今どきこのような不穏なタイトルで、いったい何を語るのかと、(いぶか)るかもしれない。しかし今はお正月、歳徳神が門松に降りてくる時節である。憑依する霊と、あまりに似てはいないか。
 万葉時代の日本人は、枕詞に見るかぎり、「たまきはる」命、「ちはやぶる」神と言った。当時の人々の誰もが枕詞を聞けば次に来る言葉が了解できたわけだから、いわば当時の人々の常識として、命とは「たま(魂)」が「き(来)」て「はる(張る)」もの、また神とは、「ち」(霊的エネルギー)が「はや(速)」く「ぶるぶる」震えるものと心得ていたことになる。
 そして「からだ」とは空っぽな器であり、「たま」や「かみ」が入り込めば「み(身)」となり、抜ければ「からだ」になる。抜け方が徹底的だと「なきがら」になってしまうのだ。
「からだ」に現在のような意味が認められたのは一六〇三年刊行の『日葡(※につぽ)辞書』が初めてで、しかもその時点では「卑語として」と書かれている。この国では長いあいだ、「からだ」とは神や霊が出入りするものだと信じてきたのである。
 人間の「からだ」には限らない。稲には稲妻が最後の仕上げのエネルギーを注入し、お墓や位牌にまで「入魂」と称して儀式をする。長年信じて行なってきたことは、どうしても根強い力を発揮するものである。
 柳田国男によれば、門松に降りるのも、春の農業神も、みな祖霊神の分霊と考えていいと云う。神と霊は、いわばウェルダンとレアみたいなもので、本質的に違うものではない。それなら門松を飾る以上、あるいはお墓に入魂などする以上、暗に憑依も認めているのである。
 徳川家康は医療と宗教の分離を考えた最初の人だが、その家康でさえ「狐憑き」だけはこれまでどおり僧侶、とりわけ日蓮宗僧侶にお願いしたいと述べている。実際、日蓮宗の僧侶の多くが頼まれれば今でもこれに対処しており、私のお会いした福岡の和尚さんは「これまで三十人以上、憑き物を祓った」と話していた。
 こんなことを申し上げるのも、じつは私にも似たような体験があるからで、今なら神経科で「解離性障害」と診断されるであろう女性が、「憑き物」と「みなし」た祈祷行為によって、「離れて」くれたのである。
 私も禅宗の僧侶として、むろん霊を実在視しているわけではない。ただ通常の人格とは全く別な人格が現れた際に、それを内部から解離したと「みなす」のと、外から憑依したと「みなす」には、どちらが治療上有効かと問いかけたいのだ。
 内部から解離したとすれば手に負えないが、外部から憑いたなら引き剥がせばいい。内部なら自分のせいだが、外部ならどこかの悪者のせいだと考えられる。明らかに後者のほうが、勇気が湧き、治療しようと思える考え方なのである。
 仏道は中道だから、むろんどちらとは申し上げられない。ただ門松をめでたいと思う気分が、憑依を認めていることは自覚的であるべきだろう。



※葡=ポルトガル
 
     
「仏教ライフ」(第97号) 2011年1月1日号