心変わり


 フランスの小咄に、男と女とどちらが心が綺麗か、というのがある。答えは女。だって、いつでも心変わりしているから、というのが落ちだ。
 しかし、この咄、仏教徒としてはかなり微妙である。なぜなら、誰もがしょっちゅう心変わりしていると考えるのが仏教だし、一つの心が宿る時間まで「刹那」と決めているからだ。一刹那はおよそ七十五分の一秒、つまり人の心は一秒に七十五回までも変わり得るというのだ。
 あまりに変わりすぎても人格は保てないし、逆に変わらなすぎると根にもったり鬱になったりする。
 本来変わり続ける心を、一定に保つことは人間独自の能力でもある。しかし現代人は、おそらく変わっていい心を変えないで悩みつづけ、苦しみを増幅させているのだろう。
 腹が立ったり悔やんだりすることが起こると、私は逆立ちをして心を変える。逆立ちほど心を速やかにニュートラルに戻す技術はなかろうと思う。こだわる脳のもっと奥の古い脳が目覚め、生命体としての元気が蘇る気がするのである。人前で、逆立ちできないときは眼を閉じてからだのどこかを動かし、その内部感覚に意識を集中する。それでも同じ効果がある。
 男か女かはともかく、心変わりをするほど心が綺麗になるのは確かだと思う。


「週刊新潮」2005年3月31号  TEMPO PASTIME