「風流」   
   すでに十一世紀には白雲守端(はくうんしゆたん)禅師が禅語として用い、「風流ならざる処もまた風流(不風流処也風流)」と言った。どんなに無様な事態に陥っても、やがて揺らいで重心を取り直し、「ゆらぎ」そのものを風流と愛でる、そんな覚悟に満ちた境地であろう。
 自然災害の多い環境ゆえか、この国には人間についても「風貌」「風格」など、「風」を用いた言葉が多い。マニフェストやマニュアルでは通用しない「今」を生き抜くために、我々はもう一度「風流」の心を取り戻すべきではないか。動揺も感動も、風流。震災以後、
一入(ひとしお)身にしみる言葉である。 

 
     
「大法輪」2015年2月号