三月十一日の東日本大震災のあと、次々に人災が続いている。
 人間のすることだし、完璧であるはずはないのだが、どうも一度決めてしまったから変えたくない、というような、くだらないプライドが透けて見えることが多い。
 もともと原発の事故後のことなどてんで考えてはおらず、何の基準値でも泥縄式に暫定的に決めているのだから、もっと虚心に失敗を認めては如何だろう。
 小中学校の校庭の放射線量規定のときもそうだった。年間二〇ミリシーベルト以下なら外で遊んでいいと決めたわけだが、思えばこの数値は、計画的避難区域設定の基準値でもあった。それ以上ならひと月以内に避難すべきで、それ以下なら子どもに遊んでいいというのは、どう考えてもおかしい。誰でもそう思うはずである。
 ところがとうとう文部科学省は、表土を剥ぐ経費まで払うという形で妥協しつつも、基準そのものを変えることはなかった。
 過ちに気づいてすぐにそれを改める能力は昔から君子のものだ。君子豹変とはそういう意味だが、文科省に君子はいなかったのだろう。
 君子ならざる振る舞いが、原発から二〇キロ圏内の家畜の扱いについても起こっている。
 おそらく農林水産省は、福島県人にとっての牛豚鶏など家畜家禽を、単に経済を支えるための材料くらいにしか思っていなかったのだろう。たとえば牛一頭に平均七〇万円を補償すれば、早晩安楽殺を了承すると思ったに違いない。
 しかし畜産家たちは一向に了承しない。あくまでも飼い主の了承が得られなければ筋弛緩剤も打てない。だから事態は平行線のまま、牛たちは今も二千頭ちかく、元気に生きているようなのである。
 最近、許可を得て警戒区域内に入った人々が撮影した動画を見た。そこにはちゃんと幾つかの牧場があり、人間を認めた牛たちは親しげに集まってくる。むろんすでに餓死した牛もいるが、放牧されている牛たちは 、定期的に餌をもらっている。つまり、圏外から餌を運んでいる飼い主が、何人もいるのである。
 福島県には「赤ベコ」という伝統的な玩具がある。また会津柳津の圓蔵寺さんや福島市黒岩の満願寺さんには、虚空蔵菩薩のお使いとされる石や金属の牛が、「撫で牛」として祭られている。お参りに来た人々が次々に牛の背や顔を撫でるため、牛はつやつやに光っている。それほど福島県での牛は、親しまれ、大切にされてきたのである。
 宮崎の口蹄疫や「狂牛病」(BSE)のときとは事情が違う。あのときは、放っておけば感染が拡大するため、飼い主たちは泣く泣く納得した。しかし今回の場合は、牛はペットと違い、草を食べて内部被曝しているだろうから、と言うのだが納得できない。それならそれで、どういう被曝状況なのか綿密に調べなくてはなるまい。それをせずに殺処分することは、やがて間違いなく福島県民への差別を涵養する。きっと内部被曝しているだろうから、「ホーシャノーが来た」と言われ、ガソリンを入れるのも宿に泊まるのも「ご遠慮ください」と言われるのである。
 日本獣医師会や日本動物園水族館協会、日本学術会議なども「要望書」を出すなど、動きだした。世界も今や注目している。日本はどういう国になったのかと、見つめているのである。
 殺処分など承諾する気はない、という畜産家が言った。「そんなごどしたら、子どもらどう教育したらいいが、わがんねぐなっぺ」。そう、これは牧畜に生きてきた人々の踏み絵なのだ。世界の眼差しは、日本政府が彼らの生き方をどう扱うのか、そこに集まっている。昔から牛は平和の象徴であった。「豹」のスピードは今更望むべくもないが、今からでも「牛」変し、君子になってはどうだろう。


 
     
「ラジオ深夜便」 20118月号 no.133