うゐの奥山 その五拾九

土と建物のおもしろい関係

 

 先日、庫裏の建築をめぐって今年初めての工程会議が開かれた。毎月たいてい一度は設計士の前田伸治先生(「暮らし十職」主宰)がお出でくださるのだが、この日も遠く伊勢から駆けつけてくださった。
 いつも工程会議を進行する加藤工匠の手塚監督をはじめ、電気屋さん、水道屋さん、基礎屋さんなど、今回は庫裏の地盤に関わる面々が集まった。現在、庫裏は「あげ家」さんによって地上二メートル以上持ち上げられており、その状態で基礎づくりをするのだが、その際ちょっと変わった工夫をしようと今日の会議になったのである。
 五分ほど遅れてきた矢野さん(「杜の園芸」)に皆の目線が集中する。今日の会議では土壌の専門家である矢野さんの考え方を皆に納得してもらいたい、それが私と女房の願いであった。
 簡単に言ってしまえば矢野さんは、土地を生き物として捉え、その呼吸をさまざまな方法で促す。通常の庭や神社仏閣の境内であれば、水脈に沿った深い溝を掘り、底に炭や竹、土や枯れ木、落葉などを被せる。自然界に似せ、踏まれても閉じきらない強靭な通気通水ルートを確保するのである。
 以前、墓地の桜を甦らせる話としてご紹介したと思うが、今回は建物の基礎への応用。いずれ地球規模で弱っている土の話である。
 土木建築業界の常識から言えば、土を掘って砕石を敷き、その上に鉄筋を組んで厚いコンクリートを打つのが「ベタ基礎」。堅く頑丈にとは思っても、その下の土のことまでは考えない。パイルを打つ場合も、堅く頑丈な度合いを増やすだけで、基本的には土は無視である。
 しかし矢野さんは、土が呼吸できなければその地盤はやげて死ぬと言う。うちの庫裏の場合は近くに池があるから、水は通さず空気は通すのが望ましい。また水は澱まないよう周囲に通路を作っておきたい。水が澱まず空気が通れば好気性の細菌が増え、土が活性化して荷重耐性も増すというのだ。
 おそらく土木建築業界の常識のなかには、こうした土への視点はまだ皆無に等しいだろう。果たしてこの考え方が彼らに納得してもらえるものかどうか、私たち夫婦はハラハラしながら矢野さんの説明をひとしきり見守っていたのである。
 しかし案ずるより産むが易し、まず設計の前田先生が「面白いなぁそれ、じつに面白い」と言ってくださり、未経験だけどやってみようという雰囲気になった。「面白がる」空気はすぎさま伝播し、一番の冒険に挑む基礎屋さんも納得し、砕石の下に炭を敷き、コンクリート数平方メートル当たり一カ所づつパイプ(径八十ミリ)を通すことも諒承してくれたのである。「これ、皆が納得して進めるんだから絶対うまくいきますよ」と、前田先生は明るく宣言してくださった。
 会議のあと、矢野さんは皆を庫裏の下に案内し、スコップを持って昔ながらの地面の表土を剥いでみせた。石場建てだった庫裏のくすんだ地面の下から、一削り明るい色合いの土が顔を出した。さらにスコップを立てると、あまりの土の軟らかさに皆が驚いたのである。
 「土俵と一緒で、これは水は通さず空気は通す、理想の土ですよ」
 矢野さんの言葉にまた前田先生が「おっもしろいなぁ」と声をあげた。このとき私は日本建築の明るい未来を予見したのだが如何だろう。
 ようやく庫裏の前庭部分まで改良が済んだばかりの地面に、明日八トン車が入る。些か早すぎる試練ではあるが、私は生き返りつつある土の力を信じたい。


 東京新聞 2017年2月19日