日曜論壇 目次
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第37回 「情報」という名の幽霊
第36回 死ねる病院はどこ?
第35回 墓地共用のすすめ
第34回 花散らぬ、嵐
第33回 七転び八起き
第32回 まもなくクランク・アップ
第31回 新作『阿修羅』のこと
第30回 さまざまな立場
第29回 生物多様性と多文化共生
第28回 団子と頭痛
第27回 さまざまな正月
第26回 金風
第25回 お寺のゴミ問題
第24回 私は裁きません!
第23回 なんのための改名か!
第22回 新しい郵便局にお願い
第21回 未然防止策?
第20回 奈落の月
第19回 ちょっと待って!
第18回 若冲展に思う
第17回 嗜好品という文化
第16回 約束
第15回 母から子への手紙
第14回 無鉄砲と、鉄砲
第13回 「小学校英語」必修化に反対!
第12回 木瓜と認知症
第11回 「満」と数え年
第10回 いくつもの春
第9回 ネコとヒトの教育
第8回 電話の電話、郵便の郵便
第7回 同期の不思議
第6回 御朱印コレクション
第5回 自燈明
第4回 帰りなん、いざ!
第3回 ウォーキング・サピエンス
第2回 形而上的おぼん
第1回 タケノコ狩りと自立
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正月に達磨の軸物を飾るのは禅寺の習慣だが、うちのお寺では雪村筆の達磨図を
大晦日
(
おおみそか
)
に掛けることになっている。福聚寺七世であった
鶴堂
(
かくどう
)
和尚の弟子になったのが雪村であり、僧名は
鶴船周継
(
かくせんしゅうけい
)
である。
雪村は茨城県に生まれ、福聚寺開山となった同じ常陸出身の
復庵宗己
(
ふくあんそうこ
)
禅師の足跡を
辿
(
たど
)
って三春に来たとされる。会津、鎌倉などを遊学したのち、晩年は
李田
(
すももだ
)
(現郡山市西田町大田)の雪村庵で過ごした。「
庵
(
いおり
)
」というのは本堂と
庫裏
(
くり
)
(僧の居住場所)が一つ屋根の下に収まった形だが、この形式の建物の日本における
嚆矢
(
こうし
)
が雪村庵であったとも言われ、その影響下に造られたのが信州飯田の
正受庵
(
しようじゆあん
)
である。
それはともかく、雪村が福聚寺に残した絵は意外に少ない。開山復庵禅師の
頂相
(
ちんそう
)
(肖像画)と、八方
睨
(
にら
)
みの達磨図が昔から伝えられている。これが「血達磨」とも呼ばれ、昔から寺宝とされて、必ず正月に掛けられてきたのである。
ところで私は以前から、雪村庵近くの高柴デコ屋敷で作られる張り子の達磨が、お寺のこの達磨図にあまりに似ていると感じていた。全国の達磨を見渡しても、あれほど厳しい達磨の顔は見かけない。しかも高柴の達磨は、お寺の達磨図と同じように頭の
天辺
(
てつぺん
)
が平らなのである。
三春のだるま市はおよそ三百年の歴史を誇る。これまで福聚寺の達磨図との関係はあまり語られたこともないと思う。しかし、昨年暮れにデコ屋敷のご主人たちから依頼があり、毎年達磨さんの腹に新年の希望の一字を入れてほしいという。漢字検定協会の主催で年末に清水寺の貫首さまが大書しているあの行事のアレンジである。
一年を振り返った一文字ではなく、新年の希望の一字であることも気に入ったのだが、なにより私には高柴の達磨が、原型である雪村の達磨図と縁を取り戻したようで
嬉
(
うれ
)
しかった。毎年、ずっと、という依頼は大変ではあるが、これは歴史的に見ても私の仕事であるような気がして快くお引き受けしたのである。
今年は「發」という文字を書き入れた。清水寺の昨年の一字は「新」だったが、単に新しいだけでなく、その一歩を自らの
發心
(
ほつしん
)
を込めて踏みだしてほしいと念じたからである。
達磨さんは七転び八起きでも知られる。実際、毒殺されかかって七回目で亡くなり、死後見かけた人がいるというのでお墓を掘り起こしたら片方の
履
(
はきもの
)
しか残っておらず、
甦
(
よみがえ
)
ったのだと信じられたらしい。
志を立ててもなかなか成就しないことも多い。
躓
(
つまず
)
くこともあるし、うまく行かないと志そのものまで批判されたりもする。しかし自らの發心を思い起こし、七転び八起きの心がけで歩きつづけていただきたい。生きにくい世の中ではあるが、
諦
(
あきら
)
めるのも早すぎるのではないか。
福島民報 2010年 1月31日 日曜論壇