禅宗では修行者の指導に当たる人々を「老師」と呼ぶ。なかには二十代、三十代からそう呼ばれる人もいるが、とにかく免許皆伝になれば、皆「老師」である。
 なにゆえここに「老」という文字を使うのか、考えてみよう。
 仏教は人生上の苦しみを、「生・老・病・死」と分類した。生まれること、老いること、病むこと、死ぬことである。
 一方、人だけでないあらゆる物の発生から死滅までの変化は、「(じよう)(じゆう)()(くう)」と表現される。発生、継続、喪失、そして空っぽ、ということになるだろうか。
 ところで「老」とは、後者の区分では「住」に当たり、生き続けている状態のことである。生き続けていると、いろんなことが起こるわけだが、「老」は単独では意識しにくい。昔から、老人の年齢規定は、五十五歳、六十歳、六十五歳と恣意的に変更されてきた。つまり年齢そのもので「老」は定義できず、大抵は、「病」や「死」を垣間見ることでついでのように「老」が意識される。ある種の喪失体験として「老」は認識される、と考えたほうがいいだろう。

目はかすむ耳に蝉鳴く歯は落ちる雪を戴く老の暮哉

 ずいぶんひどい歌だが、事実だから仕方がない。
 要するに人は、若い頃に獲得してきたものを「老」と共にどんどん喪失していく。それは逃れようのない「自然」である。
 話を最初の疑問に戻そう。禅の道場で、指導者を「老師」と呼ぶ所以である。
 禅の道場では、いったいどんな修行をしているのか、「老師」という呼称はそのことに大きく関わってくる。簡単に言ってしまえば、雲水と呼ばれる修行者たちがしているのは、あらゆるものを喪失する体験である。新聞テレビなどの情報から遮断され、それまで築いてきた人間関係も、入門と共に暫定的に失われる。むろん、本やCD、衣類や好きな品々などからも、離れなくてはならない。
 話す、書く、見るなど、普段は欲求とさえ呼ばなかった行動まで制限され、入門後しばらくは笑うことさえ許されない。まるでそこには人権という考え方も無きが如く、徹底的に奪い尽くされるのである。
 たとえば禅問答に何度行っても「鈴を振られ」、否定される体験は、もしかしたら最近の「就活」以上に酷いかもしれない。ただ社会システムとして多数の「就活」入社を斡旋し、大量の失格者を出すのとは違い、そこには明確な思想と、「老師」のまなざしがある。つまり、雲水たちがどれほど喪失したかを、「老師」はじっと見据えている。そして通常は「老」衰によって失うべきものを、雲水たちは修行によって無理矢理に奪われるのである。
 本来、元気でまだまだ獲得すべき年齢の彼らは、時ならぬ喪失に戸惑いながらも、やがて新たな世界観に開眼する。不完全に見えるものへの愛情、自然への深い認識、あるいは「わび」「さび」なども、喪失を悲しみ反転したあげくの美学だろう。そのような新たな価値観の体得者こそ「老師」なのである。「老」を先取りした人、とも言える。
 老「衰」という考え方はそこでは消え失せ、老「練」、老「熟」などと認識し直されている。思い込みで埋まっていた部分が「老」によって抜け落ちて余白になり、その余白こそがじつは無限の対応力の源であったことにも気づいていく。老荘思想で「虚」と呼ばれる余白が仏教の説く「空」にも重なり、それこそが当初から具わっている「仏性」なのだと気づくのである。
 日本文化は、老「成」し、老「熟」してこそ完成するものと、前提されている。「不均衡」や「枯淡」が褒め言葉になり、究極は「枯れてきましたね」などと讃美されたりする。
 世阿弥の言う「真の花」もそうだし、芭蕉の「よく見ればなずな花咲く垣根かな」などもそうだが、晩年になっても人は出番を減らしながら見事な花を咲かすことができる。「よく見れば」咲いている、という密やかな咲き方こそじつは麗しいのである。
 しかしなぜよく見たのか、と考えると、おそらくそこには何らかの喪失体験がある。喪失による余白あればこそ、人は再び無心で見聞きすることが可能になるのだろう。
 人間国宝の染色作家である志村ふくみさんは、藍が健全に保たれた場合のみ、最後に「甕覗(かめのぞき)」と呼ばれるあるかなきかの淡い水色に染まると言う。「枯淡」をSimple Elegance と訳したイギリス人がいたらしいが、それこそ喪失してこそ得られる究極の美ではないだろうか。
 藍のように、健全に生きつづけていけば、「老」の美は自然に宿る。いや、日本人にとっての美とは、おそらく自然に従う感覚と共に自覚されるのである。大切なのは、たぶん喪失による余白に「美」を見いだす感性である。
 喪失に抗(あらが)おうとする努力は、時に諦念の欠如として、醜く見える。震災で全てを奪われたあとに昇る朝日をそれでも「綺麗!」と見る人は、すでに立派な「老師」ではないだろうか。

  

 
     
「弘道 」No.1091(日本弘道会発行)