日曜論壇 目次
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第37回 「情報」という名の幽霊
第36回 死ねる病院はどこ?
第35回 墓地共用のすすめ
第34回 花散らぬ、嵐
第33回 七転び八起き
第32回 まもなくクランク・アップ
第31回 新作『阿修羅』のこと
第30回 さまざまな立場
第29回 生物多様性と多文化共生
第28回 団子と頭痛
第27回 さまざまな正月
第26回 金風
第25回 お寺のゴミ問題
第24回 私は裁きません!
第23回 なんのための改名か!
第22回 新しい郵便局にお願い
第21回 未然防止策?
第20回 奈落の月
第19回 ちょっと待って!
第18回 若冲展に思う
第17回 嗜好品という文化
第16回 約束
第15回 母から子への手紙
第14回 無鉄砲と、鉄砲
第13回 「小学校英語」必修化に反対!
第12回 木瓜と認知症
第11回 「満」と数え年
第10回 いくつもの春
第9回 ネコとヒトの教育
第8回 電話の電話、郵便の郵便
第7回 同期の不思議
第6回 御朱印コレクション
第5回 自燈明
第4回 帰りなん、いざ!
第3回 ウォーキング・サピエンス
第2回 形而上的おぼん
第1回 タケノコ狩りと自立
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このところ、
聾
(
ろう
)
学校を「聴覚支援学校」と改名しようとして、当の聾学校の人々の反発を招いている。つまり、彼らは「聾」という言葉に誇りさえ持っているのに、「支援されるべき」人々と見られたことでその誇りが傷つけられたのである。
思えばこの手の言葉は、どんどん
酷
(
ひど
)
く改名されてきた。たとえば「聾」や「つんぼ」という言葉も、「耳を聾する」「つんぼになるほどの」大音声と云うように、本来誰にでも起こる「状態を示す」言葉だった。「めくら」も「びっこ」も、じつは「目がくらんで見えない状態」や「傾いて歩く状態」を意味したから、誰にでも起こりうるし、そこに差別的な視線はなかったのである。
ところがこれが、いつからか「聴覚障害者」「視覚障害者」そして「歩行障害者」に改名された。状態を指す言葉から人物を限定する言葉に変わったばかりでなく、そこには「害」という嫌な文字が紛れ込んでしまった。もともとは「障害」も「障礙」と書き、いつかは取れる差し障り、つっかかりを意味した。しかし字が簡単だからといって「害」にしたのが大間違い。まるで「きずもの」のような意味が付加されてしまったのである。
明らかに、こうした改名の背後には、欧米の「ハンディキャップト」という考え方が色濃く反映している。要するに神の似姿としての「スタンダード」に比較して、劣った人々という見方である。「スタンダード」そのものを認めない日本には
馴染
(
なじ
)
まない考え方が、安易な訳語めいた日本語で、無理矢理に流入してしまったのである。今回の「聴覚支援学校」だって、ああ、サポートを訳したんだ、英語が先にあったんだと、誰もが思うに違いない。
最近私は住職になり、そのため法務局に登記する必要が生じた。耳に馴染んだ「登記簿謄本」も必要だったので、これも求めたのだが、なんとこの「登記簿謄本」も改名されていた。新しい名前は「全部事項証明書」というのだが、いったいこれはどういう日本語だろうか。
まず
訊
(
き
)
きたいのは、何の必要があって改名したのかということだ。もしや「謄本」の「謄」が難しすぎるから、円周率を三ぴったりにしてしまったのと同じように、簡単にしたのだろうか? しかし、たとえそうだとしても「全部事項」というのは簡単な日本語どころか日本語でさえないのではないか。
いったいどうしてこういうことが起こるのだろう。日本という国柄も日本語も理解しない人間が、そういう言葉を作る権力を持っていることを、私は心底悲しむ。英語を訳してそのまま使えば
洒落
(
しゃれ
)
ているとでも思うのか、その感覚が日本や日本語を壊していることに、気づいていただきたい。
福島民報 2008年 4月13日 日曜論壇