞が、これほど多くの日本人の心をとらえたということは、私にとって少なからぬ驚きでした。四大分離して空に還るという仏教的な考え方からすれば、これはまさにその通りのことを歌っているわけですが、埋葬を含んだ葬送儀礼ぜんたいを考えるとそう単純に喜ぶわけにはいきません。この歌がヒットした背景には、長きに亘るお墓の「個性化・個別化」の歴史があるような気がしますね。 例えばいま大規模な霊園に行くと、個性豊かなお墓が並んでいて、人がその生きた証を永遠に後世に残そうとしているかのようです。また一方で、『千の風になって』のように死後に自由に世界を飛び回りたいと願う人たちのなかには、「自然葬」という名の「散骨」の信奉者も多いと私は睨んでいます。 新聞の投稿欄をみていても、お墓に関するものをよく見かけるようになりました。もともと高齢化の進行によるお墓需要の高まり、少子化や核家族化により無縁化するお墓が増大する懸念、遠隔地にある家のお墓の移転など、お墓に関する問題が多々浮かび上がってきていたところに、あの歌によって火がついた感があります。ただ私は、いま行なわれているお墓に関する議論には、肝心な視点が欠けているよに思うのです。 |
||
![]() |
||
| そこでます、日本におけるお墓の歴史を振り返ってみたいと思います。 日本における墓地跡は、縄文時代まで遡ることができます。しかし、巨大な古墳文化はあったものの、奈良・平安時代までの一般の人の墓地がどうなっていたのかははっきりしていません。民衆の墓地が確認できるのは鎌倉時代以降、いまに続く墓地の成立は室町時代後期から安土桃山時代にかけてになります。 これは地域共同体の成立と時期を等しくしています。当時の言葉でいう「惣」が成立したのと同時に墓地が成立したわけです。共同体の一員として墓地に入り、そのまま共同体を守る祖霊神に祀りあげられる。当時は遺体を埋葬したあと、土饅頭をつくってそのうえに卒塔婆をたてるか自然石をおくくらいのものでしょう。その人が生きた証は、一定期間が過ぎるとやがて朽ちていくものだったのです。死後五十年も経つと、その人を示す跡形はなくなっていました。 その後、江戸時代になると墓石がたてられるようになります。これは城造りの為に石組の技術が発達したことと関係があるようです。石の加工、運搬技術が著しく向上して、それをお墓にも生かそうということになったのでしょう。しかし江戸時代を通じて、共同体は一種の自治組織としてその結びつきを強固なものとしていたので、共同体の墓地という形態は変わっていません。 それが劇的にかわったのが明治時代です。明治政府は、西欧諸国を視察し、その文化を強引に日本に導入しました。墓地もドイツの公園墓地をモデルにしたことで、郊外におくものとされたのです。市街地に隣接する千坪未満の墓地は郊外に移転することになりました。 東京市では、市内に散在する墓地は特別な由緒のあるもの以外は、漸次郊外に移転することを命じられます。このため新たに郊外に墓地を造らなければならなくなり、最初の都営墓地である多麿霊園ができました。これは大正八年に都市計画法ができ、大正十二年に竣工しています。いまでこそ多摩といっても都会ですが、当時はほんとうに田舎で最初はまったく不人気でした。東郷平八郎元帥が多磨霊園に葬られて、やっと認知されたといってもいいでしょう。 この墓地のきわだった特徴は、西欧にならって外柵をつけ、区画を一つ一つ分けたことです。それまでの日本の共同体墓地には柵なんてありませんでした。それが「何々家の墓」というように家ごとに仕切られた。これを境に、共同体の共用の墓地が家のお墓に変化していきます。 さらにお墓の様相が変わったのは、高度成長期です。海外から安価な石がどんどん入ってくるようになったうえ、オイルショック以降、建築材料として確保してあった石が大量に余りました。そこで石屋がセールスを競うようになったのです。ここで出てきたのが「墓相」という考え方です。お墓なんて決まった形があるわけでもないのに、墓相という言葉で権威づけし、ほかにも燈籠や香炉や塔婆立てといった付属品もあたりまえのように売りました。相対的にお墓がやすくなったこともあって、みなこのマーケティングに自然に乗せられたんです。 もう一つ、この時代を象徴するものが水子地蔵や水子観音でしょうかね。石材業者が工夫していろいろ斡旋し、それまでは目立たなかった水子供養が全国的に広まっていきます。 こうしてお墓は、個性化、個別化の時代に入りました。しかし、私たちがいま現在あたりまえのものと思っているお墓のスタイルが、じつはたかだか明治以降に西欧の影響をうけつつどんどん変化したにすぎないということは、知っておいたほうがいいでしょう。 家の近所のお寺のお墓を調べてみればすぐにわかりますが、江戸時代以前のお墓なんてほとんど残っていません。権力者や有名人のお墓は別にして、庶民のお墓は年月が過ぎると跡形もなく消えてしまうものだったんです。それがしっかりした石の墓標と柵を持つようになり、お墓の寿命が飛躍的に延びました。 ところがここで大きな問題が持ち上がります。東京では多磨霊園、 ところが行政はこの問題にまじめに取り組んではきませんでした。 いまや都市部では、新たにお墓を購入するには大きな経済的負担を伴います。例えば東京郊外の公園墓地に一坪のお墓を新たに建てると、土地代(永代使用料)で九十〜三百万円、墓石が二百〜三百万円、さらに年間の管理費がかかるそうです。 そのような経済的負担に耐えられない人たちのために、いろいろ知恵を絞ったお墓が出現しています。もっともポピュラーなのは、マンション型とかロッカー型といわれるお墓です。このような形態のお墓が登場するきっかけは、じつは関東大震災の時に遡ります。震災後に都市を再建するにあたって、やはり墓地は郊外にということになったのですが、そうはしたくない人々がたくさんいました。そこで納骨堂という施設を思いついたのです。これなら場所は同じで土地はあまり使わないで済む。法律上は特殊納骨設備ということで墓地とは区別されているので、規制にもかからない。 理由はよくわからないのですが、その後北海道と九州、とくに福岡でこうした納骨堂が広まりました。最近、都心でも増えてきたせいで、注目を集めています。ビルを一棟まるごと墓地にしてしまうわけですから、ゼネコンなどいままで墓地と縁のなかった業界からも注目されているようです。 |
||
![]() |
||
| そして最近増えているのが「散骨(自然葬)」です。当初違法ではないかと言われていたのですが、墓地埋葬等に関する法律によると墓地は死体または焼骨を埋葬する施設としか書かれていないことに目をつけ、埋葬するわけではないから墓地でなくともいいという理屈がたてられた。一九九一年に「葬送の自由をすすめる会」が結成され、同年十月に相模灘で初めての散骨がなされたことに対し、法務省と厚生省が「違法ではない」という判断を下したことで一気に広まります。 いまや散骨は都会に暮らす人にとって、埋葬の一選択肢となるほどポピュラーなものになりました。格段に費用も安く残された人の負担も軽い、それにいかにも自由な雰囲気がして嬉しいのかもしれません。環境保護派のうけも悪くないようです。 しかし私は、端的に言ってこれは「死に際のワガママ」だと思っています。個性化の流れのなかで、埋葬法にまで自分の希望を押し通そうという気分が醸成されてきた結果ではないかと思います。「死に際のワガママ」くらいいいだろう、という風潮ですが、じつはずっとワガママにやってきたりしているんですから、死に際くらい「みんなの都合のいいように」と言えないものでしょうか。 これまでのような墓地を造り続けることが、すでに難しくなっているのは確かです。墓地を造るために貴重な山林を切り開くのは自然破壊に他なりません。海外から大量の墓石用の石材を輸入するのも、他国の自然破壊に繋がります。 私の暮らす福島県は、東京から車で三時間ほどなのですが、地の利をいかして東京に住む人たち向けに大々的に墓地を造成し売り出そうという計画の相談をうけたことがあります。私はすぐに反対しました。現在の墓地の形態のまま増えつづける需要に応じていたら、やがて間違いなく山がなくなってしまいます。 私は、東京の人は東京のなかで墓地をまかなうという考えに立ち返って、新しい墓地の形態を模索するべきだと思うし、安易に地方が墓地を供給することは、決して解決策にならないと思っています。 しかし、みんながお骨を海や山に撒いたら、それもまた大きな公害になります。最近は宇宙に遺骨を撒く「宇宙葬」まで現れました。これはもう明らかに当初の散骨の理念とはかけ離れた、身勝手な理由によるものだとしか思えません。登山家が山に遺骨を撒いて欲しいとか、船乗りが海に流して欲しいというのなら解りますが、外国の観光地にお骨を撒いて欲しいなどと、まったく必然性を感じない希望を言う人が増えているようです。それがかっこいいと思えるかもしれません。 日本人はお骨に強いこだわりを持っていますが、その意識も問題を複雑にしています。日本ではいまほとんどの遺体が火葬にされます。これによって魂は空に還ったわけで、残ったお骨は脱け殻ということになる。ですから本来は捨ててもかまわないし、実際上座部仏教圏の国々では、火葬したお骨を川や海や山に散骨しています。しかし日本人は中国伝来の儒教の「魂魄」思想に染まっていますから、「魂」が抜けても「魄」が骨に宿っていると考えます。儒教研究家の加地伸行氏は、日本人の埋葬は「火葬骨の土葬である」とおっしゃっていますが、なるほどと思いました。 火葬したお骨が土に還るという理屈は本来はありません。土に還るというのは、土葬した遺体が骨だけになることを言います。それでもお骨が土に還るという言葉を耳にするには理由があります。いま日本のお墓の大半は、墓石の下にカロウト(唐櫃)という納骨設備を持っています。しかしそのスペースは限られていて、何代も続くとカロウトに入りきれなくなります。そこで古い骨壷をあけて、なかのお骨を埋めなおす際に理屈が必要で、土葬用の言葉をむりやり転用したのです。そのぐらい日本人のお骨に対するこだわりは強い。 日本人が散骨しようとする場合、どうしても故人の大切なものが宿っているものを撒くということになります。撒いてしまった後、その大切なものはどこへ行ってしまうのか、うまく感情の折り合いをつけることができるのでしょうか。 結局、散骨では墓地不足の抜本的な解決策にはなりません。あくまで一部の人にとってはいい方法かもしれませんが、みんなで採れるようなやり方ではありません。これだけ墓地が不足している現状を打開するには、選択肢を増やすだけでなく、みんなにとってよい方法を考えなくてはなりません。 |
||
![]() |
||
| いま全国のお寺に、永代供養墓というのが出来ています。一定期間、遺骨の入った骨壷を安置して供養し、その後骨を埋めるという形式が一般的です。昔から無縁墓地や合祀墓は存在したんですが、永代供養墓は生前に本人がそこに入ることを希望するという点が従来型とは異なります。 少子化と核家族化がすすみ、自分の死後、お墓の面倒をみてくれる人がいないという人が増えています。永代供養墓はそうした人たちのニーズに応えることで急速にその数を増やしています。しかし、私はここにも生き過ぎた個性化の影響が見え隠れしていると思います。 まず永代供養墓の特徴として、そこに入る予定の人たちが生前から交流しあうということがあります。うちのお寺の場合、永代供養墓に入る予定の人たちは、檀家であるかないかは問いませんが、坐禅会などのお寺の行事に通ってきている人たちです。そうした場で交流することで、壊れた共同体に代わるものを模索しているのかもしれません。 家族があり家のお墓があるのに、永代供養墓に入りたいと言ってくる人がいます。子供がいない場合、仕方ない面もありますが、厳しい言い方をすると、なかには最小の共同体である家づくりに失敗してしまった、あるいは諦めたという方々もいるんですね。だから気の合った人たちと永代供養墓に入ろうとする。しかし家族とともに祀られることすら嫌だというのは、とても無責任な行為だと私は思います。 旦那さんとさえ別なお墓に入りたいというような声を聞くと、なんてさびしいんだろうと思います。気の合った人と一緒のお墓に入りたいといいますが、交わりが浅いから気の合ったままで済んでいるのです。 明治時代以降の日本のお墓の歴史は、お墓が共同体のものから家のもの、そして個人のものへと移り変わっていく過程だといえます。墓地の郊外移転が決められたとき、居住地と墓地が遠く離れてしまい、地域共同体の墓地という位置づけが崩れてしまった。西欧の公園墓地は街の中心部からそんなに離れているわけではありません。しかし日本の都市計画は、墓地を無視してつくられたのです。結果として、墓地の郊外移転は共同体解体の端緒になります。一方で個性化、個別化が進み、経済成長がそれを後押ししました。 個性的なお墓をつくる人たちは、死後も自分の個性が続くと信じているのでしょう。配偶者と一緒に祀られることを嫌がったりするのもそのせいです。あるいは自分が生きた証を永遠に残したいと考えているのです。だから葬られる場所や方法にとことんこだわる。お墓が個性化したといっても、みんなのお墓が個性化したらそれが普通になって、やがてみんな一緒に見えてきます。個性化の挙げ句、行き着いた先が「散骨」だと思えてなりません。 それに、私は個性というのがそんなに大切かと思ってしまうんです。 二年前、私は「葬送の自由をすすめる会」のシンポジウムに出席したのですが、そこで宗教学者の中沢新一さんの貴重なお話を聞くことができました。それが日本だったか外国だったかは忘れてしまったのですが、中沢さんによると、その村で亡くなった人は誰もが村の共同墓地に埋葬され、しかもその墓標はみんな鎌だと言うのです。鎌が地面に幾つも幾つも無数に突き立てられていて、そのあらかたは錆びているのだそうです。その光景を中沢さんは、とても美しいものを見たと話されました。 私はその話を折にふれて思い出すんですが、私のなかでもその光景はどんどん美しいものになっていきます。どんな成功者であろうと、どんなに落ちぶれようと、最後は同じ共同体に属する無名に近い一個人として、皆と同じように同じ形で葬られる、そのことに言い知れぬ美しさを感じるのです。 自分の住む共同体に皆と同じように葬られるという覚悟は、人間の根源的な部分を規定する大きな力になるのではないでしょうか。逆にそのような覚悟がないことが、共同体崩壊の原因の一つではないかと思います。 かつての地域の共同墓地に葬られた人たちは、自分が生きていたことを一定期間示したのち、その存在は溶けてなくなっていいとしていました。先祖が祖霊神という神になるというのはそういう発想です。それが明治以降、あくまでも永遠に「私」が残るという考えになった。 もちろん故人の地位や業績によって、埋葬方法に違いがあるのは洋の東西を問いません。キリスト教文化圏である西欧では、偉大な業績をあげた人物は教会の地下室や床下や壁の中に埋葬され、その名を刻まれます。しかし一般の人は棺に入れたり、あるいは布に包まれただけで、教会の近くの土地に埋葬されていました。かえって日本の墓地には、西欧ほどの格差がみられないという点で、先進的だったと言えるかもしれません。 お墓は未来永劫、末代まで残る必要があるのでしょうか。お墓のセールストークでは、あなたの生きた証を永遠に残すお墓をつくりましょうなどと言われますが、諸行は無常ですし、百年後の未来などどうなっているか誰にもわかりません。軽々しく永代なんて言葉を使っていますが、ほんとうに永代である保証などどこにもないのです。さらには百年どころか五十年も経てば、そのお墓の主を実際に知っている人などほとんどいなくなっているでしょう。五十年で「祀りあげ」というのはその為なんです。私はその時点で、お墓が朽ちてもいいと思っています。自分が生きた証が残っていてほしい時間は、そのくらいで充分でしょう。 いま世界で一番進んでいると言われているのは、ウィーンの中央墓地だそうです。私も実際に行っていろいろ聞いてまわったのですが、ここは今や十五年契約だそうです。十五年後に延長するかどうか訊かれますが、基本的にはその後は合葬されます。だいたい西欧の埋葬は土葬が多く、七年経っていれば同じ場所を掘ってまたそこに棺を埋めていいんだそうです。その際、前に葬られていた人の遺骨は集められて、小さな穴を掘って埋めます。こうして先に埋葬された人物から次々白骨化していき、基本的に未来永劫ずっと祀ろうという考え方はないんです。 |
||
![]() |
||
| 日本はそろそろ真剣に新しいお墓の在り方を議論しなければならない時に来ています。それは誰もが採用できる、共同体に根ざした埋葬方法でなければならないでしょう。お墓は地域共同体のなかにあって、その全体で守るものでした。いまは家が絶対視されていますが、無縁化するお墓がどんどん出てきているように、お墓を家単位で守るのはかなり難しい。すでに何軒かの親戚で守るお墓は登場していますが、なんらかの共同体でその全体を守るのであれば、その家が絶えても問題ないわけです。 いま地方にあるお墓を、都会の自分の家の近くに改葬するケースが増えていますが、公的手続きが必要で費用もかかります。共同体で面倒をみることにすれば、そんな必要もなくなるでしょう。 田舎に暮らしているせいでしょうか、いまが地域共同体を維持する瀬戸際だという思いがあります。この辺りでは人が亡くなったとき、またご近所で手伝いあってお葬式を出すことができます。ところが最近は、葬儀屋が一切合切やるので手伝いは要りませんというケースが増えています。私にはこれは、葬儀屋が共同体の破壊を進めているとしか思えません。なんでも商売にすればいいというものではない。葬儀屋に頼む側にも問題があります。その方が楽かもしれませんが、自分が死んだ時のことを思って、普段からご近所や親族との付き合いをもっと大切にすべきではないでしょうか。 ヨーロッパのお葬式をリサーチしてわかったんですが、節度があるんです。例えば埋葬のとき、墓地に深い穴を掘りそこに棺を下ろしますが、棺にかけた紐をもって穴に下ろすのは身内に限られるんです。そこには業者は手を出しません。それは宗教儀礼の一部として守るべきだと思うのです。ところが日本では出棺の時に平気で葬儀屋が棺を運びます。親戚や隣組のやっていた仕事を彼らが奪っている。お墓の問題だけでなく、葬送儀礼そのものが日本では揺れています。 お墓の問題は、地域共同体の問題と表裏一体です。共同体が機能して初めて墓地も機能する。崩れかけた共同体を何らかの形で再生しなければなりません。 もちろん共同体に生きることの煩わしさはあります。それで家のお墓、さらには個人のお墓という考え方が強くなったという面はあるでしょう。『千の風になって』はそうした個別化、個性化をさらに進めようとする人たちに大きな安心感を与えたと思います。 ただあれを認めてしまうと、最終的にはお墓なんてなくてもいいということになってしまいかねない。訳詩をされた新井満さんはお墓巡りがお好きで、お墓を否定されてはいないようですが、あの歌を支持する人達にはそうした気分があるように感じます。現に散骨をする人たちは、お墓はつくらないわけですから。 お墓は必要か、仏教の本質的な教義から見れば、お墓はどうしても必要なわけではありません。お墓のない仏教圏もあります。しかし人間は本質論で押し切れるほど、強い存在ではないですし、だいいち日本の埋葬文化は仏教というより複雑な混淆のうえに成立した習俗です。お墓参りという行為じたいが、精神衛生上、深い部分で日本人を安心させるのだと思っています。 例えば痴呆症のお年寄りにお墓参りをさせたり、精神科の治療にお墓参りをするという方法も、最近は採用さてれいます。つまり日本人は、お墓参りに行けば安心できるという発想が、頭の奥深くに染み込んでいるのではないでしょうか。 私はそれを「よすが」としての墓地と言っています。 お墓はたいへん複雑微妙な問題です。いつも過渡期であり、たえず変化し続けている問題でもあります。お墓なんかいらないという強固な信念を持つ人を説得する自信は私にもありません。ただ、私としては人間にとっての「よすが」の必要性と、共同体に生きた人間の最期の美しさは、自己アピールではなく、もっと無欲なものであるべきではないのかという話を申し上げたいだけです。 『千の風になって』のヒット以来、活発な議論がかわされているということは、共同体を切り捨てる方向で同意した人と、まだ共同体への未練があってそれを再建しようとする人がせめぎ合っているということだと思います。そのなかからなにか画期的な墓地のあり方が生まれ、新しい共同体の核になるものが編み出されるのではないかと願っています。 石屋さんももはや総合的にお墓について取り組む業者として再生する必要があるでしょうね。これからはなにもお墓が石とは限らない。墓標がたとえば金属製だって木製だって、あるいは生きた樹木だって、すべてに応じるお墓の専門業者に生まれ変わってほしいと思います。おそらくは今はそういう模索の時でしょう。むろんこういう過渡期には、お寺や霊園の対応も柔軟であってほしい。 基本的にこ問題は、行政が取り組む重要なテーマでもあるわけですが、むしろ民間にこのまま任せておいたほうがいろいろ自由な発想が出てくるような気がしますね。 こう言っちゃ申し訳ないですが、どうせ行政が考えることは、どこかの国でやっていることをそのまま直輸入する程度でしょうし、一旦決めるとそれを全国一律に強制しようとするんでしょうから。埋葬文化ほど地域性を重視すべき問題もないと思いますね。 ただ喫緊に考えてほしいのは、民間がペット霊園を運営するケースですね。最近、不景気だから「霊園はやめた」という方々が、ペットたちのお骨をそのままにそこにビルを建てたりしてますから、それは規制してほしいですね。あんまりな話です。 |
||
![]() |
||
| 「文藝春秋」 2007年12月号(文藝春秋) |
||