神への畏敬失うな

 
 この国の神話には「大穴牟遅神(おおなむちのかみ)」と呼ばれる噴火口の神が登場する。
 「おおあなむち」とは「大穴持ち」で、恐ろしい噴火口そのものである。「火山列島の思想」を書いた益田勝実氏は、噴火口の神など日本にしかいないとおっしゃるが、このところその言葉が深く実感される。
 大穴牟遅神は、古代まず阿蘇山に現れ、その後伯耆(ほうき)の国の大山に移った。どちらでも山容が激変するほどの大噴火を起こし、当然ながら大地震も頻発させている。昔は地震のことを「那為」と呼んだが、それは「那」(あの方)が「為」さることと思われたせいだろう。むろん「あの方」とは大穴牟遅神である。
 神がなさることであれば、人間によるコントロールなど不可能である。そう思うからこそ、古代人は神として崇めたのだろう。鴨長明の「方丈記」にも、あらゆる災害のなかで最も「恐るべかりける」は地震(ない)だと書いてある。
 しかし現在のこの国は、神を崇め、地震を恐れるどころかナメているとしか思えない。「新たな耐震基準だから、これなら大丈夫」「原発を再稼働しても問題ない」などと自信ありげに言っているが、これこそ神を恐れぬ所業ではないか。
 いったい今回の熊本地震を、誰が間近な危機として予測していただろうか。しかも余震の具合も、東日本大震災の時とずいぶん違う。津波というも一つの脅威のせいはあったにしても、今回のように無数の車がひしめく避難所の光景は、東北では見られなかった。
 神は移動する先々で別な仕事をなさるから、そのたびに新たな対応が求められるのは当然のことなのである。
 阿蘇から大山に移動した神は。その後出雲に渡って大国主神と改名し、国作りを始める。つまり噴火や地震への心構えを踏まえた国作りということだろう。
 あるいはそのことを積極的に前提にした文化、とも言えるかもしれない。おそらく「あはれ」や「無常」や「面影」など、日本文化独特の心得も後日そこから生みだされてのではないか。
 思えば日本の木造建築は、石場建てや柱の組み方など、耐震構造を極めたと言っても過言ではあるまい。五重塔はすべて無事だった。今や韓国に一基、中国にも一基しか木造では存在しないのだから、あれは「あの方」への果敢な挑戦なのである。
 身の縮むような神への挑戦は、宮澤賢治の「グスコーブドリの伝記」にも出てくる。噴火による冷害を防ぐため、ブドリは勇敢にも火山に挑み、命を落とす。
 ブドリに続く若者が次々に現れる希望を抱きつつ死んでいくのだが、そこには神への畏敬を失わない祈りがある。五重塔も含め、決してみくびれない自然をまっすぐに見据えた人間の気高い意思が感じられるのである。
 熊本地震で被災した人々や、あまりに激しい余震に怯える人々の一日も安い安寧を祈る一方で、私は今のこの国の、神をナメた在り方を問わずにはいられない。この「火山列島」でのリニア新幹線や原発は、果敢な挑戦ではなく暴挙というものだろう。
 もう一度考え直すべきではないか。そしてそこに生きる我々の住まいについても、地震の少ない国の制度の援用ではなく、日本の伝統を踏まえてもう一度基準から考え直してみてはどうだろう。


 共同通信社より地方紙に配信 2016年5月3日