村上マンダラの深化

 
 自噴する修行僧のように制作を続けてきた村上隆氏が、今度は五百羅漢図を描いた。しかも見晴るかすことさえ難しい幅百メートルの大幅、高さ三メートルある代物である。 戦後日本のアニメやオタク文化を入り口に、江戸期から伝統絵画史などを柔軟に串刺しにしながら、怒りさえ感じる強い形で独自の日本を表現してきた村上氏だが、今回なにゆえ五百羅漢図に至ったのか……。
 ご本人は「3.11のとき、宗教と芸術の関係が立ち上がるさま、宗教的文脈の芸術が世の中で必要とされる状況を、目の当たりにした」(朝日新聞、二〇一五1/7)、また「宗教が立ち上がる瞬間を見た」(読売新聞、二〇一四、12/18)とも語っているが、ここでは宗教に関わる者の立場から、勝手な考察をしてみたいと思う。
 作品に向き合い、まず思うのは、全体を見るためにはとにかく近づいたり遠ざかったりしながら、相当な時間彷徨(さまよ)わなくてはならないということである。初めは青龍(春)、朱雀(夏)、白虎(秋)、玄武(冬)と名づけられたゆったりした四季の流れなどを想定するのだが、すぐにここにある時間がそれとは全く異質なことに気づく。それは意識が薄れ、無意識の深みを覗いたときのような、凝縮されて折り畳まれた時間、言い換えれば「流れない時間」なのだ。
 時間が流れはじめるその縁に、大小の羅漢たちが無数に佇んでいる。なるほど羅漢とは阿羅漢とも言われ、仏教的解脱や涅槃を体験した人々である。涅槃や解脱を簡単に説明するのは難しいが、あえて簡単に申し上げれば、あらゆる「物語」を離れた人々とも言える。
 人は五感によって外界に接するが、その感受さえ「渇愛」に染まり、必ずやある種の「物語」に沿って解釈している。我々が感受する「世界」や「現実」(と感じているもの)は、いわば「私の都合」によって歪められた虚構なのである。
 阿羅漢たちは、戒律によってエネルギーを絞り込み、禅定という希有な精神集中を通して、ふいにすべての物語を離れ、流れのない時間を覚知する。それが「世間」という物語世界からの「解脱」であり、「涅槃」なのだ。無常で有為な縁起する世界に対し、この状態は「無為」とも「出世間」とも呼ばれる。
 深い禅定によって、なにゆえこのような飛躍が起こるのかを、論理的に説明するのは難しい。それはもしかしたら村上氏がスタッフに求める「にじりによる圧力」の果ての解放とも似ているだろうか。阿羅漢とは、とにかくそうした神秘的な飛躍によって渇愛を完全に滅尽し、「苦」から解放された存在なのである。
 『ウダーナ(自説経)』という経典には、ブッダ自身による涅槃の説明が次のようになされる。「比丘たちよ、生ぜず、成らず、形成されず、条件づけられていないものが存在する」。さまざまな条件づけを行なうのが我々の分別や好き嫌いなどの感情だが、そこでは渇愛が滅尽し、いわば煩悩という熱源がなくなっているから、あらゆる縁起が生成消滅をやめてしまうのだ。
 阿羅漢たちが感じているのは、ただ「存在することの楽しみ」だけである。物語を離れた自己は、すでに「私」のモノでさえなく、いわば公共物とでも言うべき存在でる。彼らは涅槃にいるかぎり、何かを憎み嫌うことも、逆に愛おしむという執着からも離れた存在なのである。
 五百羅漢が歴史上最初に登場したのは、仏滅後に行なわれた第一回仏典結集のときだったとされる。ブッダの教えを受け、「戒・定・慧」を修習して解脱を体験した人々が、それほど大勢いたのである。ブッダと同じ覚醒を体験しながら、阿羅漢たちは何が違っていたのか、というと、彼らは基本的に自らの悟りの内容を人に説くことをしなかったのである。
 ブッダも当初は、説こうとは考えなかった。経典には「世の流れに逆らうもの」だから、理解されないだろうし、理解されなければ、話しても疲れて悩むだけだろう、と書かれている。しかし「梵天勧請」といわれる出来事が起こり、梵天の強い勧めで、語れば理解する者もいると考えてブッダは説きはじめたのである。カタールで村上氏が大仏の如き自画像を据えたのはあるいはその意味か……。
 それでも語るか語らないか、この違いは些細なようだがじつは非常に大きい。しかも仏教という枠組みの中では、悟後にどのように振る舞うかは各自の自由である。舎利弗や目連などのようにブッダに代わって弟子を指導する人々もむろんいたが、サンガに積極的には参加せず、ただ園林などで独り禅定に浸り、「存在することを楽しみ」つつ過ごす仏弟子たちも大勢いたということだろう。五百羅漢が後者、一方の十六羅漢は長く現世に留まり、ブッダと同じく仏法を護り広めようと誓った仏弟子たちである。
 ずいぶん羅漢に拘ってしまったが、今回の村上作品の羅漢さまたちを眺めていると、私にはどうしても今述べたような「語らない覚醒者たち」と見えて仕方がない。じつは五百羅漢だけでなく、十六人のほうも似たような存在に見えるのだ。「苦」を脱し、「遊戯」の境地を知る彼らは、東日本大震災という巨大な災害を目の当たりにして、やはり語るべきか語らざるべきか、解脱直後のブッダのように揺れているのではないか。
 本来的に物語のない世界を知った彼らだが、そうした無為なる世界は常に彼らの背後にある。ラメで輝くのも物語ではない。そして語らない五百人の阿羅漢たちはあくまで世間を我々を見つめ、仮の物語を共に生きようとしてくれる。時にはそれは「救済」に見えたりもするけれど、彼らの内面ではあくまでもそれは「楽しい遊び」である。その冷徹さと自適ぶりが心地いい。
 ところでこの作品の制作には、カイカイキキのベテランスタッフのほかに、大量の美大生アルバイターたちが協力している。のべ人数は二百人以上だというから半端じゃない。もとより村上氏は、運慶快慶たちのような工房も目指していたわけだし、それじたいは不思議じゃない。しかし今回の作品に即してその態勢を考えてみると、私にはどうしても作品じたいが招き寄せた規模と方法に思えるのだ。
 十六羅漢や五百羅漢は、皆が一斉に現れてくることに大きな意味がある。五百人の名前を詳しく見ると、別な時代の人が紛れ込んだりもしているのだが、少なくとも「五百羅漢」という表象のもつ意味は、彼らが一斉に現れ、「人天の災患を除く力」を発揮することだ(『仁王般若経』など)。道元禅師の体験した羅漢応現のような、単独の出現もむろんありえるけれど、数が頻度を保証するのは間違いない。
 ならばそれは、全員が現れる瞬間のぞくぞくするような高揚感を伴って描かれなくてはなるまい。もしかすると作者は、全体を知らない個々の描き手の驚きと歓喜の総和として、それを味わおうとするのではないか。
 砂マンダラというチベット僧やネパール僧による宗教行為を私は憶いだす。マンダラといえば、大抵は描かれたり織られたりした結果としての絵図を想うだろうが、マンダラの本意は仏の本質。解脱涅槃の境地のこの世への流出そのものなのだ。
 数人の僧侶が円い円盤を囲み、読経にのせて色とりどりの砂を金属棒の先などから落とし、共同で絵柄を描いていく。その集中の継続は、間違いなく彼らを深い禅定へと運ぶ。それは悟後の「遊戯」の如く無心に行なわれ、しかもできあがるとほどなく形跡なく壊すのである。出来上った図柄に「悟り」が読み取れるのではなく、制作中の僧侶たちの内実にこそ、それはある。あるいは村上氏も、そうしたプロセスを想い描いたのではないか。
 こうした生成の現場こそ、じつはバーワナー(bhavavaがbhu(生ずる)の派生語であることからも判るように、涅槃から反転した無心は活発に躍動し、じつに生産的である。ダークマターの生産性にも、それは似ている。また一瞬たりとも停滞しない生成の現場こそ、禅の「一円相」なのである。
 私は村上隆氏の作品群にピタリと来る形容詞を探していて、ふとその困難に気づいた。およそ、反対語のある言葉が思い浮かぶと、必ずその反対語のほうも彼に相応しいのだ。
 たとえば大胆、かつ繊細。饒舌、かつ沈黙。荒涼、かつ肥沃。わび、かつ伊達・娑婆羅。隠微、かつポップ。具象的、かつ抽象的。粋、かつ通……。数え上げればキリがないが、要するに村上氏は単独の形容詞では表現できず、まるでルース・ベネディクトが『菊と刀』で描いた日本そのもののように、じつは「両行」に満ちているのである。ベネディクト女史は、それを「両行」とは見抜けず、「矛盾」だと言った。しかしこの「両行」こそ日本人の生産性の原点であり、無心の直観を生みだす土壌である。相反するベクトルの価値観を共に抱え込み、着地点は状況を見ながら直観で決める。むろん、村上氏に於いては、計画性と直観も、両行しているはずである。
 羅漢が表われて修行者を「助縁」する、という信仰が、曹洞宗を中心とした禅門には強い。五百羅漢もその延長である。直接的な援助ではなく、「助縁」という関わり方がいい。いわば示唆である。
 私は今回、本来的で日本的に深化した村上マンダラの出現に立ち会い、その圧倒的な禅定力と生産性に触れた喜びを噛みしめる。そして助縁や示唆は表しつつも、安易に手は出さない羅漢たちの佇みよう、その存在することの楽しみように、深く深く励まされるのである。
 アートのもつ救済性には、村上氏もすでに『芸術闘争論』で触れている。しかし本当の救済とは、この羅漢たちのように物語の仮想性を知り尽くし、それでも「遊戯」として困難な現実に関わるとき、初めて叶うのではないか。村上氏の今回の制作は、その意味でも応仁の乱の最中の蓮如上人による御文(おふみ)御文章(ごぶんしよう))の執筆を思わせる。絶望と希望とを双つながら描く作家だけが、人々に微かだが確実な救済をもたらしてくれる)