玄侑宗久さんに聞く
日々仕事に追われるビジネスパーソンに禅の言葉を贈るとしたら?
玄侑宗久【写真:尾苗 清】 
 禅の言葉というわけではありませんが、「色即是空(しきそくぜくう)」を自分の言葉として受け止めてはいかがでしょう。「色」とは簡単に言えば、五感によって把握した現象です。それに対して、物事の実相が「空」です。この実相や実体、現実といったものはありのままにとらえるのがとても難しい。それでは何かと困るので、人間は現実を何らかの型、つまり「色」にはめて解釈しようとするのです。
 仕事で言えば、これはマニュアル化でありモジュール化です。もちろん、マニュアルがあれば作業の効率は上がるでしょう。しかし、マニュアルや過去の経験だけに頼るとナマの現実が見えなくなる。仕事では常に新しい現実と出合うはずなのに、これでは、新しい発想も生まれなければ、何の感慨も持てないでしょう。ある程度の経験を積んだ後は、使うべきところではマニュアルや経験を上手に使いながらも、時にはそれらをいったん棚上げし、現実そのものに向き合うことを覚えるべきです。
モジュール化もよくない、と。
 私の仕事はこれ、あなたの仕事はこれという意識が行き過ぎているように感じます。仕事は全体として存在するのであって、細分化した個々の作業の単なる集合体ではないでしょう。あなたの仕事が隣の人の仕事にも影響を与える、そうした関係性の中で仕事をしているのですから。
 自己責任なんていう言葉が流行ったのもよくないですね。仕事を細分化して責任の所在を明らかにすることでどんな得があるかと言えば、優劣をつけやすい、競争させやすいということです。ところが、ここに矛盾が生じる。本来仕事はトータルなものなのに、細分化した作業の中で優劣をつけるわけだから、評価はおのずと限界をはらんでいるのです。

 
その限界だらけの評価がビジネスパーソンの悩みの原因になっています。
 しょせん他人による評価に過ぎないのにね。人間というのは自分を高く見てしまうものです。
 手の人さし指と中指を立てて、人さし指が垂直になるように手を傾けてみてください。実際は中指の方が高いのに、人さし指の方が高く見えますよね。その人さし指が「私」です。私から見て隣の中指が「あの人」。あの人の方が低いでしょ。次に、中指が垂直になるように手を傾けると、今度は中指の方がはるかに高くなるはずです。つまり、あの人の視点からではあなたの方が下に見える。評価なんてそんなものです。
他人の評価とは関係なく、自分で自分を評価できないという悩みもあります。
 「自己実現」なんて考えなければいいのです。実現すべき自己があらかじめあると思うから辛くなる。仏教の世界は、いわゆるアイデンティティーというものを認めません。あらゆる現象は無限の関係性の中で絶えず変化しながら発生する出来事で、「我も空」であり固定的な実体などない。そう思えば肩の力が抜けて楽になりませんか。
あらゆるものに固定的な実体がないとはなかなか考え難いです。
 脳がそういうふうにできているのでしょうね。昔の人は、光は粒子からできていると考えました。熱の正体も「熱素」という粒子だと考えた。しかし、今では光は波であり、熱は無数の原子の運動だということを知っています。量子論は物資のミクロの様態を粒子であり波であるとしています。音も誰もが知っているように波ですね。そこに固定的な実体はありません。
 波や運動というのは時間の経過の中でのみ存在するわけですよね。ある一点における運動や波というのはあり得ない。一方で、時間というものの実体があるのかどうか怪しい。アインシュタインは「客観的な時間の流れというものはない」と言っています。時間は人類が時計を作った時に生まれた共同幻想かもしれない。こうした見方は、大脳皮質にはなかなか受け容れ難いのですが、「色即是空」であり「空即是色」だとする世界観とはとても相性がいい。 
私たちは仕事をとても堅固な実体だと考えるから辛くなるのかもしれませんね。
玄侑宗久/写真:尾苗 清
 営業で外回りをしている人が、道端に苦しそうにしゃがみ込んでいるおばあさんを見かけた。商談の時間が迫っているから仕方がない、見て見ぬふりをして先を急ごうというなら、これは現実を無視したことになります。そのおばあさんは親切にしてくれたことを感謝して、いいお客さんになってくれるかもしれない。そうでないとしても、目の前の現実と以前立てた計画のどちらが大切でしょうか。
 「自分はこうなりたい。だから、今日は、明日は、明後日はこれをしなくてはならない」とすべてを決めつけて生きていると、目の前にある現実からどんどん遠ざかってしまいかねません。それは本当に生きていることでしょうか。
 先の流れを見通すくらいはしてもいいとして、完璧な計画を立てて、それに沿って生きるという生き方は、どこか本末転倒な気がします。突発的な事態が起きても、それをありのまま受け容れて、予定なんて柔軟に変える。行き当たりばったりが一番ですよ。

 
今という瞬間をマニュアルによってではなく、主体的に生きるには何を心がければいいでしょう。
 いわゆる「色」という先入観を棄てて、もっと古い脳が感じる「命のささやき」に耳を澄ませることです。
大脳皮質に頼ることに慣れたビジネスパーソンにはそれが一番難しい。
 呪文を唱えてみるといいですよ。言語脳を休ませるんです。私たち僧侶は、たいてい2時間以上はお経を唱え続けられます。暗記したものを再生する時、大脳皮質が休んでもっと深い脳が活性化するようです。その時、何か意味を考え出したりすると、すぐお経を間違えます。
 数分でもいいので、何か呪文を唱えてみてください。意味はない言葉の方が好ましい。自作のものでも構いません。「般若心経」の中にも、サンスクリットからあえて漢文に訳さず、音だけを再現している呪文が3つあります。「般若波羅蜜多(はんにやはらみつた)」「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ぎやていぎやていはらぎやていはらそうぎやていぼじそわか)」の部分です。
 もともとインドには音自体が力を持つという考え方が古くからあります。この部分を声に出してみてください。心が落ち着き、頭が冴え、現実をありのままに受け容れられるようになると思いますよ。ただし、オフィスの中で大声でやると危ない人と思われますから、そこは気をつけて。
「日経ビジネスアソシエ」3/18号
「日経ビジネスアソシエ(Associe)」2008年3月18日号(日経BP社)
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