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『奥の細道』のなかで芭蕉は「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」と書く。白河の関を過ぎて、ようやく旅人らしい気分になってきたというのだ。
そして、「とかくして越行まゝに、あふくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城、相馬、三春の庄、常陸、下野の地をさかひて山つらなる」という景色のなかを、須賀川に向かう。会津根とは、たぶん噴火まえの磐梯山だろう。
須賀川では、宿場の駅長であり、俳人でもあった等窮の処に四、五日留まることになるのだが、そこで等窮に白河の関を越えた気分を尋ねられ、答えた次の句が「みちのく」最初の句ということになる。
風流の初やおくの田植うた
詩歌管弦、今ではいろいろ風流な遊びがあるけれど、なるほど風流の初め、つまりそもそもの風流の起こりというのは、この田植え歌だったのではないか……。芭蕉はそんな素直な思いを発句にした。
元禄二(一六八九)年、太陽暦にすれば六月九日あたりなのだが、芭蕉は間違いなく白河から須賀川までの間に田植え歌を聞いたのである。
長々と『奥の細道』を振り返ったのは、べつに俳句を鑑賞するためではない。ただ芭蕉に風流の初めとさえ讃えられた田植え歌を、私は聞いたことがない。それが寂しいと感じたのである。
「さ」という農業神が「さくら」に降り立つ頃から田植えの準備もぼちぼち始まる。神聖な植物であるから、人々は田植えに従事する乙女たちにも「さ」が応援してくれると考え、「早乙女」と呼んだ。「さ」のご機嫌が悪くなるのが「五月雨(さ乱れ)」である。
農業は田植えや収穫の時期に集中的な労働がある。むろん近所総出のもちまわりで手伝うわけだが、それをより楽しい労働にするため、歌われたのが、田植え歌などの労働歌だろう。
こうした近所や親族の定期的助け合いを「結い」と呼んだわけだが、これこそが日本的共同体の原型と云えるだろう。「結い」による労働あればこそ、花見や紅葉狩りなどの娯楽も心底楽しめたのではないか。
思えば現代の技術の進歩は、こうした「結い」が解体する方向にばかり進んできた。農業機械の進歩は、独りで日曜日に耕し、家族の手伝いもなく田植えすることを可能にしてしまったのである。
しかしそろそろ我々は、このような流れのなかで立ち止まるべきなのではないか。そんなことを、芭蕉の句を見て思った次第なのである。
風流の原義は、風がゆらぐように普段と違った風情を楽しむことにある。「ハレ」と「ケ」つまり「非日常」と「日常」という日本的区分からすると、普段とは違う非日常を楽しむ気分こそが風情というものだろう。
関所を過ぎることもそうだが、田植えは明らかに我々にとって「ハレ」の行為だった。だからこそ、早乙女は晴れやかな衣装を身につけ、男たちは歌を歌って女たちを讃え、ひいては農業神を讃えたのだろう。
たまには家族親戚近所までうちそろい、ハレの気分で田植えしてみるのも風流だ。
そういった根源的な風流が、芭蕉に詠まれたこの福島県から甦ることを期待したい。
歌いながら植えられた稲は、すくすく上機嫌に育ってくれる気がするのだが、如何だろうか? 田植え歌を知らないなら、畦道でCDをかけてもいい。あ、コンセントがない……。まったく便利になると、不便だ。
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