うゐの奥山 その六拾

 おおブレネリ


 先日、スイス在住の日本人音楽家たちのコンサートを開いた。主催は私が理事長を務める「たまきはる福島基金」で、スイス大使館や内閣府などの後援もいただいた。
 アルト歌手の沓沢ひとみさん、ピアノの岩井美子さん、ギターの西下晃太郎さんを中心に、福島市の橘高校の管弦楽部が演奏に加わり、さらに地元の小中学生たちも合唱に参加してくれた。沓沢さんと大学時代の同級生であった深瀬先生が橘高校管弦楽部の指導をしているご縁で、このような盛大な音楽会が実現したのである。
 「ふくしま復興支援コンサート~スイス国と共に」と銘打っての催しであったが、思えば震災後、基金にはスイスからのご寄付が多い。どういうわけかと考えてみると、どうやら震災後のテレビ報道のせいらしい。私のところにやってきたテレビ局は、記憶を探るとフランス、ドイツ、スイス、中国。スイスの公用語にフランス語とドイツ語があるため、じつは独仏で作られた番組もスイスで放映されている。つまり自国の番組と合わせ、福島の様子を最も頻繁に視たのがスイス人の人々だったのである。
 ところで、スイスと日本のつながりはじつはもっと前まで遡る。終戦後の一九四九年(昭和二十四)年、スイス民謡を元に作られた「おおブレネリ」は誰しも聞いたことがあるのではないだろうか。これは大阪YMCAの主事だった松田稔氏が訳詞したらしいが、人々を鼓舞し、励ますようなメロディーと違い、その詩は意味深長である。
 「おおブレネリ、あなたのおうちはどこ?」「私のおうちはスイッツランドよ、きれいな湖水の畔なのよ」と始まるが、一番で家の所在を訊いたあと、二番では「あなたの仕事はなに?」と尋ねる。これまた「わたしの仕事は羊飼いよ」と答えるが、「狼出るので怖いのよ」。
 当時の人々にとって、狼とは闇市などに横行する犯罪者のイメージだろうか。この年、日本人で初めて湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞するが、松川事件などのミステリアスな事件も多く、世相はまだまだ不安定だった。また家や仕事のない人々を、この歌は「ヤーッホーホートラララ」と明るく励ましたかったのではないだろうか。
 この歌を今の福島県で聴くと、つい「スイッツランド」を「双葉郡」と置き換えたくなる。家はどこ? 双葉郡よ、きれいな海の畔だった。歌は更にブレネリつまりフレニーちゃんに「あなたの心はどこ?」と訊く。「私の心は山の彼方。なつかし故郷の双葉郡よ」。まだ家に戻れない八万人ちかい人々は、きっとそう答えるだろう。
 じつはその後、この歌詞をあまりあてどないと思ったのか、東大の音感合唱研究会が、追加訳詞している。「おおブレネリ、私の腕をごらん、明るいスイス(双葉郡)を、自由を求めて立ち上がる、逞しいみんなの足取りよ、ヤッホー~」
 今の双葉郡あるいは福島県の人々にとって、狼とはいったい何なのか。原発なのか、それとも教室の電灯を消し、「放射能浴びてるのに光らないね」という無理解な教師なのか……。おそらく両方なのだろう。そうだとすれば、「狼必ず追い払う」のはそう簡単ではない。
 しかし今回のコンサートの素晴らしさは、スイスの人々に励まされるだけでなく、自由を求めて立ち上がり、逞しい足取りと見事な腕を子供や若者たち自身が見せてくれたことだろう。私の中では、歌われなかったこの曲が終始どこかで鳴り響いていたのである。


 東京新聞 2017年3月26日