最近の新聞の死亡記事は、満年齢で書かれることが多い。うちの寺では死亡年齢を「数え年」で書くため、ちょっとした混乱が起こることもある。まぁ混乱といったって、生き返るほどのことはないが……。
 数え年というのは、中国に由来する古典的な東洋の年齢観である。
人は生まれたときすでに「一」であり、また歳をとるというのは、年末にやってくる歳徳神(さいとくしん)のなせるわざ。新しい歳を運んでくるのは、先祖が浄化されて神格化した神さまの仕業だと考えられた。年末の大掃除も門松を飾るのも、すべてこの歳徳神を迎えるためだ。
 正月で歳はとるものだから、たとえば十二月生まれだったりすると妙なことが起こる。
 生まれたら「一」で、正月にまた「一」が加わるから、たとえば生まれてまだ七日しか経っていなくとも、初めての正月でその子は二歳になる。次の正月まえにようやく満で一つになるわけだが、その一週間後には数え年は三つになる。つまり、満年齢と数え年は、この人の場合だいたいいつも二つ違うことになる。
 しかし一月生まれなら、ほぼ年中、その差は一つである。
 よく、どっちが正しい歳なのかと、訊かれることもある。むろんそれはどちらとも云えないが、少なくとも、両者の違いははっきり心得ておいたほうがいいだろう。
 ご承知のように、満年齢の考え方は、誕生日が中心にある。これは西欧的な発想である。しかも誕生した時点で、彼らはそれを「ゼロ」と見なすのだ。
 これは思えば不思議な感覚である。明らかに、子供は何も知らない無知なる存在で、そのままではヒトでさえないのだろう。
 しかし東洋では、老子の柔弱の思想を待つまでもなく、子供は子供で完成体なのだと見なす。だから目の前に完全な形で存在する命を「ゼロ」と見ることはできなかった。どう考えても、それは「一」だろう。
 この二つの考え方は、たとえば生物学の世界でも存在した。
 当初は、蝶の幼虫やさなぎは、蝶に比べて不完全だから変態すると考えられた。しかしそれでは、あまりに完璧な幼虫やさなぎのシステムを理解できないと知った人々は、やがてこんなふうに考えるようになった。幼虫もさなぎも未完成なのではなくてそれなりに完成しており、その完成した状態が次々に変わっていくのだろう。しかしそれなら、ある意味では常に未完成であると云うこともできる……。
 たぶんヒトも、そういうことなのだろう。
 明らかに、母親の胎内で過ごした「十月十日(とつきとおか)」まで入れれば数え年のほうが実際的である。しかし十二月生まれだと、ちょっと多すぎるような気もする。おそらく、現代人にも納得のいく合理的な年の数え方というのは、誕生日ごとに年はとるにしても、そこに「十月十日」を足した数字ではないだろうか。つまり満年齢プラス一というのが妥当な感じがする。
 しかし正月で年をとるというのは、年は個人がとるのではなく、共同体で一緒にとるものだと考えられたということだ。ここでは、加齢が生物学的なものであるより、むしろ社会的なものと考えられているのだろう。若くても孫ができれば孫と一緒に歳をとる。夫婦は一緒に正月を迎えつつ歳をとる。数え年にはそういう考え方も含まれているのである。

福島民報 2006年 3月 12日 日曜論壇