無垢なる笑顔

 『伊勢物語』のなかに、在原業平が客を招くのに花を活けた話がでてくる。
「なさけある人にて、かめに花をさせり。その花のなかにあやしき藤の花ありけり。花のしなひ、三尺六寸ばかりなむありける」と描かれている。
 藤の花で三尺六寸というと信じられないほど長いが、川端康成氏はこの話をノーベル文学賞の受賞記念講演『美しい日本の私』のなかで紹介し、この花に平安文化の象徴を感じると述べている。「女性的に優雅、垂れて咲いて、そよ風にもゆらぐ風情は、なよやか、つつましやか、やわらかで、(中略)もののあわれに通う」という。
 私としては、これをそのまましだれ桜、ひいては滝桜への讃辞としてお借りしたい。本当は、猛々しいほど旺盛な夏の姿や、ひたすら静かに待つ冬の姿もいいのだが、人生に一度というなら花の時期をお勧めするしかあるまい。
 毎年豊かな花の時期を迎えるため、地域の人々は堆肥を作って滝桜の周囲に施している。戦国時代には三春町を築いた田村義秋顕公がこの桜を好み、地域の人々に禄を与えて世話させたというが、その頃から続く習慣なのだろうか。いずれにせよこの木は、それより遥か古く、まさしく平安時代から生き続けているのである。
 平安文化とは、馬の文化に移るまえの牛の文化、つまり平和や和合を最も重んじ、効率などで争うこともなかった人々の文化である。今や労働やその効率ばかりが問題にされ、紛争も国際化している時代だが、そんな今だからこそかつて日本に確実にあった文化のシンボル、「あやしき花」の美しさに触れてみては如何だろうか。川端氏の言う「なよやか、つつましやか、やわらか」さは、それだけで今や天然記念物とも言えるほど稀少ではないか……。
 平安末期に後白河法皇によって編まれた『梁塵秘抄』には、人生について「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん」と詠われている。花見に訪れたその時だけでも、この花の妖しい美しさに心遊ばせ、戯れていただきたい。
 地域の人々もおそらくその開花の瞬間にそれまでの苦労を忘れ、歓びに包まれる。千年を超える木も、花咲けば完爾たる子供の笑顔。この木は毎春、先祖伝来の無垢なる笑顔を伝えつづける。


 「旅の手帖」2016年4月号