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   変なおっちゃんおばちゃんは、やがて変な爺ちゃん婆ちゃんになる。すでに「双鶴画賛」のところで「我ハ天年」という『荘子』由来の寿命観を示したが、もきっと導引など長寿のための人為的なことはせず、ひたすら自然に任せて「年を窮め」、「天年を終える」のが理想だと思っていたはずである。
 しかし年をとるとじつにさまざまなことが起こる。
「老人六歌仙」と題したこの絵の賛にはそれが包み隠さず書いてある。恐ろしいけれど一緒に読んでみよう。(理解しやすいよう、現代表記に変える)
「シワがよる、ほくろができる、腰まがる、頭がはげる、髭白くなる。手は振るう、足はよろつく、歯はぬける、耳はきこえず、目はうとくなる。身に添うは、頭巾(ずきん)えりまき杖めがね、(湯)たんぽ温石(おんじやく)しびん孫の手。くどくなる、気みじかになる愚痴になる、出しゃばりたがる、世話やきたがる。又しても同じはなしに子を誉める。達者自まんに人はいやがる。欲深くなる」
 なんとも遠慮ない描写だが、この言葉じたいはの独創ではなく、よく知られた古謡のようだ。別バージョンでは、ほかに「死にともながる、寂しがる、心はまがる、口よだれる」なども入り、痛ましい。
 しかしそこにの絵が入ることで、画面は一気に明るく和やかになる。『荘子』には老いは楽しみであり、死は休息だと規定される。まさにそのように、ここの描かれた老人たちは本当に楽しそうなのである。これはもう、禅画というより、日本で最初の漫画ではないか。
 漫画や漫才など、笑いを引き起こす文化の背景には、本来、権威や権力に(おもね)らない精神と、自分も含めた世界を瞬時に描写する冷静な観察眼があるはずである。
 は、長い菩薩行、遊戯の訓練のうちにいつしか漫画の精神を我がものにしていたのだろう。そういえば八十を過ぎる頃からは、「菩薩」などと落款するようになる。これは大まじめな部分も当然あるだろうが、やはり漫画の精神の現れと見て笑うべきなのだろう。
 最後に『百話』から、和尚の不思議な励ましの言葉を紹介しよう。強気で口の悪かった長右ヱ門が、「和尚さんもぅし、私もたいがい悪そうやったばってん、年にゃ勝てまっせんばい」弱気なことを言うと、「みんな、そげんこつ、人間はみんな生きている間は同じ年ばい」。年の順に死ぬわけじゃないのだから、たしかにそこまで達観すべきなのだろう。
  
東京新聞夕刊・中日新聞夕刊/文化面 2010年9月27日