すべてが遅々として進まず、このまま進んでいいかもわからない。政府はいったいどれだけの法律を作れば動き出すのか――。  
     
   このところ、福島県の地方紙は、全国誌とは全く違うニュースが一面トップを飾り続けている。新聞社のデスクは間違いなく意識しているだろうが、要するに、全国的なトップニュースとはあまりにもかけはなれた現実が、福島県内を覆っているのである。
 たとえば六月二十日付は、全国的には数日前の三党合意、つまり消費税増税をめぐる民主、自民、公明三党の合意の更なる修正案了承が大きなニュースだった。むろん、その頃から小沢一郎氏の造反が取り沙汰されている。
 正直なところ、それ以後の政治家たちは、我が身の去就や党の存亡などで、頭が一杯だったことだろう。
 しかし同じ日の福島民報一面トップは、「避難者就農進まず」という見出しで、県内農業復活の難しさを伝えている。県は今年度から農業への新規算入、また避難者を雇用する企業・団体などの初期投資に一部補助する事業を始めたが、とにかく申請が三件しかなく、採用も数人しかいないというのである。
 七月一日付では野田佳彦首相があくまでも増税撤回はしないと明言し、二日にも造反する小沢一派への処分案を示すと、鼻息荒く語る姿が報じられた。
 しかし福島民報のトップ記事は「中間貯蔵施設」の問題。そして福島第一原発4号機の冷却装置がまた止まったというニュースである。
 政府の工程表によれば、汚染土壌やがれきを保管する中間貯蔵施設の建設に向け、七月からは施設の構造や規模、工事費などの概略を算定するための基本設計にとりかかる予定だった。しかし現実には立地場所についての協議も一向に進まず、地元の同意が得られないため地質調査なども全く進んでいない。見出しは「基本設計など立たず」で、ああ、やっぱり、と思うだけである。「政府の努力不足」と県内各首長たちは批判するが、政府はそれどころではなかったのだと、誰でも知っている。
 七月七日付になると、上野動物園のパンダの赤ちゃんの元気な姿が報じられた。むろん福島県民だって喜んで見守っている。しかしトップニュースはもちろん違う。中間貯蔵施設が決まらないのだから当然のことだが、県内48市町村で「除染土仮置き場」の設置が進まない。そのニュースが一面トップなのである。
 政府は来年度(二〇一三年度)中には除染を完了する予定だったが、それは到底無理だろう。多くの市町村が、中間貯蔵施設が決まらないことによる仮置きの長期化を懸念し、環境悪化などを心配するため、仮置き場が一向に決まらない。ちなみに、双葉町、南相馬市、富岡町、葛尾町、飯舘村、田村市などばかりでなく、中通りや会津地方の市町村の多くも正式に仮置き場が決定したところは殆どない。除染土の多くは「とりあえず現場保管」するしかない状況なのである。
 福島県民にとってはこれほど暗いニュースが、パンダの授乳の写真の横に載っている。紙面をめくると、政治家たちは相変わらず国会解散の時期を巡って争っている。小沢氏は小沢氏で、新党結成準備に明け暮れていた頃である。
 七月八日にはさらに暗いニュースがトップを飾る。期待されていた「ふくしま産業復興企業立地補助金」について、政府が総額を半分に圧縮することを県に要求してきたのである。
 これは先の就農支援とは違って応募が予想以上に多く、二百九十九件の申請があった。百六十七件が採択され、百二十三件が保留、九件が不採択である。総予算は千七百億円だったわけだが、保留企業への補助金をそのまま予定通り出すことになれば、第一期だけで千七十億円の不足になる。
 風評被害の吹き荒れる福島県に、企業がわざわざ進出するには余程「破格」の優遇策が必要だろう。これはそう思って経産省が県と話し合いながら創設した制度である。それなのに、なんという一方的な話か。福島県民がそう思ったとしても無理はあるまい。
 しかもその日(八日)の一面に並んだ記事は「尖閣国有化の方針」という記事だ。福島県民とすれば、むろん詳しい財務のことなど知る由もないが、「ああ、そっちに使うのね」と思ったとしても不思議ではない。
 野田首相は十日の参院予算委員会でも補助率を下げる方針を変えず、枝野幸男経産相などは「(補助率がさがっても進出を)やめる企業が続出するとは考えていない」と答弁した。しかし実際にはその後複数の県外企業が次々に申請を断念すると県に伝えている。
「福島の再生なくして日本の再生はない」と明言したのは、たしか昨年九月二日のこと。しかし忙しい首相には、遠い昔のことなのかもしれない。「(国が)率先して除染します」という力強い宣言も、我々福島県民には昨日のことのように憶いだされる。ところが日々の報道は、明らかにそんなことはあり得ないと語りかける。「総理は問題山積で忙しいし、国は、それどころじゃないのよ」「民主党の危機なんだし、仕方ないんですよ」。蒸し暑いのに、乾いた笑いしか出てこない日々なのである。

 ああ、そういえば、そんな忙しい総理が七月七日、福島県に就任後4度目の訪問をしているのでご報告しておかなければなるまい。
 佐藤雄平知事、いわき市の渡辺敬夫市長、大熊町の渡辺利綱町長との会談のほか、野田総理はいわき市の仮設住宅や小名浜の魚市場、またフラガールのステージも見学し、さらに川内村の小学校などを訪ねている。
 大人どうし、いや、政治家どうしの話はここではもう問うまい。風評被害払拭に全力を尽くすとか、賠償にスピード感をもって取り組むなどと聞かされても、最早「あ、そう」としか反応できない。
 しかし川内小学校での小中学生、保護者との懇談については、そうはいかない。聞き流せないのである。
 総理大臣が自分たちの学校に来ることになれば、彼らはどれだけ事前の掃除に励んだことだろう。まだ川内中二年生の井出菜々子さんは、首相の訪問を知って母娘と一緒に手紙を書いた。井出さん母娘は一時は栃木県に避難していたものの、今年四月、遠藤雄幸村長の「戻れる人から戻ろう」の呼びかけに応じて戻ってきた。十八人いた同級生は四人に減った。そんな彼女が思いを込めて書いた手紙を、野田総理の前で読み上げたのである。
「村といわきを結び、通学や買い物で使う国道三九九号線を直してください。五年、十年先では困ります」
 彼女の手紙のなかにはそんな文面が含まれていた。おそらく彼女は、いわき市へ通じる道の狭さのことを言っているのだろう。原発から20キロ圏内の元警戒区域をかするようにして南下する国道三九九号線は、一部二車線の部分はあるものの殆どが一車線か一・五車線。「一・五車線」とは所々にあるすれ違いのためのスペースである。一部は家の軒下を通るなど異様なほど狭く、バスはむろんのこと、大型車は通行できない。きっと親たちの意見も加わっていたのだろう。
 これに対し、総理は答えた。
「いわき(の高校)に進学する子が多い現状がある。よく検討する」
 そして井出菜々子さんは「総理は目を見て話を聞いてくれた。願いをかなえてくれると思う」と感激しているのである。
 どうか多感な彼女のまっすぐな思いを裏切らないでいただきたい。総理には、「よく検討する」という言葉の本来の意味どおり、是非とも真剣に検討し、実行に移してほしいものだ。
 ところで原発事故で避難した人々の町村のなかで、一部の住民が戻って暮らしはじめたのはこの川内村と広野町だけである。川内村は今年四月一日から役場や学校を再開し、広野町は役場だけを先行させて三月一日から帰還、学校は二学期から再開する。
 では他の双葉郡の市町村はどうなのだろう?
 大熊町で町民を対象に五月から六月にかけて実施したアンケートでは、「町に戻らない」との回答が四割に上った。昨年6月のアンケートでは一割弱だったのに、である。また浪江町での同様なアンケートでは「戻らない」27.8%、「分からない」25.9%である。しかも帰町まで待てる時間はと訊くと、18.2%が「一~二年」、16,8%が「三~四年」と答え、「五~十年」待てる人は5.2%、「いつまでも待つ」人は4.4%だった。つまり、このまま五年以上経てば、戻る人々は自然に一割未満になってしまう。しかも五年以上待つと答えた人の多くが高齢者だから、その比率は更に下がるだろう。
 こうした住民の意向を受けて、それぞれの町村は除染や帰還の計画を立てるというのだが、いったいどうすることが最善なのだろう? 実際、市町村長たちも頭を悩ませている。なにより賠償の問題が、除染に大きく絡んでくる。つまり賠償が「きちんと」なされないなら、除染も拒否するという人々が大勢いるのだ。「きちんと」というのは、たまたま降った放射性物質の濃度で賠償額を区別せず、避難後の生活条件が同じ人々には同じように、という意味だ。
 以前の警戒区域や計画的避難区域、緊急時避難準備区域などが、新たな三区分になった。即ち帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除区域だが、この新たな区分が住民の更なる分断にならないようにと、首長たちは願うのである。これについて、例えば飯舘村の菅野典雄村長は、「できる場所から復興を進めることができる」と意欲的に受けとめるが、双葉町に井戸川克隆町長は、町内全域を帰還困難区域にしてほしいと要望している。悲しみと怒りのグラデーションの、塩梅は確かに町村ごとに異なるのだろう。「きちんと」した賠償も、当然の要求かもしれない。しかしそれだけでは町の復興などありえない。七月も後半になり、楢葉町や富岡町、大熊町など、新たな区分を受け容れる町村が増えたのも、最終的な区域設定はは首長が諒承する必要があると、明記されたからだ。

 それにしても、今後の福島の困難は多くとも、するべきことは分かっていると皆が思っていた。除染、継続的健康管理、産業復興、雇用づくり、賠償、風評被害の払拭、そして「仮の町」の設定などだろうか。しかしここに至り、多くの人々が無力感を禁じ得ない状況になりつつある。とにかく何もかも遅々として進まないし、本当にこのまま進んでいいのかどうかも、分からなくなってきたのである。
 進まない最大の理由は、政治家の忙しさもあるかもしれないが、何より平時のまま煩雑な手続きのせいではないだろうか。
 七月十三日、政府は「福島復興再生基本方針」を閣議決定した。しかし福島県民にすれば、「なに? 今ごろ基本方針の決定?」というのが正直な感想だと思う。いったいどれだけ話し合い、どれだけ法律を作ったら動きだすつもりなのか……。震災によって失業し、雇用保険からの給付を二度にわたって延長してもらった人が、県内には五千人以上いる。そして九割は呆然としたまま求職活動もしていないのである。ちなみに大熊町では無職率が震災前からほぼ倍に増え、56.8%である。明らかに福島の今は非常時なのだが、政府や行政機関の進め方は平時のやり方のままだ。特別な政治の力が働いているとは思えないのである。
 除染が進まず、雇用はなく、そうした絶望的な境遇のなかでも、除染のために全国から集まった人々を空いてる仮設住宅に住まわせることはできないという。厚労省と国交省は、仮設住宅の定義から外れるから許可をしないのである。しかも「震災関連死」認定は増え続けている。復興庁の七月十二日の発表によれば、それまで認定されたのは、被災地全体で合計一六三二人。そのうち五二九人分の死因を分析した結果、「避難所生活などでの肉体・精神的疲労」が47.1%と最も多く、次いで「避難所への移動中の肉体・精神的疲労」が37.1%だった。むろんこれは主に仮設住宅に入居する前の出来事だが、いわば仮設住宅暮らしのストレスも甘く見ることはできない。「仮設住宅でだけは死にたくない」と思いながら自殺する人もいる。誰もがそうは思うものの、自宅に戻ることのできた人はまだ殆どいないのである。
 借り上げ住宅では多少広いが、通常の老人夫妻二人暮らしの場合、仮設住宅は四畳半二間になる。一間は完全に寝室として二つのベッドに占領され、もう一間のほうにもテレビも冷蔵庫も電子レンジも何もかも置かれることになる。三春町の仮設住宅に何度かお邪魔してお茶を呼ばれたが、いつ行っても引っ越し中の一服としか思えない。死ぬ場所ではないのは当然にしても、生きる場所とは思えない。「なにも変わらない。ただ時間だけが過ぎていく」と、元富岡町のそのお婆ちゃんは電子レンジに凭れて呟いた。

 さて、民間の幾つかの目立った動きをご報告しておきたい。
 七月になってから、田村郡小野町の畜産農家が牛肉を食べてくださいと持参してくださった。通常、畜産農家が牛肉を直接扱うことなどありえない。しかし話を聞くと、震災以前は一頭百万円以上で、売れていた肥育牛が酷いときは三十万円ほどに買いたたかれるらしい。A-5というのが牛肉では最高ランクで、キロ単価二千円以上で売れていた福島牛だが、底値からようやく千三百円程度まで戻ったというのが現状である。放射線測定はむろんきっちり行なっている。しかし線量などに関係なく、とにかく福島県産と名が付けば同じらしい。そこで畜産仲間が集まり、自分たちで販売のための組織を立ち上げたようなのである。
 こうして既存の販売網や組織に頼らない在り方が、各分野で出始めている。
 たとえば川内村の「福幸米」もその一つだろう。原発からの距離が近く、そのため昨年は作付けを禁じられたものの、試験圃場で収穫された米からセシウムは全く検査されなかった。ところが川内村の名前は原発事故後あまりにも有名になってしまい、その米さえ一般的な販路では売りにくい。有機農法で作った旨い米という自信もあるから、「福幸米」と名づけ、独自の販路形成を目指し始めているのだ。
 除染についても、国の指示するやり方に逆らう人々が出始めている。たとえば表土の削り取りは、最終的に運び込む場所がないという問題もあるが、それより何より長年かけて作ってきた土の放棄に等しい。土作りこそ農業だと励んできた人々には、「天地返し」だって抵抗があるのである。民間では、微生物を使った除染なども実験的に進められているが、そんなとき、愛媛大学農学部の逸見彰男教授(環境産業応用化学)のグループが、改良型ゼオライトに放射性物質を吸着させ、それを耕耘機に搭載した磁石で回収する方法を開発した。伊達市と南相馬市の約六十アールの土地で七月から効果の検証が始まったところである。
 問題は、こうした技術革新による新たな方法を、農林水産省が正式な除染方法の一つとして認めるかどうかだろう。認めなければ予算がつかず、これとて牛肉販売網のようにゲリラ的なものになりかねない。つくづく、復興庁の地位が各省より下であることが恨めしい。非常時なのに平時体制なのが、なにより大きな復興の障害なのである。
 今年の米は、福島県だけでなく、十七都県の約四万箇所で検査するという。検査地点を倍以上に増やし、福島県ではむろん全戸検査が基本になる。大変素晴らしいことではあるが、果たしてそれで風評被害はなくなるだろうか。疑念が拭いきれない。
 つまり、福島県産の野菜や米を避ける人々は、すでに何ベクレルなら食べるとか、NDだから食べるという、そういう判断はしていないのではないかと思えるのである。
 私の住む三春町では、田園生活館という場所に地元の農家が野菜などを出荷している。元副町長の深谷茂氏はそこの社長として、チームを組んでときおり県外まで野菜を売りに出かけるのだが、いつも無数の人々の善意に助けられ、殆どの物品は売り切って戻るものの、苦い体験も微かに混じる。ある大都市で販売したときも、買っていったお婆さんの家族が、わざわざ「食べませんから」と言って返しに来たというのである。そのショックは、むしろじわじわ後で効いてきた。つまりその体験以後、買って行った人々がじつは本当に食べているとは限らないのではないか、という思いもかけなかった疑念を抱くようになってしまったのである。
 数のうえではむろん「善意」のほうが圧倒的に多い。しかし僅かなその「思想信条」と呼べそうな突出した態度は、大勢から受けた熱を一気に冷ますのに充分だったのである。
 首都圏ではTOKIOの五人が揃って福島産の桃を宣伝してくれているが、いくら「福島の桃は愛情が詰まっている」と言ったところで、それはある種の「思想信条」の人々には何の効果もないだろう。もっと言えば、除染も済まない場所に大勢の人を集め、それを以て風評被害を払拭するのだという理屈も、無謀である。問題は、現在の放射線量がいったいどういう数値なのか、きっちり意味づけすることだが、それをしてくれる人はどこにも見当たらず、測定はしてもその解釈は個々人の「思想信条」に任せられているのが現状である。 

 それならばと、三春町が始めたプロジェクトについても紹介しよう。じつは震災直後、三春町では子どもたちを恒久的に守っていこうと、「実生プロジェクト」を発足させた。「実生」とはご承知のように種から育った植物のこと。その土地に根づいて滝桜のように長生きしてほしいと、主に子どもたちを放射線被曝から守る目的で設立した。鈴木義孝町長が代表になっていただき、私も副代表の席を汚し、アドヴァイザーには東北大学理学研究所の小池武志先生ほか複数の先生方に就いていただいた。元副町長の深谷氏や教育長、またうちの女房も委員に入っている。
 そのプロジェクトで、風評被害払拭のため、全国各地のお寺に線量計を送り、当地の現在の放射線量を調べてもらうことになった。福島県を一括して被曝地区と捉え、まるでその他の地域は「極微」であるかの如き誤解は、五月下旬のWHOの発表でむしろ強まった。あの色分けは詐欺的と言ってもいいくらいだった。こうなれば、全国各地の現状を自分たちで具さに調べることしか誤解を解く道はないのではないか。そう考えたのである。
 各県二カ寺以上で、北海道から石垣島までお願いした。宗派もいろいろである。もともとこのアイディアを出したのは女房で、各地のお寺への依頼も女房が毎日電話をかけまくった。「玄侑宗久」の名前が寺関係に少しは知られていたことも奏功したが、殆ど全ての寺がご快諾くださったことは感謝に堪えない。女房の熱意にも脱帽である。
 今はひとまず測定したふた月分の線量を出し、そこから年間の推定累積線量を求めたところだが、詳しい結果については三春町のホームページ内(http://www.town.miharu.fukushima.jp/soshiki/2/03_0101 misyoproject.html)をご覧いただくとして、ここでは大雑把な感想だけを報告しておこう。
 やはり予測どおり、県内の比較的低い線量の地域と同等あるいはそれ以上の地域は全国に数多くある。だからそちらも危険だと言いたいのではなく、こちらも大丈夫と考えるべきだと申し上げたいのである。
 福島県内の除染が本当に年間1ミリシーベルト以下を目指すというなら、除染が必要な場所は全国各地にある。環境省はいったいその辺をどうお考えなのか、伺ってみたい。
 私の手元には二〇〇二年に長瀬ランダウアが測定した全国の都道府県の放射線量一覧表がある。すべて県庁所在地での測定だが、年間の累積線量が1ミリシーベルトを超えているのが十一県(富山県、石川県、福井県、岐阜県、滋賀県、兵庫県、鳥取県、広島県、山口県、香川県、愛媛県)。今回、そこには入っていなかったのに1ミリを超えてきた県が、新潟県、千葉県、埼玉県、三重県、熊本県、大分県などである。ちまみに、前回も今回も年間1ミリシーベルトを超えたのは、広島県、香川県である。
 千葉県、埼玉県などは明らかに今回の原発事故の影響だろう。しかし新潟県や三重県、熊本県や大分県はどうして前回よりも放射線量が増えたのだろう。
 前回よりも更に古いデータと比較すると、二〇〇二年以前から北陸三県の線量は急激に上ってきたことがわかる。今回の新潟県の上昇にも、中国から春先に飛んでくる黄砂中の含有物が関与しているのではないか。三重県、熊本県にもその影響は充分あり得るように思えるのである。
 一つの県でも場所によって相当線量が違うから単純には言えないが、ごく大雑把に見れば、たとえ福島県の会津柳津は、以下の県よりも線量が低い。測定した二箇所とも柳津の測定値(年間0.77ミリシーベルト)を上回ったのは、岐阜県、岡山県、鳥取県、兵庫県、和歌山県、佐賀県、長崎県などである(すべて年間1ミリシーベルト以内の県のみ)。
 たしかに福島県の浜通りや中通りの測定地点では、年間2ミリシーベルトを超えている。しかしこの値は、三重県や熊本県の高々二倍にすぎない。世界の平均的被曝量は、2.4ミリシーベルト、そこから食物による平均内部被曝量0.29ミリシーベルトを引くとほぼ同じ値になる。もしも一部の人々のようにこの値をそれほど重大視するなら、深刻な地区は日本中、いや世界中にあるはずである。
 福島県の人々は、同じ市町村の中でも線量の高い地区、低い地区を知っている。県内を一括りにしてから外から勝手なことを言うのは、WHOだけにしてほしい。

 実際に福島県を訪れてみると、今はまず共通に感じるのが、「なんだ、べつに普通に暮らしてるじゃないか」ということだろうと思う。津波の被災地はそういうわけにもいかないが、放射能問題だけの地域では線量計がなければ全てが通常に戻ったようにさえ見える。
 むろん、これまで述べたように、先の見えない閉塞感や風評に耐える気分はあるものの、そんな苦脳は相当話し込まないと表面化してこない。なにより人は、それほど長期に亘って怯えつづけられる生き物ではないのである。
「普通の人」は、今や確かに放射能のことなど殆ど気にせず暮らしている。むろん忘れたわけではないが、怯えや不安はぐっと深く潜行してしまったとも言えるだろう。
 しかしこうした「普通の人」ばかりではないことも、忘れてはいけない。無意識に潜行した怯えや不安に、眠るたびに夢という形で噴まれる人々が、心理カウンセラーなどの門を叩いている。
 ここでは、福島市でカウンセリング・ルームを開設している飯塚康代さんの報告(「放射能汚染事故の心理的特性」)を取り上げる。
 そこには事故直後から最近までの、面談者の心の変化が丁寧に綴られているが、ここでは紙幅も少ないから、敢えて面談者の夢そのものをご紹介しよう。
「私と周辺にいた人々全人が、突然拉致され避難用バスに乗せられる。自分以外は一般市民。皆がカップ麺を食べようとすると『開けた人から死んでいきますから』と宣言され、皆衝撃を受ける。私ひとりカビにまみれ腐りきっているお惣菜を食べていると、首に何か恐ろしい注射を打たれる。戦争が起きたようで、私は死ぬ。目が覚めるとそこには家財道具が一式置いてあって、一度死んだ人が行く所らしい。その場にいる普通の世界から来た人々は、テレビとかを持って来ることができるが、被災地から来た人々にはテレビなど何もない。私は『テレビだ!』と喜んで繋いで視る」
 ちなみに、この夢について飯塚さんは次のようなコメントを書き入れている。
「カップ麺は主に津波などの被災地、腐ったカビにまみれたお惣菜は福島の人々の食糧事情を表すと考えられる。またテレビは日常的なゆとりと娯楽の象徴的存在と、私には思われた。この夢は、福島の人々の心性と、支援者と被支援者との関係を象徴的に顕していると思われる」
 こうした解釈をする飯塚さん自身も、その潜行した怯えや不安などを敏感に察することのできる人なのだろう。飯塚さんには失礼かもしれないが、飯塚さんご自身の夢も報告書には書かれている。ご紹介してしまおう。
「原発事故により見渡す限り大地は硬質な人工物で、他には何もなく、人々がうめき声をあげ、そこここに倒れ伏し、地獄の中にいるような修羅場になっている。私がそこにいて、人々を助けようとするが、倒れていない者は私一人しかおらず、目の前にいた一人の人を助けようと必死に介抱する。そうしたら透明なやわらかな玉に私たちは包まれる。その中は真空のような何もない無限の空間なのに光に満ちてあたたかかで優しく、それに包み込まれて満ち足りた私たち二人がいた。私たちはその空間の中で守られている。しかし、ふと目を外に転ずると、そこには相変わらず生き地獄のような世界があって、人々がうめきながら倒れている」
 いったいこれはどういう景色なのか。
 飯塚さんによれば、面談者には、意識的には平常心で、自分の中にそんな思いが詰まっていると全く気づかないのだが、放射能汚染について語りだすと苦悩や感情が溢れて止まらない人も多いという。どす黒い怒りや衝動性などに突き動かされ、激しい感情反応に自らも驚く程の状態になる。
 無意識に蓄積した不安や怯え、怒りなどが、さらに深い無意識の自己の歴史の中の、最も陰惨で凄惨な出来事を蘇えらせる。飯塚さんの場合は、祖父母から聞いた第二次世界大戦時の日本軍の、人々への蹂躝や累々とした屍体などを想起したというのだが、この夢もそんな光景なのだろうか。
 いずれにせよ、彼女によれば、放射能災害には他の災害には見られない特殊性があるという。特に低線量被曝への不安は、犬猫にはない人間固有のものとしたうえで、「コミュニティの変容と個人の変容」「被災レベルの違いによる差別化」などを論じ、さらには「放射能汚染がもたらすトラウマ」も特殊だとして、それを「心的被曝」と名づける。それは「自己のを包括する外的世界の喪失のみならず、自己の内的世界すら穢され喪失する」という深刻な事態である。誰のことも信用できず、自己の世界観すら信じられなくなる、というのだから、それはまさに人間としての危機ではないだろうか。
 解離、回避行動、否認、過覚醒、神経過敏や身心の慢性緊張などに苦しむ人々が、福島県には大勢いる。「普通の人」ばかりじゃないことも、忘れないでいただきたいのである。

 最後に、原発での作業員のことについて、触れておきたい。
 つい最近、十六歳の作業員が働いていたことが露見した。これで十八歳未満の発覚は二人目である。また五月に警察関係者に聞いた話だが、このところ原発の現場にはヤクザの若い衆が増えているのだという。なかには「俺がやらずして誰がやる」という義侠心で来ている者もいるかもしれないが、多くは組から派遣されてくるようだ。その結果、一般の作業員が「逃げ出したくても逃げられない」状況がそこに生まれている、というのだが、本当なのだろうか? とにかく毎日、三千人以上の作業員が必要とされている。彼らが作業してくれなければ廃炉にさえできない。その現場がどうなっているのか、マスコミには勇気をもって報道してほしいのだ。
 東電も、そろそろ現場から説明会見など開くべきではないか。
 原発を今後どうするかも、その様子を見てから考えればいい。再稼働した原発もあり、それらの耐震補強が充分になされていないことを思えば、福島のような事故は確実にまたあると考えるべきだ。
 作業員の被曝制限も、50ミリシーベルトを超えたら現場を去ることになっているが、これとて本人のための安全装置に見えるものの、彼らのその後の生活保障については寡聞にして全く知らない。「50ミリなんてあっという間だ」ということで、鉛板を線量計に被せ、線量をごまかしていた下請け会社も発覚したが、これとていつからあったか分からない。
 いったいどれほどの人々の果敢な労働力を繋げば廃炉にできるのか、誰か得意なシュミレーションをしてみていただけないだろうか。経産省がまず試算し、厚労省で検算してもらっていい。
 関西電力の二基が再稼働しただけでこの夏の暑さが乗り切れるなら、電力不足などという話は初めからウソに決まっている。勢いを増していく官邸前のデモも新たな潮流を感じさせるが、私にはつい四十五キロ東で働いている人々のことが気にかかる。きちんと食べて、眠れているのかどうか。そしてどんな夢を見て眠っているのか、それこそが今回の「文明災」を測る重要な指標ではないだろうか。

 
 
「新潮45」2012年9月号