鏡板の老松



「国立能楽堂」2005年10月号 能舞台の正面奥の鏡板には、必ず老松の絵が描かれている。これはもともと、奈良春日大社の一の鳥居のところの影向の松の下で神事が行われたことに由来するらしい。
 松は昔から、神の天降りを「待つ」神聖でめでたい木とされてきた。思えば世阿弥の作った演目のほとんどは此の世ならざる物語だから、神霊に降りてきてもらわないことには話が始まらない。だからどうしても、神の足がかりとしての老松が必要だったのである。
 松は長寿の木でもある。長く生きるうちには神に近づくものと、どうも東洋人は人にも松にも思っていたようだ。「翁」と「老松」は、いわば仲間なのである。
 老松を珍重する習慣は、おそらく禅から来たのだろう。臨済禅師は「巌谷に松を栽える」ことを厳しい弟子の養成、ひいては教えが永続することに喩えた。また同じ『臨済録
(りんざいろく)』には「松老い雲(しず)かに、曠然(こうねん)として自適す」とある。むろん本来は、臨済義玄が師の黄檗のもとで過ごした日々を回想する言葉だが、この「松老雲閑」はその後、禅僧の理想の境地と考えられるようになる。
 剪定も不要になった老松にはすでに作為というものがなく、そうなるとそこに流れてきた雲も、閑かな美しい風物に見える。若いときには煩悶の種であった同じものが、今は閑かだというのである。そういう神々しい心境になると、神が降りてくる。仏教的に云えば、それは内部から現れるのである。
 思えば松が出てくる禅語は、すべて此の世ならざる清澄さを示すと云ってもいいだろう。「閑坐して松風を聴く」静寂、「松に古今の色無し」という永遠、「冬峰孤秀の松」の孤高……。風でも雪でも、みな老松と交わることで世塵を離れて清らかになるのだろう。
 ところでこうした松の働きは、物語としてだけ存在しているわけではない。
 以前京都の天龍寺の曹源池に一夜舞台を掛け、天然の老松を背景にお能を上演したことがあるのだが、そのとき私は能舞台の松より遙かに丈高い天然の老松を見上げながら、そのことを実感したのだった。
 松の木には下から、ブルーの照明が空に向けて当てられていた。自ずと私の視線は、しばしば松の天辺のほうに向けられた。実験していただくとお判りになると思うが、人はどうも口があくほど上を見ていると、10月講演のご案内此の世ならざる世界を感じやすいようだ。青いライトに照らされた夜空のせいも少しはあったかもしれない。しかしあとで自分の部屋で試して判明したことは、景色に関係なく、どうも顔を上向け、視線をさらに上向けてしばらくそのままでいると、どんな景色であろうと我々はトリップしやすくなるのだ。
 たとえば「羽衣」で天女が羽衣を返してもらい、天に帰って行こうとするとき、シテはそれまで折っていた膝を伸ばす。そのことによって僅かに観客の視線が上向きになり、それが続くことで眼球やまぶたの筋肉が少しずつ疲労してくる。じつはそうした身体的な状況が、「天」とか「あの世」への我々の感性を支えているのである。
 なんという深謀遠慮。なんと幽玄な芸能であることかと、私は驚いたものだった。観客の心情がその身体性によって導かれることまで、能の演出家たちは先刻承知だったのである。
 お能を見て感動したければ、なるべく前のほうの低い位置に坐り、ときに老松の天辺あたりを見つめて眼球やまぶたを疲れさせるのもいいかもしれない。
 ただしその状況は、そのまま眠気にも繋がるからご用心のほど。

月刊「国立能楽堂」2005年10月号

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