うゐの奥山 その八拾四

 走馬燈


 むかし修行道場にいた頃、だから三十年以上前だが、地上七メートルほどの木の枝から落ちたことがある。いや、枝からというより、枝ごとと言ったほうが正確だろう。栗の木の枝下ろしを近所から頼まれ、雨が降っているのに大勢で出向いたのだが、その年に入った新到(新人の雲水)が私の立っている枝を、一所懸命切っていたのである。
 むろん悪意があってのことではない(と思う)。新到は何をしていても四方から注目され、時に怒声を浴びる。びくびくしているから視野狭窄に近い状況になるのだろう。ただ、私がここで言いたいのは枝を切った雲水のことではなく、枝ごと落ちたときの不思議な体験のことだ。
 おそらく傍目には、私が大勢を崩して地面に堕ちるまで、せいぜい二、三秒程度だろう。しかし当の私のなかでは全く別な時間が流れた。
 あとになって、あれが走馬燈というものかと思ったのだが、黒い縁のあるフィルムのようなものが、上から下へ次々に無数に流れ、私はその一つ一つに感情を揺すぶられるように見入っていた。正確なことは記憶にないが、そこに現れて消えた場面は、みな記憶に残っているような画像だった。おそらく数十枚はあったと思えるのだが、それが見え続けているあいだは地面に堕ちなかったのである。
 もしかすると、死ぬ前に見えるという走馬燈のスイッチが、勝手に入ってしまったのだろうか。結局頭からではなく、右手の小指から堕ちたため、今でもその指は真っ直ぐ伸びないが命に別条はなかった。そして私はこの不思議な体験を、しばしば思い返すのである。
 最近の脳研究の進歩で、一時記憶を司る海馬の仕組みがずいぶん解明されてきた。新しいことが記憶されると、歯状回という不思議な形の部分に新たな細胞ができるらしい。そしてそのとき、快感ホルモンというβーエンドルフィンの分泌が伴えば、一時記憶は永続的な記憶に変換されるのだそうだ。もしかしたら走馬燈とは、そんな永続化した記憶の台帳のようなものだろうか。
 そんなことを考えたのは、じつはこの「うゐの奥山」の連載が今回で終了になる、それでこれまでの掲載紙面が忘れがたい川口さんのイラスト付きで甦ったからである。二〇一二年四月の掲載が最初だったから、もう七年半ちかくになる。最初は生活面、やがてこころ面に移れば延長できると、規定を大幅に超えて書かせていただいた。読者の皆さんにもよくもこんなに長くおつきあいいただいたものだと思う。
 始まった時期が東日本大震災から約一年後だから、何を書いても震災後の風景や放射能の影が漂っていたかもしれない。「平成の大改修」と呼ぶお寺の普請も始まり、本堂の改修が終わってまもなく先住職だった父が亡くなった。その後はまた庫裡の改修工事が始まったから、人生これほど多繁な時期もなかったのではないか。多繁であったがゆえに話題も多彩になった気がする。
 「うゐの奥山」とは「いろは歌」に於ける人生の喩えだから、何を書いてもおかしくない、それが当初の思惑だった。振り返るとそれは、個々の記事は鮮烈なのに脈絡が妙に希薄だと感じる。ただすべて私の人生の一部というだけで辛うじて繋がっているかに思える。因果の見えないその連なりは、他人にはたぶん「浅い夢」としか思えないだろうし、本人も時が経つとそう感じるのかもしれない。
 思えば毎回欠かさず素晴らしい絵を描いてくださった川口さんも、この間に三度も引っ越し、お母さんにもなった。幼い女の子を寝かしつけ、夜中に机に向かった日々も、今では夢のようだろうか。
 ともあれこの七年半の時間で、幾つもの体験が走馬燈台帳に追加されたのは間違いない。死なずにまた見ることはできないだろうか。


                               東京新聞  2019年9月28日