踊りだした人々

 福島県の住民には遥かな沖縄が、とても近く感じられることがある。基地問題と原発の問題が、やはりどこか似ているのだろうか?
 現政権は積極的に原発稼働を構想し、そのプランの中には間違いなく福島第二原発も含まれている。東京で使う電力のうち、福島第一.第二原発から供給されていた電力は三割を超え、さらに柏崎刈羽原発からの分を加えて五割を賄っていた。福島第一の廃炉が決まり、柏崎刈羽の再稼働を難しい、となれば、せめて第二原発だけは動かしたいと思うのだろう。国は東京オリンピックを控えているのだから尚更である。
 福島県民は八割以上がこれに反対し(新聞アンケート)、また県議会も全会一致で両原発の廃炉要望を決議した(二〇一三)。内掘知事も今年、あらためて第二原発の「廃炉」を主張したが、国は事業主である東電と共に何も答えない。お互い、決定するのは向こうだと言わんばかりのとぼけた振りなのである。
 辺野古の海の埋め立てをめぐる確執はもっと激しい。この四月一日にも作家の目取真俊さんがカヌーに乗ってキャンプ・シュワブ水域内に入り、拘束された。新基地のための辺野古埋め立てをめぐる代執行訴訟では、国が福岡高裁那覇支部の示した暫定和解案を受け容れたが、これで解決したわけではなく、協議によって今後解決する見込みも立っていない。
 つい憶いだしてしまうのは二〇〇〇年に施行された改正自治法である。そこには、「国と地方の関係は上下関係ではなく対等である」と謳われているが、はたしてそんなことがあり得るのかと思う。有事の機動力のための序列はある。なにより有事を念頭に特定秘密保護法も集団的自衛権も決めた今の内閣である。まさか電力や基地についてこんな法律に従うはずはあるまい。
 両県とも、問題は袋小路に入って動かないかに見える。しかしその間にも利害の違いでさまざまな分断が促され、私が関わる両原発の廃炉を求める運動でも、背後が必ずしも一枚岩でないことは肌身で感じる。沖縄にも石垣市長を中心とした「チーム沖縄」が結成され、「オール沖縄」とは違った現実路線も動きだした。じつに錯綜し、外部からも内部同士でも違った意見を冷静に交換できる雰囲気ではなさそうである。少なくとも福島県の場合、自主避難をめぐって県外に出た家族と残った家族の会話も成り立たない。
 こうした分断が深まったとき、沖縄の人々はどうするのだろうか?
 沖縄には講演や「ユタ買い」などの取材も含め、何度も足を運んでいるが、憶いだすのは最初に「ユタ買い」をしたとき。仲介してくださったT氏と行った飲み屋での光景である。
 対面で泡盛を飲み、私はT氏となにか議論していたのだが、ふいにT氏が立ち上がり、サンシンと太鼓、鉦に合わせてエイサーを踊りだしたのである。その後も何度か踊る人々を飲み屋で見かけ、これが沖縄の一つの大団円なのだと思った。
 じつはそのエイサーが、福島県いわき市の「じゃんがら念仏踊り」に由来するらしい。それを知ったときの驚きは勿論だが、嬉しかったのもよく覚えている。エイサーの起源については諸説あるようだが、有力な説として福島県から江戸時代初期にやってきた袋中上人が念仏の布教と共に広めたと言われる。福島県では八月盆にしか見られないが、沖縄に来ればたぶん毎晩どこかで踊られているのではないだろうか。それにしても話が袋小路から袋中上人に進むあたり、自分でも感心する。
 念仏踊りを実質的に創始したのは、空也の影響を受けた一遍上人である。幼時に母を失って出家し、一度は還俗したが、そのとき故郷の伊予で見たものは同族による所領争いだった。再び出家して全国を遊行した一遍は四十歳の頃、信州を遊行していて急に踊りはじめたのである。現実への絶望が浄土への熱い期待となる。踊るからだはあらゆる現実や利害を離れ、踊りながら浄土に入ってゆく。
 同じような袋小路のせいだろう。福島県内に住む避難者の間に、最近「ひょっとこ踊り」を踊る一行が出現した。今年は帰還困難区域も含む富岡町の夜ノ森公園の桜並木で、高齢者ばかり十人以上が「必帰」と胴に書かれたダルマを掲げて踊った。その後も彼らはあちこちで頼まれて踊り、仮設住宅や借り上げ住宅に住みながら踊りの輪を広げている。
 ひょっとこの上半分だけの面を被り、やはり彼らも「踊るしかない」のだろう。金と政治が忘れられるだけで、そこは浄土だ。
 


 2016年6月24日 琉球新報