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罪というのは、罪の意識がなければ存在しえない。人を殺そうと、黙って他人のものを拝借しようと、それが罪と意識されなければ罪ではないのである。
ならば罪は、当然そうしたことをするまいと誓った人々の間だけで共有されることになる。簡単にいえば、罪も罰も、じつは共通の宗教をもつ人々の内部でのみ有効なのである。
日本史上、最初の犯罪者は、スサノヲの尊だろうと思う。祭儀だけに許されていた生剥、逆剥をほどこした馬を、スサノヲは斎服殿の屋根から投げ入れ、ほかにも田圃の畦を壊すなど、彼は共同体の禁忌にふれる狼藉をはたらく。
その結果、彼は祓を科されて放逐になるのである。
面白いことに、そうした初期の宗教的集団の場合、罪は宗教的禁忌を犯すこととして単純に認定できるが、それに対する罰についてはあまり関心がない。せいぜいその集団からの追放が最大の罰なのである。
初期仏教教団においても、事情は同じである。
殺人、偸盗、姦淫、悟りを開いたとウソをつくことなど、およそ共同生活上の生活規範が現状に合わせて設けられていく。
入門者は、その前提として「受戒」という儀式が必要だったから、それらを破るまい、という意識は教団内部に共通するものだった。そしてその戒を破った程度により、いくつかの反省のためのシステムを持つが、それぞれの最大級の罪に対しては教団追放に処す。
殺人を犯してしまっても、教団追放で済んでしまうというのは、どういうことだろう。罰に関心がない、では済まないだろうという意見も、聞こえてきそうだ。
しかし志を立て、一定の観察期間を経て入門を許される彼らにとっては、そこに二度と戻れないというだけで、宗教的には充分な罰だったのである。
ここでの罪と罰に準じて、社会は社会なりの罪と罰を措定することになるわけだが、その基準が法や道徳と呼ばれるものである。
宗教的な組織の場合に比べ、最も違うのは、法を犯し、道徳に反したことをしても、本人がそれらをしないと誓った覚えがない、という事実だろう。
自ら志し、誓って入った組織ではなく、生まれ落ちると自動的にその組織に属していたわけだから、法や道徳は戒律と違って個人の気持ちに関係なくあらかじめ存在していたものだ。それを具さに検討し、自らを律する法にする機会あらばこそ、たいていはそうした法の内容も詳しくは知らないまま、批判されて初めて違法だと知る。道徳だって、周囲の人から叱られて覚えるのである。
つまり、社会に生きるうえでの罪の意識は、両親とか世間という人々との関係のなかで「してはいけない」ことを覚え、それが「するまい」という内部律に変わることによって、ようやく発生してくるということだ。
世間や親が「してはいけない」と示さなければ、当然「するまい」とも思わない。だからこそ、家族や共同体の機能が緩んでしまった今は、「人を殺してみたかった」などという発想があり得るのである。
これは、罰をいかに厳しくしても、見当違いの処方である。罪の意識そのものが、本人のなかで発生していないのだから当然だろう。
世間が簡単に変えられないとすれば、事態は両親の双肩に委ねられている。脅すわけではないが、心して子育てという大事業に当たっていただきたい。むろん近所のお寺などは、昔からそういう意味でもご利用いただけるはずである。お寺さんも、宜しく。 |
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