うゐの奥山 その八拾

 マレーシアでの「同期」

 先日、年に一度だけの休暇旅行でマレーシアに行ってきた。震災後しばらくは海外に興味が向かず、たいてい国内の離島や温泉が多かったのだが、なせか急に行ってみたくなったのである。
 べつに、マハディール氏が九十二歳で首相に返り咲いたせいでもないし、国王がロシア人の美女と駆け落ち同然の結婚をしたからでもない。しかしそうでないとは言いながら、やはり欧米的な新自由主義や消費税を否定するマハディール氏には興味があったし、恋愛のために国王の座を棒に振ったスルタン(王侯)にも心が動いた。たわいもないころで権力が入れ替わることじたい、きっと日本のように閉塞感に満ちた状況にいると魅力的なのだろう。実際、行ってみてそう思った。
 マレーシアは多民族の住む多宗教共存の国である。一番の興味はそのことだった。イスラム教が国教だが、ヒンドゥー教や仏教。道教・キリスト教徒もいて、古代からのアニミズム的信仰も生きている。
 たまたま乗ったタクシー運転手レジュン氏は熱心なヒンドゥー教徒。とても親切で、しかも料金を値引きしてくれた。親しくなって遂には電話で呼ぶようになり、たしか三回目のとき、驚いたことに娘のダルシャーニャを助手席に乗せてきた。日曜で学校が休みだし、一緒に行ってもいいかと訊かれたのである。
 いいかもなにも、すでに乗っているのだし、「YES、of course」と答えるしかないではないか。十四歳の彼女は英語が話せないため、ただ微笑み、時に父親と話し、スマホで勝手にいろいろやっていたけれど、その日はセランゴール川まで蛍を見にいく予定だったため、人数は多いほうが楽しい。あとでレジェン氏に訊いたところでは、蛍見物の予定だったので行ったことのない娘を誘ったらしい。
 車中には、家族から電話もかかってくる。日本なら仕事中だからと早々に切るか、普通は出ないだろう。ところがレジェン氏は、出るだけでなく、運転に支障がないようなスピーカーで話すのである。
 マレー語は理解できないが、なんとなく雰囲気は伝わる。どうやら長女からの電話らしく、母親の伝言なども伝えるようだが、レジェン氏は次第に声を荒げていく。あとで英語で聞いた話では、どうもレジェン氏はタクシー会社かた車を買い取って個人タクシーになったらしく、その際に友達から借金をした。そのことが妻の気に入らず、以来お金もことばかり言うようになったそうだ。
 助手席で涙ぐむダルシーニャに、父親の左手が伸び、その頬をさする。「お金で幸せは買えない」。そういう主旨のことを、レジェン氏は何度か語ったが、娘はたぶん理由に関係なく両親の喧嘩じたいが悲しかったのだろう。
 まずは鷲が集まる流域でたくさんの鷲を見物し、それから夕食を摂って一緒に蛍見物に出かけた。夕闇にマングローブの影が連なり、やがてそこに一秒程度の早さで同期しながら無数の蛍の光が明滅しはじめた。多宗教、多民族の乗った船が何艘も、静かに川面を移動し、光の点滅に見入った。生物学上の「同期」はここの蛍によって発見されたこともあり、以前から来てみたい場所だった。
 しかし驚くべき同期はそこからの帰り道、たまたま寄ったヒンドゥー寺院で起こった。レジェン氏に言われるまま、雪駄と足袋を脱いで寺院内に入り、彼がするままにさまざまな石像の足に手を触れ、その手を自分の頭や胸に当てて礼拝する。そのうちレジェン氏とダルシーニャが大理石の床で五体投地を始め、我々夫婦も思わず同期したように床に平伏していた。
 ムスリムとの接触も多い旅だったが、いずれにしてもこの国では人と人の距離がとても近い。蛍だけでなく、異宗教の異国人どうしも同期できるような気がした。   


                               東京新聞  2019年3月31日