其の五  
     
   このところ何件か、改葬の法要が続いた。改葬、つまりうちの墓地に埋葬されていたお骨を、どこか別な場所に移動するための法要である。「転座供養」とも呼ぶ。
 カロート式の納骨堂に納められたお骨なら取り出すのも簡単だが、場合によっては土中に骨壺が埋まっていたり、なかには土葬で葬られたケースもある。掘り起こす石屋さんも大変である。
 今日の改葬では、七十代半ばと思える石屋さんがやってきた。午前中、汗みずくになって掘り起こし、骨壺一つを掘り当てたのだが、「あと何人分欲しいんでしょうねぇ」と私に訊きにきた。
 「さぁ」と正直に首をひねり、居並ぶ墓石を憶いだした。「一応、全部改葬っていうことなんですけどね。出ませんか?」「ないね。ずいぶん掘ったし、土の中を刺して探ってみたけど、当たらないよ」
 骨壺がないとなれば、おそらく土葬なのだろう。その場合は一間(約一メートル八〇センチ)ほど掘ってあるはずで、もう骨として形が残っていない可能性が高い。石屋の親父さんの余力も推測し、私は「じゃあ土しかないですね」と提案した。すぐに「そうしよう」ということになり、親父さんは出てきた骨壺と同じ大きさの壺に土を入れたのである。
 しかし午後からやってきた施主は、その墓地に最後に埋まった人の娘さんだった。娘さんといってもすでに八十歳。同道してきたのは四十代とおぼしきその娘さんだった。
 自らは他家に嫁ぎながら、これまで生家の先祖の墓だけは守ってきた。しかしさすがに夫の埋まった嫁ぎ先の墓地と両方を守っていくのは辛くなったということだろう。自分がまだしっかりしているうちに両家の先祖を合葬する算段で今回の改葬になったのである。
 「あら、これじゃ持てないわ」
 これが八十歳の施主の、お経を終えたあとの最初の言葉だった。なるほど、四十代の娘さんが一つだけ抱えて新幹線に乗るのがやっとだろう。思案の結果、分骨用の小さな骨壺に土は入れ直し、ようやく持ち帰り可能になった。
 それにしても、と私は思う。日本人のお骨へのこだわり方は面白い。これだけこだわるのに、土でもかまわない。あの土に何人分の先祖を入れ込んだことになるのか、そんな細かいことも気にしないのだろう。
 母娘は本尊さまに深々とお辞儀をし、「ご先祖さまたちが長々お世話になりました」と言ってお骨を抱えて出ていった。思わず私も、長逗留していた下宿人の就職を祝うような気分で、晴れやかに二人を見送ったのである。
 ああ、人は生者のみにて生きるにあらず……。ご先祖さま、これからもお元気で!


 
東京新聞 2012年8月4日/中日新聞 2012年8月18日【生活面】 
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