―第二の人生 暮らしの設計図―

 出家とは、情報あふれる分業社会からの帰還


古来、日本人は隠居や出家といった形で、現役を終えた後の人生をはっきりさせてきた。仏教への関心が高まりつつある現代、
定年後の選択肢の一つとして出家を考えるサラリーマンが増えているという。



 出家というと、オウムみたいに財産を教団に寄付するものだと思っているかもしれないが、そうではないので初めにお断りしておきたい。
 しかしそうではないけれど、かなり覚悟の要る行為なのは確かだ。なにより貴方の周囲の愛する人々としばらく別れ、また生活習慣を全く変えなくてはならない。お釈迦さまの主宰していたサンガへの出家も、とりたてて寄付はないにしても、これまでに築いた人間関係や所有物を離れ、生まれ変わることを意味していた。そのために新しい名前をいただき、新しいルールを守ることを誓ったのである。
 私が二十七歳で出家したときも、かなりの悲壮感に浸ったものだ。
 友達とも、もうずっと会えないような気がしたし、この際、基本的に結婚は考えるまいと思った。本やレコードや馴染んだ置物なども、手放すつもりで友達に預けた。うちのお寺に友達三十人ほどが集まってくれ、二日に亘って宴会を開いたのだが、それはもう「最後の晩餐」という感じで盛り上がったのである。
 たしかに道場に入ってみると、自分の所有物は少ない。全てが自分から離れていった、という気分になる。
 食事用の応量器と呼ばれる重ね椀と箸。経本。剃髪用のカミソリ。タオル。石鹸。そして修行者としての衣装数着。そのくらいではなかっただろうか。本は持参しなければならないもの二冊。じつはそのほかに私は三冊ほど持参したのだが、そこには読書など個人的に使える時間はなかった。憶いだすと、夕方坐禅を始めるまえ、ほんの少しの自由な時間があり、手紙を書いている人などもいたが、だいたいはくたくたに疲れてそんな気にもならない。どうしても読もうと思えば、ただでさえ少ない睡眠時間を削り、トイレの明かりで読むしかない。
 だからしばらくすると、文字も読まない、友達とも会わない、家族とも話さない、ラジオもテレビもない、ナイナイ尽くしになっていることに気づく。
 「裸にて生まれてきたに何不足」という言葉があるが、まさにその爽快な無所有感が、そこでは感じられた。おそらくこれが、出家の第一の功徳だろう。
 今になれば、あのときあれほど悲壮な思いになることもなかったのではないか、とも思う。当時の友達との交流もなくなったわけではないし、本などの所有物も結局その多くは私の手許に戻ってきた。まして私は、結婚だってしてしまった。何が無所有だと言われるだろう。
 しかしそれは、たとえある期間であったとしても、経験すべき時間であり、覚悟だったのだと思う。
 通常我々が、なくてはならないと思っている情報や身のまわりの所有物、さらには人間関係でさえ、なにもそれほど強迫感をもつことはないじゃないか、と思えるようになった。どうしても自分に必要な情報はテレビやラジオ新聞・雑誌によらずとも伝わってくるし、会うべき人には必ずいつか会えるのだ。そんなふうに鷹揚に思えるのも、きっとあの時の体験のお陰だろう。
 まずは自分の体以外の所有物をできるかぎりなくしてみること。そこから出家は始まるのだ。
 しかし人間の所有欲というのは、おそらくかなり根深いものなのだと思う。無理に続けすぎると共産主義国の末期やオウムのように、特定の権力者だけが私腹を肥やし、それに耐えきれなくなった人々の反乱さえ起きたりする。たぶん全くの無所有というのは、時限体験こそ望ましいのではないか……。マルクスはそこを見誤ったのではないか……。凡人の私は、そんなことまで思ってしまう。うちの寺には、「程。人間万事この一字」と書かれた扁額があるのだが、そのとおりだと思う今日この頃なのである。


一旦はだかになって、下着をつける


 出家の功徳の第二は、禅の教えもむろんあるが、それと同等以上に申し上げたいのは、やはりなまっていた体が日々若々しく甦ってきたことだろう。
 雑巾がけ、植木の剪定、薪割り、そして長時間におよぶ坐禅。そのどれをとっても、なまった体には結構きつい。だらだらして間延びすることは許されず、「間締め」を要求されるから尚更だ。歩くスピードだって、本には人間の歩速が時速四キロと書かれているから信用していたが、鍛えようでは時速十キロちかくで歩けることも知った。
 とにかく道場での時間は、体を徹底的に使うこと。それによって、分業で他人に任せてしまっていた生活の全てを、この体の能力として取り戻そうとしているように感じられた。
 なんのことはない、衣食住という生活の基本を身につけようというのであり、そこではむろん女性がいないのだから繕い物や洗濯や料理もしなければならない。
 よく私は、坊さんの修行は「一旦はだかになって、下着をつけただけ」なのだという言い方をする。まず独りになり、自分の身のまわりのことだけは出来るようになる。それだけじゃないか。
 私のいた道場では、葬儀とか法事も殆んどなかったから、職業的訓練は一切なかった。だからそのままでは通常の僧侶の仕事などできやしない。摂心という集中的な修行期間になるとサラリーマンなどもやってきて一緒に修行していたが、つまりそこでは、「君子は器ならず」というような、特定の職業訓練にはならない訓練ばかりが行われていたのである。
 むろんそれを職業に繋げていく人も多い。しかし基本的には体を甦らせ、生活を全て味わう体験をしたあとは、また何かの分業に戻っていくことが社会への還元になるのだろう。僧侶という仕事さえ、今やそうした分業社会の一翼である。


何かを得るのではなく、捨てること


 夏目漱石は、当時盛んになりつつあった分業を褒め称える講演をあちこちでしている。寿司を食べたいと思えば、本来なら海へ行って魚を釣り、それを捌き、寿司飯も作らなくてはいけないが、寿司屋に行けばそれをせずに済むというのは、海へ行ったりする時間を社会からいただいたようなものだというのである。その間に自分の分業に励み、また個人的な時間も作れるというわけだ。
 たしかにそうだ。そうして様々な産業が花開き、分業によって我々の生活は豊かに彩られているのだろう。
 しかしそんな漱石も、やがて円覚寺の居士林に出かけて坐禅するようになる。むろん漱石が、分業以前の自己に戻るためにそうしていたのかどうか、それは知らない。しかし私には、出家生活、わけても道場での生活は、分業以前のトータルな人間に戻る時間に思えて仕方がない。
 朝起きて顔を洗い、托鉢または老師の講座がある。昼ご飯を準備し、むろん食器は自分で洗い、畑や石垣積み、あるいは剪定や小屋造りなどという作務をする。道具も勿論自分たちで手入れする。洗濯も繕い物もとにかく自分が普通に暮らしていくために必要なことは全て自分でするというだけの暮らしなのだが、それがいかにシンプルで豊かであるかは、むしろそこを出てから痛感した。
 社会の分業の成果とも云うべき電気製品はなるべく使わず、洗濯板や包丁、竈に薪など、昔ながらの設備が用いられるのだが、これも考えてみれば脳内の分業を避けるためではないだろうか。便利な道具を使うほど、脳は働かないらしい。
 たとえば言葉を使ったり体を動かす仕事では活性化する前頭連合野も、テレビゲームでは殆んど全く働かないらしい。
 前頭連合野というのは、人間に特徴的に発達した部分で、大脳皮質の二九パーセントを占める。因みにネコの場合は三パーセント、チンパンジーでも人間の十八分の一しかない。ここは「自己」という認識にも関わっているらしいが、なにより「結晶性知能」と呼ばれる人間の高度で複雑な総合的判断力の源だと考えられている。年をとっても、この脳だけは成長し続けるというのである。
 だから不便な道具で、というと打算的になるが、こんな言い方でもしないとなかなか不便な暮らしは勧めにくいのだから仕方がない。
 坐禅の素晴らしさも、最近はセロトニン神経の活性化と関連づける研究もあり、嬉しい限りだが、そう気持ちいいことばかりが最初からあるわけではないから忠告しておきたい。
 ともあれしがらみや外からの情報を捨て、分業以前の裸の自分に戻って独り佇んでみる。そこで何かを得ようと思うのではなく、まず本気で捨てることが肝腎である。あまり巨大な組織は、結局は分業組織になってしまっているからやめたほうがいい。
 結果についてはこれ以上言わないほうがいいだろう。ただ、それによって家族や社会の分業がことさらに有難く思え、却って独りではないと思えてくることだけ、申し上げておこう。 
 今の社会で出家することは、たぶん細分化しすぎた分業からの帰還であり、また煩雑すぎる情報を洗い流す時間なのだろう。むろん日本の場合は、それからまた情報が溢れる分業社会に戻り、元気に働くことになる。戻る場所が寺院であってもそうでなくても、そういうことなのである。

「文藝春秋7月臨時増刊号」